ぽん太 side-B

社会福祉士。 民間企業立の地域密着型介護サービス事業所にて管理者してます。 介護・福祉…

ぽん太 side-B

社会福祉士。 民間企業立の地域密着型介護サービス事業所にて管理者してます。 介護・福祉の未来に関わります。

最近の記事

K君に捧げるレクイエム

昨秋,学生時代の友人が天に召されたとの報を受けた。 数ヶ月が経過したが,僕の心はまだ深く,どん底にある。上がってこれない底なし沼にハマってしまったよう。ちゃんと仕事にも行っているし,職場で冗談なんかも言っているんだけど,ふとした瞬間に友人のことが浮かんできて,苦しくなって涙が溢れそうになる。こうして文字にしている今このときさえも。 大学時代は地方出身者が集まった学生寮で暮らしていた。出入りはあったけれど,強烈な縦社会で揉まれて過ごした4年間。先輩後輩との沢山の出会いもあった

    • 寄添先生との往復書簡

      <本稿は「寄り添い」について考えるため、寄り添う介護について一言ある某先生(通称:寄添先生)と手紙をやり取りした形で書いていますが、実際にそんな先生は居ませんし、筆者でもございません。悪しからず> 前略 寄添先生 いつも色々とお気遣いいただきありがとうございます。先生にひとつお聞きしてみたいことがあり、久しぶりにお手紙を書いてみようと思います。 専門学校を出て、念願の老人ホームに就職したんですけど、何だかここに来て理想と現実のギャップにぶつかっちゃってるっていうか

      • 介護人として考えておきたいこと(私論)

        もう15年以上は前になるだろうか。あるとき、僕が福祉関係の者と知ってある方から問い掛けられたことがある。 「無差別の通り魔殺人とかで、犯人が精神疾患を持ってたら無罪になるじゃないですか。あれって、福祉的に考えるとどうなんですか?」と。 少しニュアンスは変わるかもしれないが、最近の事件事故に読み替えると、こういう疑問を突き付けられるかもしれない。 「認知症の年寄りが運転して事故を起こし、轢かれた人が死んでしまったとしても、判断能力が無いと認定されたら無罪。それってどうなんだろう

        • 臭い言葉に蓋をせよ

          人には誰もが見られたくない姿がある、と僕は思う。僕の場合、それはトイレで排泄している姿であり、これは多くの人に同意いただけるのではないかと勝手ながら思っている。だけど不思議なことに、僕ら介護に携わる者たちは、日常的に、ごく普段の営みとして他人の排泄する様子や排泄物を目にしている。排泄に関しては一般の、介護に関わっていない人たちよりも耐性が強くて、ご飯を食べながらでも排泄の話ができる、なんて言える人は多い。何を隠そう、僕もその一人である。 排泄は人間が人間として生きていくた

        K君に捧げるレクイエム

          他者理解不可能論

          ある日の午後、職場のテレビでワイドショーが映っていて、親が幼子を虐待の末に殺してしまったという事件を報じていた。事件を受けてコメンテーターの何某氏は「お腹を痛めて産んだ我が子を殺めるなんて、とんでもない」と話し、テレビを観ていた利用者さんたちも口々に「何でそういうことになっちゃうんだろうか。考えられない」と痛ましい表情でつぶやいていた。 世間一般的によくある反応だし、決して間違っていないと僕は思うけれど、そのとき何故か、何かが引っ掛かったのである。 また、こんな経験もよくして

          他者理解不可能論

          「安」?

          安全・安心・安楽・安定・安寧…数年前、ケアマネ更新研修で講師の先生から「ケアプランの中で使ってはいけない言葉」と言われた言葉たちである。介護計画の長期または短期目標によく掲げられた(今も掲げられている)これらの言葉がなぜ使うなと言われてしまったのか。それは、これらがもつ曖昧さ、抽象性が故である。安らかという言葉は耳心地がいいばかりでなく、実際に心身が気持ちのいい状態にあることをいとも簡単に表現してしまえるのである。利用者のココロとカラダがニュートラルでいい感じに力が抜けている

          流行り病にもらったもの

          新型コロナウィルス第7波。皆に注意喚起もしなければならない立場から「いつ、どこで誰が伝染ってもおかしくない」なんて声高に叫びながら、ついに、自分が感染してしまうことになったのは8月の下旬に入った頃のこと。感染源は、おそらく家族。部活で他県にバスで遠征に行った次男坊が「身体の調子が悪い」と言っているという報告を受け、接触を避けて長男と別宅での隔離生活に入った。そのうち長男の食欲がなくなり熱を出したので隔離は独居生活に移行。長男の抗原検査陽性を受け、濃厚接触者としての待機期間を経

          流行り病にもらったもの

          プロか否かの境界線

          毎日忙しく現場で働いていると、一つ一つの言動の意味や目的がなおざりになってしまうことがある。日々、与えられた役割をこなしていくことにとりあえずは目を奪われ、本来何のためにそれをするのであったかという「目的」や、何故その行為をするべきなのかという「根拠」がどこかにいってしまって、決まっていることをただ遂行することだけで終始してしまう。 僕らが工場の中にある一つの機械で、ある部品を正確にある場所にセットするというだけの役割をひたすら与えられているのならば、それでもいいだろう。

