「茶渋」はお好き?

 大学で地元を離れ、寄宿舎に住んでいた私は、まだまだ親ががりの生活で、寝食の心配とはほど遠い学生生活をおくっていました。あるとき一人暮らしの友人宅でマグカップに茶渋がついているのをみて驚き、「これ汚れているよ」と思わずいってしまったことがあります。

 友人は「大丈夫、ただの茶渋だから」と笑っていましたが、初めて見た茶渋つき茶碗のせいか、そのお茶が飲めなかったのを覚えています。

 我が家のお茶碗には、まったく茶渋はついていません。主人は茶渋はもちろんグラスの水滴の跡や、味噌汁椀のふちにこびりついた鰹節の繊維もめざとくみつけて洗い直させるタイプ。それは主人の育った環境が私と同じだったからなのだろうと思い、毎日せっせとコーヒーやお茶の茶渋をとっていました。

 ところが、数年前に札幌に引っ越してきた妹の家で、恐ろしいほど内側の色がかわった茶碗を見つけてしまったのです。あろうことか、お客さん茶碗にも普段使いのマグカップと同じぐらいの茶渋がこびりついているのです。同じ環境で育ったわたしたち姉妹の間に何か特別なことがあったとは思いません。しかし妹の子供たちにはそれが普通の状態となっているようでした。

 妹に問いただすと「茶渋だけどそれが何か」という反応。人間は、家庭環境が同じだからといって一緒の反応や感覚を共有するのではないということがわかった瞬間でした。

 ニュースで、殺人犯などの育った環境などが紹介されるたび、劣悪な環境が及ぼす子供への影響を考えさせられていたわたしです。しかし茶渋の一件で、環境が一緒でも違う生き方をする人はたくさんいるし、そのせいで人は良くなったり悪くなったりはしないと妙な確信を得たのでした。


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