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かなしい旋律

「かなしい旋律」

曇り。ねずみいろの空。気温は20℃もある。これからだんだん気温は高くなるのだけれど、僕は夏が好きだ。体の調子が良くなる。たぶん遺伝なのだとうと思うが、心臓とか血管とかが弱くて、血の巡りが悪い。気温が高くなると、血の巡りが良くなって、体の調子が良くなる。もちろん、アカギレの心配もしなくていい。ただ、マシンにとっては、夏は難しい季節だ。空調完備のマシンルームがほしいところだけれど、貧乏人には無理。壊れるまで使って、壊れたら終了、という、暑い中で、お寒いことになっている。

さて、先日、グリーグの「春」を演奏した。もちろんDTMで。これを先生に聴いてもらったら、組曲の他の曲も演奏したら、と言われた。実は、このことで悩んでいる。

何を悩むことがあるのか、即座に演奏すれば良いではないか、と思われる読者の方も、いらっしゃることと思う。いや、読んでくれる人は、たぶんいないのだけれど。

この曲は、グリーグが書いた、「ふたつの悲しい旋律」という2曲からなる組曲で、第1曲は「心の傷」、第2曲は「春」というタイトルがついている。もともとは歌曲だが、作品番号34の楽譜では、弦楽合奏で演奏することになっている。

というわけで、先日、僕は、手持ちの弦楽合奏の音源で、第2曲「春」を演奏した。この曲を選んだのは、ちょうど、3月末で、春を感じる時期だったことと、絵をつけるイメージが思い浮かんだので、絵をつけよう、と思い立ったからだった。

さて、演奏を進めてみると、いつものように、いつものような困難に直面することになった。というのは、所詮はDTMの音源だ。DTMで弦楽器の演奏なんて、到底無理なのだ。

弦楽器は、人の肉声くらい、精妙で、表現力のある音が鳴る。曲の、特にクラシックの曲の、音のひとつひとつで異なる音を、実にバリエーション豊かに鳴らす。

これに対して、DTMの弦は、そんなことは到底できるはずもなく、アーティキュレーションとして用意された、たかだか数十の異なる弾き方のデータをとっかえひっかえすることと、アタックだのリリースだのの、音の形を変えることくらいしかできない。しかも、僕が持っている音源は廉価版で、コンソルディーノ、つまり弱音器をつけた演奏はできない。上げ弓下げ弓とか、職人技で表情を変えることなんて、当然できない。

例えば、楽譜に「・」つまりスタカートが出てきた時には、アーティキュレーションの中にある、数種類のスタカートが使えるのだけれど、スタカートと言っても、いろんなスタカートがあるわけで、僕の音源の中にあるスタカートは、「明るく楽しいスタカート」しかない。「悲しい旋律」の曲で「明るく楽しいスタカート」を鳴らすわけにはゆかない。

末尾に、商業楽団の演奏の録音へのURLを貼り付けるけれど、ここで鳴っている陰鬱なスタカートは、もはや、スタカートじゃない。

というわけで、僕が仕上げた演奏は、とてもじゃないが、楽譜通りの演奏じゃない。ほとんど別の曲だ。

というわけで、残りの曲を、と、言われても、とてもじゃないが、演奏できる気がしない。その「スタカート」がたくさんたくさん登場する。とてもじゃないが、誤魔化せるもんじゃない。

でもね、絵をつけよう、と思うと、弾けちゃう、ってところがあるんだ。それは、純粋な音楽じゃなくて、絵をつけて、スクリーンの中で鳴る音楽だから。つまり、僕がやっている、ファンタジアの音楽と絵は、どちらも紛い物で、両方合わせて、なんだか、得体の知れないフィルムだ、という主張をしている、というにすぎない、ということなのだ。

まさに、かなしい旋律。かなしすぎる旋律。悲哀あふれる旋律。むなしい旋律。

ただ、ひとつだけ光明があった。ポンティチェロ(ponticello)という弾き方があって、これは、弦楽器のコマ、つまり、弦を高く支える板、の、その近くに弓を当てて弾く、という弾き方なのだけれど、アーティキュレーションの中にあったponticelloは、使うことができた。

さて、というわけで、URLを貼り付ける。父ヤルヴィさんの指揮で、エーテボリ(グーテンベルグ)・オーケストラの弦楽セクションの演奏。

https://youtu.be/b-wnyULueYU


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