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2.ゆとり教育と郵政民営化の話

おはようございます。今日から具体的な社会の話について考えたいと思います。僕が今の若者に早く知って欲しい話のひとつにゆとり教育の話があります。

僕はいわゆるゆとり教育を受けて育ったので、ゆとり世代だとかなんだとかの世代批判をされることがよくあり、そのことについてとても悲しく思っています。
世代で人を括って個人を見ることができない人をみると、考え方が貧しいなと感じます。
世間の皆さんがゆとり教育にどのような主張をお持ちかは存じ上げませんが、現段階での僕の見解を述べさせて頂きます。

詰め込み教育からの脱却(授業時数の削減)という教育のベクトルが、80年代から存在していたことはよく言われますが
(いわゆるゆとり世代は2002年からおよそ12年間の学校教育を受けた人達のことですね)ゆとり教育によって僕達の学力は本当に著しく下がったのでしょうか?
結論から言わせて頂けば、答えはノーであると言えます。

学力低下の引き合いに出される根拠としてPISA(国際的に実施されている学力調査のことです)がありますが、成績が大きく下がったのはゆとり教育を2、3年しか受けていない年代の結果です。
この学力低下のデータは、施行前から存在したゆとり教育否定派の研究者らに「ほらみろ言わんこっちゃない!」と指摘されたことで、ゆとり教育にたいする世論の認識として磐石なものとなりました。(日本人は権威ある人の見解に驚くほど従順です)

しかし、小学校入学時から高校卒業時までの長い期間ゆとり教育で育った僕の世代では、むしろPISAの点数は以前(ゆとり教育の前の世代)より伸びています。
世論の認識が決定付けられた後の出来事でしたので、もはやゆとり教育=間違った教育というイメージは揺らがなかった訳ですが、このデータからゆとり教育のリベラルな教育方針は決して学力低下と強く結び付いているとは限らないことが分かると思います。

よく円周率が3と習ったということをゆとり教育の象徴として掲げられることがあります。
実際には円周率は3.14から無限に続く小数であることはきちんと小学生の頃に学びました。
問題の中では便宜上3として計算し、算数の計算の大変さを身に染みさせるより円の計算の仕方の基本をじっくり教わったという印象です。

しかし、ゆとり教育賛成派かと言われると決してそうではありません。あくまでゆとり世代を無知無能として叩く風潮に疑問を感じるということです。

では、ゆとり教育の問題点は何か、ということを考えた時に挙げられるのが、学力格差の問題です。
こちらはゆとり教育の非常に大きな問題点だと言えます。
授業時数の削減は、「学校の勉強以上に学びたい人は塾や予備校でやってください、そうすれば塾や予備校、ひいては学校同士の競争がどんどん激化し、切磋琢磨することで教育はよりよいものになるでしょう。」というネオリベラリズム的思想と結び付きます。(ネオリベラリズム:新自由主義についてはまた後日)

このネオリベラリズムの思想を大きく反映させた政策に、郵政民営化があります。なんだか懐かしい響きですね笑
小泉内閣は「官から民へ」の思想のもと、国民から支持を獲得しました。
しかし、ネオリベラリズムの問題点は、言い換えれば優勝劣敗を認めることです。強者はより豊かに、弱者はより貧しくなる傾向をより一層強めてしまうところにネオリベラリズムの落とし穴があります。
郵政民営化とゆとり教育の施行の時期はおおよそ一致すると思いませんか?どちらも第一次小泉内閣の頃の政策ですよね。
つまり社会全体がそういう理想論・神話に飢えていたわけです。

では改めてゆとり教育を振り返った時に、果たして教育の競争激化は起きたのでしょうか?
かつての高度経済成長の頃のような、「勉強すれば豊かになれる、立身出世の為に勉強する、そうすれば生涯安泰である」というビジョンは、不況の真っ只中にいた現代の日本人にはもう持てませんでした。
子どもも、そして親もです。(特に貧困層ではその傾向が顕著に表れました。)それは何も子どもが勉強嫌いであったり学問に関心がなかったという意味ではもちろんありません。
社会全体を包み込むネガティブなイメージがネオリベラリズムの欠点を更に確定的なものにしたということです。
学校は、全員に平等に教育を分配するという本来の民主主義的な公教育の理念を失いつつありました。
教育において市場原理を導入してしまったことで、子どもたち(あるいはその親たち)にも優勝劣敗の原理が適用されてしまったのです。(=お金持ちの子は勉強してより豊かに、貧しい子は勉強できずより貧しく、貧困の連鎖を生み出す原因のひとつです。)

この話を聞いても若者を世代で括って叩けるのでしょうか?明らかに若者は被害者のような気がしますよね!

これが、私の現時点でのゆとり教育に対する見解です。(この主張のベースは現在多くの教育学者等に受け入れられている共通認識です。しかし、そのことを研究者たちが大きな声で主張した頃にはもうゆとり=悪という方程式は完成していました。)

ゆとり世代だろうが何世代であろうが若者は馬鹿者です。
しかし先輩方から何かを学び、吸収することで成長していきたい、一人前になりたいという気持ちもまた多くの若者が持ち合わせている感情だと思います。
世代論に終止せずに一人ひとりの人間性を見て指導していただければ嬉しいです。

余談ですが、ゆとり教育の嬉しい誤算として優秀なスポーツ選手がこの世代に多く育っています。最近陸上で偉業を達成した桐生選手は僕と同い年ですし、羽生選手や大谷翔平選手なども同世代です。
本当に応援しています。

スポーツ選手は偏見なしにみることが出来るのに(大人の彼らに対する褒め方は、若いのに自分の考えを持っている、自分で考えて行動する、すばらしい!ですが、会社の新人にたいしては、生意気だ、空気が読めない、勝手な行動をする、です)なぜその他大勢の優秀な人材をまとめて叩こうとするのか。
上の世代はその上の世代に若い頃叩かれたイメージがあるのでしょうが、そうやって世代間を結んでいく社会なんて悲しすぎます。
僕達は下の世代をきちんと育て引っ張ることのできる立派な大人になりたいですね。

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