見出し画像

降り注ぐベストタイミング

春分の日。

宇宙元旦、らしい。というのは太陽を中心とした惑星の配置から地球に降り注ぐエネルギーや起こってくる兆候をみる、友人たちとの星詠みの会で知った。
「地球暦」というその見方によると春分は一年の始まりで、今日から2024年の新たな流れが始まるそうだ。

この機に、一年の目標、願い事を明確にし、予祝をすると良い、なんて投稿も目立ったので、影響されやすいわたしは、夢かあ、目標かあ、なんて朝から少し気合いが入っていたのだけれど、なんとも明確なものが思い浮かばない。いつものことなのだけれど、「宝くじが当たりますように」とか、わかりやすい願い事があればこういう時良いのになあ、と思ってしまう。

願い事をひとつ挙げようと考えると、どれもなんだか違うような気がして、「なるようになりますように」とか「それぞれの人にとっての幸せが満たされますように」とか、具体性のない願いが結論になる。なので、ああ、もう天まかせでよし。みたいな気持ちになり、結局流れ星を見た夜も、一粒万倍日だと知った日も、そして春分の日も、願い事を心に描くタイミングを掴めず、過ぎ去っていく。

それはそれで、とても幸せなことなのかもしれない。

そんなことを考えながら、夕方ふと神社へお参りに行った。
お参りをする時も、わたしはこんな感じだから、手を合わせながらも明確な願いというよりも、神さまの声を聴かせてもらう気持ちで参る。
「ありがとう」のお礼と、「決まっている方向に導いてください」の気持ちを携えて。結局のところ決断を導くという意味で、これは神頼みなのかな、とも思いながら。

時おり、声が聞こえたりするのも面白い。それはいきなり、脳の奥の方で明確に聞こえる。ちゃんと、ひとつにつながるように、神社はあって、参る場所なのかな、と、信心深いわけではないけれど、感じたりする。

それはそうと、大体において、考えてなんとかしようというよりもふと自然にそうなっていく、というまかせた感じでいる時の方が色々と後から繋がったりして面白いから人生は生きていけるのではないか、とも思う。

今朝、予祝がどうたら、と考えていた時には、神社に行こうとなんて思っていなかった。
夕方、思いついてふと、神社に向かった。

木々が、いつもよりも、シワっとしているというか、覇気がないように感じる。
「あれ、春分なのに、なんか特別感なくない?」でたでた、これは今日は特別、というアタマの仕業だ。笑

それでも天高くそびえる木々、尊敬。


きっとこれから急激に変化するお天気の前兆だったのだろう。水気を含んだ空気があたりを包み始める。
お参りを済ませたら、突然に青黒く、心ざわつく、しかし美しい空が現れた。

いつもここに居るのに、何かが起きる前という緊張感を醸し出せる形相


車に乗り、近くのお店で梅酒を買い、また車に乗ったとたんに大風アンド大雨。

ビュービュー嵐の中、運転をしていると、雨が降っているのに空がオレンジ色になっていく。なんとも幻想的なドライブ、ああ、車に乗っていられてびしょ濡れにならずありがたいなあ、と思う。

そして家に着いたらほぼ雨が上がっていて、ドアを開ける前にふと振り返ると、なんと大きな大きな虹がかかっている。しかもダブルレインボー。

肉眼ではしっかり虹色が見えた

わあ、すごいタイミングだなあ、と感心する。何ひとつ、わたしが決めていない、でもわたしが選んでいるタイミングで全てが起きていた。

こういう感覚が、日々あれば、なんだか楽しそうだな。
こんな感じで、タイミングの連なりに身を任せて、この一年を過ごしたいな。
それが、春分の日の願いとなりそうだ。夜になってしまったけれど。

あれ、結局天まかせ、に変わりはないか。。まあ、いっか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?