          プロか否かの境界線

          プライド

          物事をフラットに見ることが出来なくなる気がして、プライドを出来るだけ持たないように、持ち過ぎないように、ということを心掛けてきた気がする。プライドが邪魔をして、優劣をつけてしまったり、マウント取りに走ったりしてしまうことを避けるための、僕なりの予防線であった。福祉介護の仕事をする上で、利用者さんたちに対して、あるいは同僚や同業の人たちに対して色眼鏡で見ないための方法の一つがプライドを捨てることだったのである。 しかし逆説的に言うならばそれは、僕が如何に無意味なプライドに縛られ

          営利目的非営利活動?

          福祉や介護で儲けることは構造上難しいことは前回述べさせていただいた。規制緩和により介護事業が民間に開かれたとはいえ、社会保険制度に則ってその事業運営をする訳だから、純粋な競争とはなりえないし、ソコソコ真面目にやっていれば潰れることもないが、飛びぬけて利益を上げて独り勝ちすることもない。そんな不思議なシステムの中で働いていることを僕たちは知っておかねばならない。 なぜ知っておくべきなのかというと、「がんばれば結果がついてくる」という、至極自然で当然な道理が通じにくいこのシス

          営利目的非営利活動?

          福祉が儲からない理由

          利用者さんやご家族からこんな言葉をかけられることがある。 「あなたたちは、もっと給料をもらうべきよ」 ありがたい言葉である。仕事に対する評価として、実際の報酬以上の価値があると直接ユーザーから言っていただけるなんてことは、世の中にそんなにはないはずである。 そしてそれは、個人間だけではなくて、業界や職能団体からの歎願として社会(国)に訴えられている。選挙があると政治家の公約になる場合もある。だから最近、総理の肝いりで介護職の処遇改善がされることになった。 介護職を含む

          福祉が儲からない理由

          似て非なる場所

          福祉とは、人々の暮らしを支援するものであることに疑いの余地はないであろう。利用者の「生活の質」を上げるがために福祉・介護従事者たちは日夜汗を流し、より良き方法を探って悩んでいる。 しかし、限界がある。与えられたフィールドの中でしか実践を行うことが出来ない。例えば、施設での介護を考えてみると、共同生活という根本的な性格により時間的な制約がある。場所としても好きなところへ行ける訳ではない。勿論、人員的な制限も存在するので、入居者の全員が全員、自分のペースで寝起きをし、行きたいとこ

          似て非なる場所

          頭痛が痛い、みたいなお話

          「何のために介護をしているのだろう」と思うことはないだろうか。一所懸命に食べてもらおうと思って食事介助に汗している。食事介助では全量摂取が良いこととされ、食べずに残すことはある意味「悪」である。週に2回のお風呂を入ってもらうがために、嫌がられてもひっかかられてもなだめすかしてあの手この手で浴室まで誘導し、服を脱がせる。 介護とは暮らしのサポートである。人間が人間としての暮らし(生活)を営んでいけるために、病気や障害などでそれが自分だけでは担えなくなったときに支える活動である

          頭痛が痛い、みたいなお話

          個別ケアの真意

          介護の仕事をしていると、色んな利用者に出会うことが出来る。人との出会いは自分自身の人生の幅を拡げてくれる。人間は自分の家族や友人など価値観が比較的近い人たちと関係を深めていくように僕は感じているが、利用者の場合はその成育歴や生き方に関しても自分とは遠い存在と捉えられるようであっても関わらざるを得ない。そして、その異質性から学べることは非常に多い。 利用者の暮らしに沿ってサポートしていくことを介護というならば、その振り幅は大きく、時として自分の軸さえも見失ってしまいがちである

          個別ケアの真意

          天は看護師の下に介護士を造らず

          情報化社会の進展はすさまじい勢いである。先日の新聞によれば、飛行機に乗っているとき体調を崩した乗客が出た場合、機内放送で「お客様の中でお医者様はいらっしゃいますか」のアナウンスが無くなる方向らしい。事前にどこに医者が居るかが把握できている(本人の登録によるらしいが)ので、スムーズに事が運ぶとの記事であった。僕は実際にそういった場面に接したことはないけれど、命に関わる非常事態だから一刻を争うという意味でも大歓迎である。 さて、医師や看護師だともしかしたらそういった場面に出くわ

          天は看護師の下に介護士を造らず

          天はヘルパーの上にケアマネを造らず

          マウント取り合戦の現代である。もしかしたら今に始まったことではないかもしれないが、最近では「上級国民」なんて言葉が皮肉も含めて使われている。 「あの人よりもウチの方が余程〇〇」「あんなの大したことない」「あれで△△長なんてよく言えたもの」そんな言葉たちは一体一日にどのくらい口から出てくるのであろうか。自分が他者より大きく強く、また立派な存在であると、存在価値の高いものであると、悲しいかな、思いたがってしまうのである。 恥ずかしいことに僕もその一人である。キレイな女優さんや女

          天はヘルパーの上にケアマネを造らず