見出し画像

Open AI騒動に思う|スローライフに帰ろう!

(写真はwired Japan記事より)

取締役会でCEOのアルトマンが解任されたニュースは、一昔前ジョブスがアップルを追われた解任劇を彷彿とさせました。

しかし、48時間で急展開。

翌日には大株主のマイクロソフトに入社のニュース。同時に今回の解任劇に社員の9割が退社を表明。そして、一部取締役を解任する事を条件にアルトマンがCEOに返り咲き。

USAでの反応は、CEO返り咲きを喜んだり、祝福する人に対して、何という茶番劇、お笑い草〜という意見まで。

一番の関心は、何故解任劇という強行手段まで取ったのか真相は判りません。ネット情報で囁かれていたのが、AIを今のスピードで商業化する事への是非。倫理観とのバランスに開発スピードをスローダウンするべきだという意見との対立があったようです。

80年代のパソコン創成期からデジタル社会への移行に身を沈めて体感してきた1人として懸念するのが、時間感覚の差です。

パソコンやインターネットの普及で、手書き、印刷、郵送というアナログ時代の面倒から解放されて自由な時間が増えたでしょうか?24時間何時でも何処でも追いかけられる現実に直面していないでしょうか?

人間はとてもインテリな動物ですが、脳で理解している事と身体が正しく動く事は違います。そこには身体を通じての経験値が必要だからです。

耳目から入った(学んだ)情報をそのまま口から発しても意味はありません。脳で咀嚼して発する。それは学びを体験した経験値にする。魂の入った言霊は、人々に大切な事を伝える事が出来ると思いますが、他人の受け売りは、相手に嫌悪感を残すだけかもしれません。AIの経験値とは何になるのでしょうか?

コツを覚えるという事。

コツとは骨で、骨身に染みるほど繰り返し稽古した行先に基本に忠実に正しく身体を操作する(というか反射的に動く)ことが出来ます。その時には脳が論理的に身体を動かしている意識さえないでしょう。でも物理的に言えばそのスピードもコンピュータには追いつかないと思います。

AIから知り得る情報やアドバイスなどを消化して判断し、行動するのは、我々人間です。しかし、AIがビックデータを元に与える情報に我々が善悪、正誤など正しい判断が適時出来るどうか?

最後に頼りになるのは、直感しかなくなるとしたら、その直感の善悪は個々人に帰属します。

DX(デジタルトランスフォーメーション)で人々の生活様式が想像を超えた変化を遂げる世の中をイメージしています。トランスフォーメーション(変態)は、蛹が蝶に変わるほどの変化変様を指しています。その引き金になるのが、AIだとすれば人の叡智や倫理を超えた何か想像もつかないような暴走が起こらないようにする事は大切だと考える1人です。

コンピュータは間違わない〜は神話でしょう。間違った情報をインプットすれば、アウトプットは違ったものになります。コンピュータは嘘をつかないかもしれませんが、嘘をつかせることは可能です。

こうした人が感知出来ないスピード変化変様の対立にあるのが、不便を楽しむ心の余裕ではないでしょうか?

スローライフに帰ろう!

AI時代の幕開けと今回のOpen AI事件に際して、改めて立ち止まって考える必要が個々人にあるのではないかと思います。

参照 : シンギュラリティとは

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?