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ズタボロ新年度


タイトルの通りの毎日である。

こうやって書くことがやっとのことでできた。
新生活の緊張や疲れで、子どもたちもわたしも咽頭炎になり発熱していたここ数日。
その前からどうしたわけか、毎日何度もどん底の気分になる。不幸が起きたわけでもないのに、という罪悪感が拭えない中、うつ状態で過ごす厄介な二週間が過ぎた。

何もやる気が起きない。
何にも興味がない。
何を食べても美味しくない。
感情がわからない。
なんで生きているんだろうって思ってしまう。

初めての経験ではないから、きっと、それが、過ぎていくのを待つしかできないのもわかっているのだが。

でも、朝起きられて、日々の生活ができているのだから、側から見れば普通なのだろう。
偽って生活していられる。そんな気分だ。


新年度、新学期。
我が家は三人のうち、二人が小学校一年生、中学校一年生、を迎えた。
喜ばしいことである。新しい生活、ワクワクドキドキする、キラキラの毎日。
の、はずなのに。
変化についていけないわたしは毎日泣いている。
成長の喜びの中で喪失していくものに対して涙を流している。
儚さ、無力感、不安、そんな、元気なときに最小限気に留めていれば良さそうなものに対して。

桜のせいなのかもしれない。なんて、運転をしながら唇を噛み締める。


SNSに、入学しました〜!という投稿を見るたびに、あ、うちも、と思うのだが、どうしても何も投稿する気分になれない。気持ちが複雑すぎて今のわたしには重くて嘘っぽくなってしまう。何を表現しても。

なんでだろう。なんだかどこかが変になってしまったようにわたしがわたしでない状態だ。

なのでしばらく誰にも連絡をとっていない。来たメールには返信ができているからなんとか人との繋がりは保てているけれど、ほぼ家族以外の誰とも話をしていない状態。。。その家族も、夫がやたら忙しくしていて、家にいなかったりいても仕事や趣味やらで、家事やお迎えはほぼわたしがしている状態だから、まあ内向的にもなるし、絶えることのない喧嘩やいざこざで疲弊もする。

そうなってくると少しずつ全てのハードルが下がっていく。
子どもたちの送り迎えと、洗濯、買い物、お昼ご飯や夜ご飯を作る、だけで一日が過ぎていくと、もうそれ以上を求めなくても、時は経っていくんだ、なんて思って他のことを何もしなくてもいいや、となってくる。ちょっと大変そうなこと、努力してやってみようという気持ち、自分のしたいこと、は、後回し。というか考えることすら疲れてしまい、でもそうやって輝いている人ばかりが目立って見えてしまうからSNSを開くたびにまた落ち込み。あああ、距離を置こう、となんとなく無料少女漫画をスマホで読み漁る。

こんなことができること自体が幸せなんだ、とどんどん満たされハードルも下げていく。みんなが生きていてくれている、それだけで幸せなんだから。わたしの欲求や不満は、抱いてはいけないものなのだ、と。
ふとした拍子に鏡に映るわたしの顔は能面のようである。眼力が失せ、諦めの中にやっとのことでまだまだ、という光を探す。

毎日同じ服を着ている。
誰も聞いていないから、と、自分からは話すのも諦めてしまう。
何か集中することを見つけようとしても見つからず、ふたたび、なんとなく無料少女漫画をスマホで読み漁る。

やや!こうして書くと完全になんらかの抗うつ的な薬を処方されてしまう感じだぞ。

でもきっと、要するに、疲れやうつを理由にして、暇人時間を満喫しているのかもしれないな。切羽詰まっていないということ。立ち向かうエネルギーも失いかけているのだけども、まあ、なんとかまだ頑張っていこう、まだまだだ。

なんだかなーって思いながらも抜け出せない、ぬるま湯なのだ。ニュージーランド行きの話が来る前も、こんな感じだったなあ。

動けるうちに動かないと、という焦りもある。今の状態に対し、いかん、いかんぜよ!と思いバイト探しでもしようかとネットを見てみるが、こんな気分だからもちろんときめくものもないし体力にも自信がない、で応募には至らない。


ああ、もったいない、生きている時間をもっと有意義に使わなくては、という呪縛がのしかかる。ああ、どうしよう、どうしようって足掻いても、どうにもならないのに。

今はきっとこの場所でうずくまっていたいのだろう、とこの状態を許すことしかないのかな。鼓舞しても、責めても、焦りばかりが募るから。


春のデトックス、とオシャレに言っておこう。

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