さくらしめじ『エンディング』を聴きながら。

わたしは、どこへ行くのか
これから、どこに向かっていくのか

考えるととてつもなく、恐ろしい気がする

日々が何事もなく、毎日が、過ぎていく
とてつもない速さで夏が終わり冬が近づいてくる

おそろしい。

感傷に浸るような曲を聞けば涙が出そうになるし、悲しげな曲を聞けば同じように悲しくなってしまう

少し自分を引っ張ったら、崩れてしまいそう
そう、自分を思い込んで、自分で自分を弱くしているだけなのかもしれないけれど

小学校の文集、
5年生の自分から
ハタチの自分への手紙

今何をしていますか?
役者になれていますか?
夢は、目標はなんですか?
親孝行はしていますか?

そのハタチ、からもう5年も過ぎてしまった

同棲していることは、親孝行になっているのだろうか
結婚も子供もできていない、まだ親孝行ではないのかもしれない

残念ながら役者になってはいない。
その頃児童劇団に入っていて、それだけが世界の全てだったんだから

夢は?目標は?なんだろう。

なんだろうな

25歳になってみて、
これから目標をしっかり据えて毎日過ごすことを決めることは、大変だったりする
お金をかけたのに、時間をかけたのにできなかったらな、と二の足を踏む毎日で

小学生の自分になんて言われるかな
小学生の自分ならどう思うかな、どうしてるかな

ああ、感傷に浸る毎日。

明るい曲を聞けば明るくなるし
悲しい曲を聞けば悲しくなる
心が上へ、下へと

何もない毎日、何を考えずに過ごすことに慣れてしまって、うまくなって
口から言葉だけがスラスラと出てくる

立ち止まったらいけない
自分を見つめてみるとすぐに歩けなくなってしまう気がする

意味のある自分になりたい
意味ってなんだ?

自分の存在を消したいような、
自分の存在を残したいような、よくわからない

気持ちが上でも下でもないとき、
明るい曲でも聞いたら何ミリかは上になるのかな

どうしてだろう、あとから思い出せる自分になれていないのはわかってるつもりなのに
二の足を踏んで
地団駄を踏んで
同じ場所で足踏みをして

でも泣き出せる感情もない

ああ飛んでいけたらなとも思ってる
どこへ行くんだろうか
自分ってなんなんだろうな、なんて感傷に、浸ってみる
感傷に、浸る日があっても誰にも怒られない


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