3DCG歴40年になりました

大学1年生の頃、学校の近くの電気屋さんに、PC-8001が姿を現しました。僕は、時間があると、その電気屋さんへ行って、PC-8001をいじっていました。1時間とか2時間とか居座って、そのPC-8001をいじっていました。お店の人に咎められたことはありませんでした。幸せな時間でした。

NECのPC-8001を皮切りに、各社から、いろんなパソコンが発売されました。富士通はFM-8、SHARPはMZ-80、東芝はPASOPIA。僕は、比較的安価だった日立のBASIC Master Jr.を買いました。ワンボードマイコンに筐体をつけたような製品でした。

僕がBASIC Master Jr.で最初に開発したのは、直線を引くプログラムでした。まずは、搭載されたLevel 2 BASICを使ってコードを書き、ついで、M6800のマシン語で書きました。当時、M6800のマシン語を16進のコードで記憶していました。そうして作った直線を引くプログラムを使って、ワイヤフレームで描く3D立体迷路ゲームを作りました。陰線処理の問題に初めて取り組みました。

迷路ゲームを作った年に、大学の計算機工学の先生に、コンピュータを使って映像を作り、音楽を演奏し、作品を作りたい、と打ち明けたことがありました。その時先生は、僕の希望を否定しました。僕の3DCGへの取り組みは、その時に、僕の中の底流となることが運命付けられたように思います。

そんな頃から今年で40年。3DCGに取り組んでいた時も、そうでなかった時もありましたが、3DCGは、僕の底にずーっと流れていました。

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