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庇護の時代を僕らは生きていく

今の時代・そしてこれからの時代を、僕は「庇護の時代」と名付けている。

「庇護の時代」には、立場の弱い人達への庇護や、暴力・暴言への忌避と同時に、自由への抑圧・権威社会化・権力をめぐる争いの常態化が起きるだろう。

弱者への庇護を目指すほど、権威社会化や権力をめぐる争いの常態化は進行するだろう。

なぜなら、何かを庇護するには「力」が必要だからだ。ゆえに既存の権力は強化され、既存の権力がカバーできない所では権力をめぐる戦いが始まるだろう。

しかしこういった権力の強化や、権力をめぐる戦いを、我々一般人は止める事が出来ない。なぜなら、我々は「庇護」してもらいたいからであり、庇護に繋がる力の強化を黙認する事しかできないのだ。

いや、しかし、我々には自由を求める気持ちがあるはずだ!と思うかもしれない。

しかし、僕は自由にはマッチョイズムな一面があり、自由を守るためには、個人が力を求め、そして個人が闘争する必要があると思っている。

だから僕は「自由」は負けると思う。なぜなら弱者への庇護・暴言や暴力への忌避が進むほどに、自由の中の粗暴さ・マッチョイズムは憎まれるから。

そして人々は「庇護」を求めているのに、自由を擁護する人達は「戦え!」としか、そして「群れるな!」としか言えないから。

自由が負けた庇護の世界では、危ない物・不快な物・粗暴な物は、強化された権力により、全て事前に取り除かれる。

そして、ぼくら自由を味わってきた世代・自由の大切さを知る世代は、下の世代から「粗暴や不快さを大切な物として擁護する野蛮人」として嘲笑されるだろう。

そう、僕たちが昭和のパワハラ上司を馬鹿にしてきたように、熱血教師を、地元の論理を憎んできたように。

2023/09追記
某事務所の問題と、広告取り下げの件は、まさしく我々が庇護の時代を生きていることの証左だと思う。
「広告取り下げなんておかしいよ」と思うあなたは、自分が過去の人間になりつつあり、下から突き上げられる世代に足を踏み入れたのだと思おう。しょうがないのだ。少しずつでもアップデートするしかない

「広告取り下げは至極当然」と思うあなたには、僕がいうことは何もない。僕とは違い、未来を任せるに足る人間だし、共感力のある優しい正しい人間だ。あなた達みたいな人が増えるのは、世界にとって正しい方向なのだろう。

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