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1.ガイダンス「どうして勉強しなくてはならないのか」

皆さんの中には「どうして勉強しなくてはならないのか」「学校の勉強は社会に出て役に立たない」と捉えている人が多いように感じます。今回は僕なりになぜ勉強をしなくてはならないかについて考察したいと思います。

(1)「知識」に対する捉え方について

まず僕が感じるのは、勉強が役に立たないと考えている人の多くが、学校で学んだ「知識」が役に立たないと感じているということです。例えば、歴史を勉強しても社会人になって使わない、という具合にです。

このような考え方は、知識を雑学のようなものというか、一種の実用的な「情報」として捉えているから生まれるのだと思います。
実用的な情報こそが大人になって生きていく上で最も大切なものだとすれば、学校ではExcelの使い方や要領の良いプレゼンの仕方、よりよい人間関係の作り方をひたすら学べばよいでしょう。
そうしないのは、「知識」(=経験)が人間を作るという考え方が教育の根本的な捉え方だからです。

「知識」は人間の人格にまで深く関わるものです。
例えば歴史を学ぶことは日本人のアイデンティティの本質を探ることであり、自分の日本人的なものの見方や考え方を自覚する上で有効です。
私達は望むにしろ望まないにしろ日本人であることから逃れられません。でもそれはグローバル社会において大きな武器になるのではないでしょうか?皆さんも歴史や古典を本気でやれば、学ぶうちにきっと胸をはってそう言えるようになるはずです。

(2)勉強という視点で現代社会を考察する

勉強を実用的な情報の獲得と捉える考え方はまさしく知識基盤型のものの見方で、産業革命以降の西洋近代的な考え方です。西洋近代の考え方では、端的に言うと科学が正義です。
つまり、より多くの役に立つ知識を獲得することが、暮らしを豊かにすることに繋がったのです。(逆に言うと必要ない価値観や情報の多くは淘汰されていきました。例えば西洋による先住民の奴隷化は西洋以外の考え方を低俗で無意味なものと捉えているからこそ生まれます。)

現代はこの西洋近代の考え方が色濃く反映されていて、必要な知識の獲得(=必要な情報の獲得)こそ、正義であると考えている人が多いことにも頷けます。Excelを上手く使えない人を社会人として役立たずだと揶揄する声が聞こえてきそうです。

しかし、西洋近代的な発想はハッキリ言って時代遅れだと思いませんか?
この発想って社会・国家・会社が個人を守ってくれるという前提の下でしか使えないと思いませんか?Excelの使い方なんて、Excelを使わない世の中では何の役にも立ちません。
だからこそ、我々は勉強して情報としての知識でなく普遍的なものの見方を養うための、これからの複雑な社会を生きていくための知識を培っていく必要があると思います。(そのような知識を「知恵」と表現することができそうです。)

学校で学ぶ知識の全てを肯定したいわけではもちろんありませんが、その多くは現代社会を作り上げているものごとのベースになる知識だと思いますし、変化していく社会でぶれない自分の思考を持つ上で大切だと思います。

これらはあくまで僕の考え方ですので、そう感じない方も多いと思います。それはそれで構わないとも思います。そういう方もぜひコメントでご意見下さい!

この記事が皆さんの学びの動機づけになればと願っています。