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卜占、その可能性

 最近「卜占(ぼくせん)」の原稿仕事がけっこう続いています。鑑定の中で私が最も好きな占術の形式で、タロットや易、トランプやときにはサイコロなどを使って「その瞬間」の「現状」を「ズバリと言いたい」ときに使います。

 その人の性質を診断する推命や毎日の運勢を出して行動をうながす行運などの需要が減っても、悩める人にとってはYesかNOか、右か左かといった判断が出来る卜占は、占術として最後まで残る可能性があります。

 特にスピリチュアル系で、視えるとか分かるとか聞こえるといったタイプの先生の原稿はタロットで書くことが多いのですが、判断を象意(根拠の資料)から引っ張ってきやすくて、自由度が高い分、当てにいこうとすると失敗します。

 卜占の原稿を書くたび悩むのは、どこまでユーザーを喜ばせればいいのかということでしょうか。個別に鑑定するわけではない私たちの原稿仕事は、いつもと同じ「万人向け」そしてたいていはネガティブ禁止で書くという指定が多いのです。

 「どんなタイプの異性なら自分は満足できるのか」というタイトルの問いに、一か八か答えるスリリングな瞬間。世の中で唯一「人を決めつけていい」職業についている幸せをかみしめながら今日は「派手で背の高い人がいいでしょう」明日は「小太りの年配の人にしてみて」などと、まるで天気予報のように楽しく吟じている私は、卜占には無限の可能性を感じているのです。

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