38)専門用語の闇

ある分野に関わっている人たちが共通認識を短い言葉でやりとりするとき、専門用語は強力なツールである。定義を共有できていれば、ちまちまと説明しなくても一言で通じる。その積み重ねで深く広く情報を共有し、業務を速く的確に進め、さらなる専門性を高めていく。大事なことである。

ウチではそれでいいのだが、ソトと関わるときはとにかく通じる言葉を使う必要がある。ウチが濃密になればなるほど、ソトへの言葉は慎重に選び、伝えるべきことを厳選して組み立て、相手の理解を十分に確認して初めて用をなす。

逆に自分が他分野の話を聴く場合は、できれば多少の予習をするとか、重要そうだけどわからない部分はためらいなく質問して積み残さないとかの気構えがいる。そうやってお互いの重なりを少しずつ増やしてつながっていくのは、人生の醍醐味でさえある。

あまりにも日常離れしてよくわからない専門用語というのは、聞き返すことさえままならない。多くは略語で、アルファベットを並べたり、それをつないで読んだり、漢字をいくつか拾い出してつなげたり。略す前の字面で見れば漢字の意味をたどって多少の見当がつくような言葉でも、2、3文字を拾って組み合わせると全く聞き慣れない音に化ける。

研究者たちがが実験室で専門用語を交わすときには、どれだけ略そうが何の問題もない。アレとかソレで間に合うことさえある。学会発表なら、そこに出席が想定されている範囲くらいには通じるように若干の工夫がいる。一般の人に関わることが専門性そのものに直結している分野では、常に伝わる表現を追求し続けなければ、役割を果たすことができない。医療や福祉の世界では、難しい内容を必要十分に伝えること自体が大切な仕事だとわきまえて、過不足のない言葉を吟味して使いたい。

2019/11/19

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