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短編小説 「月に恋した少年」

トーブはまだ8歳の男の子でしたが、立派な恋をしていました。トーブはきれいな女の子に恋をしたのではありません。かといって、逞しい男の子を好きになった訳でもありませんでした。トーブは月に恋していたのでした。
ある晩、トーブは外に出て、夜空に浮かぶ月を眺めていました。青白くて綺麗な丸い月でした。そして、トーブは遠くの月に向かって云いました。
「夜空のきれいなお月さま。ぼくはあなたを愛しています。いつかあなたのおそばへ行きたいです。」こんな具合にトーブは月に深く恋しているのでした。
トーブの隣に住んでいるマリスという少し太った男の子はその時ちょうど庭にいる飼い犬に晩飯として餌をやるために外に出ており、トーブが月を見上げながら話しかけているのを盗み聞いては、一人でわらいました。

ある日、トーブは学校が終わって友達とみんなで帰っている途中でした。その日は学校が終わるのが少し遅く、外はもう薄暗くなっていました。トーブの住んでいる村はとても小さいので帰り道はみんな一緒なのでした。そこにはもちろんマリスもいました。突然、マリスがもぞもぞとしながら、「おいら、しょんべんしてくる。」と云って川の方へ走って行きました。すると、他のみんなもそれに合わせて「おらも、おらも」と川へと走って行きました。トーブも黙ってみんなについてきました。そして、トーブ以外のみんなは川に向かってしょんべんをしました。本当はトーブもしょんべんをしたかったけれど、しませんでした。なぜなら空の月が川面に映ってゆらゆらとただよっているのが見えたからです。「お月さまにしょんべんをかけるなんてひどく失礼だ。」そう思いました。トーブはもじもじしてみんなが用を足し終えるのを待っていました。すると、さっきのマリスが「やい。トーブ、おまえは○○○○○未定」とわざと馬鹿にしたように云いました。
すると他のみんなも「月のことが好きだなんてやっぱトーブは馬鹿だ。正気じゃないぞ。」 と云ってトーブのことを嘲笑わらいました。
トーブは顔を赤くして何か云いたそうにしましたが、何も云えないで一人で走って帰りました。それでもトーブは月に恋い焦がれ、月に近づくことを強く強く夢見ているのでした。

大きな夜空に赤や青の無数の星がまたたき輝いていました。トーブは空を見上げて、月を見ようとしました。しかし、どれだけ首を動かしても月の姿はありませんでした。その晩は朔といって、月と太陽が同じ方向にあるため、地球からは月を見ることはできないのでした。トーブはそのことを知りませんでしたから、月がなくなってしまったと思って悲しくなりました。「ああきれいなお月さま。あなたはどこに行ってしまったのでしょう。」トーブは嘆きました。そして、月を探しながら歩き回りました。
いつの間にかトーブは森の中に入っていました。森の中は真っ暗で何も見えませんでした。風がどどどうと鳴り響いて、それに合わせて踊るように沢山の木は怪しくうごめいてました。トーブはひどく怖かったけれど、月を探しながら、続く道にしたがって歩き続けました。
「きれいなお月さま。お願いです。どうか姿を現してください。きれいなお月さま。」トーブは必死に願いました
しかし、空にはただきれいな星が輝いているばかりでした。

どれほど歩いたでしょうか。気が付くとトーブは高い高い崖まで来てました。下を見下ろしても、見えるのは深い闇だけでした。風の音もなくなり、しいんとしていました。トーブはまるでぞくぞくしました。 しかし、そこから見上げる空は雲ひとつなく、星は近くにあるように感じられました。沢山の星の明かりはそれはそれはきれいでしたが、やはりトーブには何か足りないように思いました。ここから月を見ることができたらどんなに幸せなことかとトーブは思っていたのです。
沢山歩き回ってすっかり疲れたトーブはそこで眠り込んでしまいました。

明るくなるとトーブは目を覚ましました。きらきらとした日の光のおかげで、夜は見えなかった崖の下の岩のごつごつとした表面がはっきり見えました。しかし、本当にその崖は高く、底を見ようとしても霧のせいでよく見えませんでした。後ろを見るとトーブが昨日歩き回った森がすぐそばにありました。幸運なことにその森は一本道だったため、トーブはなんとか家に帰ることができました。

トーブはずっと月のことを考えていました。「きれいなお月さま。あなたはどこに行ってしまったのでしょう。見えないあなたを探して歩き続けることより辛いことはないでしょう。」
次の日の晩、空には三日月が浮かんでいました。それを見たトーブはあまりに嬉しくて泣いてしまいました。
「夜空のお月さま。ぼくはとてもきれいなあなたを見ることができて幸せ者です。」
トーブは泣きながら云いました。雲の隙間から見える三日月は朧でとても美しいものでした。

それから二週間ほど経ったでしょうか。東の空に丸い月がぽっと浮かんでいるのが見えました。
「そうだ。あそこに行けばお月さまをもっと近くから見れるはずだ。」トーブはあの森の奥の崖から月を見ようと思って、再び崖に行きました。トーブの思った通り、満月はトーブのすぐ近くにあるように見えました。こんな近くで月を見るのは初めてのことでした。トーブはよい月をうっとり一人で見ていました。まわりの木々が銀色に見えるほどに月光が辺りを照らしていました。高い崖から見上げた空はまるで妖精でも飛んでいるかのような瑰麗かいれいなものでした。
「きれいなまあるいお月さま。ぼくはあなたを愛しています。あなたの近くで暮らしたいです。どうか、ぼくをあなたのところに連れてってください。いや、今からあなたのところへ行きましょう。ここから飛べばあなたのところへ行けるとぼくは信じています。」トーブは云いました。そして、トーブは月に目がけて力いっぱい崖から跳びました。しかしです。トーブは空を飛べるわけではありません。どんどんトーブは下へと落ちていきました。
みるみる落ちていくトーブは涙を流しながら考えました。
(やっぱりぼくは馬鹿だったのだ。ああ悲しいことだ。ぼくはあの高い崖から飛べばきれいなお月さまのところへ行けると信じていた。だけどぼくはよだかのように空を飛べるわけではない。このまま地面に当たって粉々になって死んでしまうのだろう。これがぼくの最期になるのだ。)
そしてまた空の月に向かってこう云うのでした。「きれいなお月さま。ぼくはあなたをとても愛しています。あなたのところへ行きたかったのですが、どうやらぼくは粉々になって死んでしまいそうです。こんなぼくめの最後にあなたを見つめて死んでゆかせてください。」
そしてトーブはぷるぷるぷると震えながら真上の月を見上げました。
そのとき、トーブの目に映った月は悠々としており立派な本当に綺麗なものでした。
トーブは泣きながら笑い、そしてこう云うのでした。
「ああお月さまよ。あなたはなんて美しいのだろう。ありがとうございます。さよなら。」

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