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体操服とセクシャリティーと議論と考え 【#ぽん ブログる 06】

多様性について、職員会議で議論になることが増えたが、「そもそも」のところよりも考え方のちがいでぶつかり、議論は平行線になることが多い。

以前勤めていた学校で、体操服が新しくなることが決まった。それまでは、男子は青ライン、女子は赤ラインの入った体操服だった。同じ学校区の小学校も含めて同じ体操服に変更する機会に、時代の流れとともに同じ色に使用ということになった。

まだまだ進まぬ大人の感覚

以前から、男女が別の色であることに違和感を感じていた私は、「よしよし、進んできた」という思いであった。

しかし、ある違う議論が生まれた。


1年生は新しい体操服を購入してもらうけれど、2・3年生は新しいものを購入する場合は古いタイプのものを購入してもらわないと困る。それに、兄弟のお古を使ってもらっては困る。


という体育の先生の要望だった。

? なぜ ?


新しいものがあるのだから、それでいいのではないか。

逆に、1年生でも兄弟のお古があるのだったらそれを使ってもよいではないか。


その先生の考えはこうであった。


「そろっていなければ見栄えが悪い」「統率できない」


? なぜ ?

様々な人権感覚の変化がある中の1つとして体操服を変えようとしているのに、そのような考えの大人がいると、進まないのだ。

体育の学習指導要領の中には「集団行動」という項目があるらしいのだが、「そろっていなければそれができない」らしい。


集団行動って外見なのでしょうか?


セクシャルマイノリティーに対して

その議論はセクシャルマイノリティ―の話にも発展した。


「2・3年生でも今すぐに変えたい生徒もいるはず。だから自由に購入できるようにしたい。」

これがほとんどの人の意見であった。


しかし、その教員は、

「自由にさせたら、統率がない。買いたいのなら、理由を聞いて許可制にしたい」という意見だった。


? なぜ ?

自分のセクシャリティーを言っても全体が受け入れることができる雰囲気になれていますか?

ましてや、あなたのような考えの人がいるから言い出しにくいのだが・・・。


そして「もし、トイレなどで違う色を来てる生徒がいると、指さされて笑われるから、それも防がないといけない」とも言いだした。

? ? ?

意味が分からな過ぎて、私の考えが崩壊した。

結局、議論(?)を1時間ほどして、次回に持ち越しもして、

「自由購入OK。お古もOKだけど、極力新しいのを着てほしい」ということになった。


私の考え

結局、平行線の時間を1時間以上過ごすことになった。

なぜなら、「そもそも何のためにそれをするのか」という根本の部分の議論ではなく、「外見」という、枝葉の部分での考えのぶつけ合いだったからだ。

そうなると、それぞれの考えがぶつかるだけで、何もまとまらなくなる。


教員の世界にはこのような考えの方がまだまだいる。

人権教育や道徳教育をしていく中でこのような考えの人がいると、進まない。

外見だけではなく同質性高い教育の考えを変えていかなければ、教育は崩壊してしまうと思っている。


もし、「違う色の体操服を着ている人がいて、指をさして笑う」生徒がいたら、

それを見た別の生徒が

「あなたのやっていることは間違っている」

といえる、生徒に育ってもらいたい。


というか、そもそも体操服や制服ってそろってないといけないのでしょうか?











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