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ソ連最後の夏の旅⑥レニングラード

レニングラードは革命の都。1917年の革命でロシア帝国が倒れ、ソ連が生まれました。そして1991年8月19日、私たちは、ソ連の観光旅行の途上で、まさかのクーデターに遭遇したのです。

4回目の革命?ゴルバチョフ失脚

朝、バスに乗ると添乗員のキムラさんが新聞を読んでいました。プラウダ(真実)という名の真実が掲載されない新聞。私は「ゴルバチョフが逮捕でもされましたか?」と冗談を言って席につき、しばらくして通訳のターニャさんが乗り込み、観光旅行が始まりました。

「ここレニングラードでは、かつて3回の革命が起こりました。そして4回目の革命が今日、起こりました」と、ターニャさんは緊張した面持ちで言いました。「ゴルバチョフが失脚しました

車内は一瞬静まり、そしてツアー一同、何が起こったのか口々に尋ねる。ターニャさんは、私も今朝ニュースで聞いただけでよくわからないのですが…と前置きし、
ゴルバチョフが黒海へ休養に行った間に、モスクワで副大統領のヤナーエフ、KGBのクリュチコフ、国防大臣のヤゾフが政権を奪ったそうです」

町はとくに変わらないように見える。子ども達がレーニンバッチを売りつけに来るし、道端ではゴルバチョフのマトリョーシカを売っている。午前11時、劇場にチケットを取りに行くターニャさんにひっついて行き、これから6か月劇場は閉められることになった、と聞いてようやく現実味が帯びてきた。

民主主義の終わりの始まり

観光を早々に切り上げ、ホテルに戻ると入口でおばあさんがラジオを聞いている。ロシア語のできるホリコシさんが、ラジオの内容を尋ねると、彼女は「民主主義の終わりの始まりだ」と言った。テレビをつけるとモスクワのクレムリンを戦車が囲んでいる。午後2時のこと。

レニングラード①

午後2時半を過ぎ、聖イサク寺院を観光。向かいの市庁舎に徐々に人が集まっている。ガイドの話を聞き流し、3時半ごろ私は人混みの中へ急いだ。

レニングラードはどちらにつくのか

情報を求めて人が集まる。私は、ロシア語が分からないので、垂れ幕の文字をせっせと書き取る。手伝おうか、とアディダスのジャージを着た人が寄ってきた。彼の名はアンドレイ。「ビジネスマン」だそうだ。子分らしき若者たちが、あちこちに潜り込み、情報をとってくる。

壁新聞

アンドレイは、早く商売をしたい、騒ぎが収まるならヤナーエフだって支持する、レニングラードは革命が多すぎる、と軽口を叩いた。俺はゴルバチョフが嫌いだ、弱いからね、と言う。しばらくおしゃべりをしていると、夕方5時を回った。子分たちがやってくる。そして彼は私に耳打ちした。人込みの中にも外にも警察と軍人がいる、ヤバイ奴がいるのがわかる、俺はもともと軍人だったからね。海軍はどっちにつくんだろうなとソワソワし出した。

家に帰りたがるアンドレイ

家にガスピストルがある、奥さんが逮捕されてしまうかもしれない、早く帰ろう、という。それなのに名残おしそうに、ちょっと家に寄って行かないか、と誘う。奥さんが美人なんだ、息子もかわいいし。送っていくからちょっとだけ、と。ガスピストルが気になったけど、ツアーのタニタ君も一緒だったので、家についていった。

バリケード

市庁舎前広場を抜けると、バリケードが作られていた。これから6カ月、酒が飲めなくなる、早く騒ぎが終わってほしいとぼやきながら、広場を脱出。そして本当に奥さんと息子さんを紹介だけして、地下鉄まで送ってくれた。今から思えば私たちは何か目くらましに使われたのかもしれない。

8月19日の動き

午前8時 
・モスクワ放送、ヤナーエフをソ連大統領代行と紹介
正午
・国家非常事態委員会、ソ連全土の検閲開始
・エリツェン・ロシア共和国大統領記者会見「国家非常事態委員会は違法」
・ロシア共和国最高会議ビル周囲に装甲車50台集結
午後1時
・エリツェン戦車に飛び乗り、市民に抵抗を呼びかける
午後5時
・ヤナーエフ、モスクワに非常事態宣言を発令
午後10時
・国家非常事態委員会のメンバー記者会見


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