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チーム友達

交友関係、多い方だと思う。
小学校から、中学と高校、大学、会社で会った人たち。コミュニティに大体、何人かの気の合う人間がいるから、その人たちと定期的に一緒に時間を過ごすのが好き。自分の気分によって、会いたい友達は変わるし、それは友達も私に対してそうだと思ってるし、友達たちとはある程度、都合よく付き合っている。

なんせ世界に人は無限にいるし、それぞれ考えてることを私は知りたい、だから新しい友人が増えることに対しても凄くポジティブな方。閉鎖的な考え方になること避けて、多くの人と交流を取るよう心がけている。気を抜くと、居心地が良い人間と、自分の考えと似た事を言う人間ばかり周りに置いて、凝り固まった人間になってしまうから。

私の1番の親友は、1年同じ学校に在籍しただけで、地球の反対から13年も毎日LINEしてるから不思議なもので、価値観が近いからなのか、違うからなのか、なんで友達なのか、もう忘れてしまった位には仲が良い。

女性同士のコミニケーションには2種類あると思っていて、相手の誇りになるために着飾り合う、華やかな友人関係。もう一つは、居心地が良くて、砕けた悪友みたいな関係。どちらも優劣は無くて、時に見栄を張り、時に泣き言を聞くような多面的な部分が人にはある。ライフステージによって、友達との付き合いが変わるっていう言葉が嫌いだったけど、社会人になって、少しずつ理解している。何故なら、結婚した友達とはクラブに行けないし、ディズニーとかUSJは奇数とか4人以上で行くのが疲れるってことを覚えてしまった。あの瞬間はあの瞬間で、箸が転げても面白い位に最高だったけど、今はもうする気が起きないし、しようとしても出来ない。けど、お小遣いが5000円だった頃と違う遊び方が、大人になった今は出来るようになって、ちょっと背伸びしたプレゼントを渡しあったり、美味しいものを食べれるようになっているので、それはそれで良いものである。だから、私の中で、友達って無理して付き合うものじゃないし、嫌だったら会わなきゃ良いし、都合が良かったらその時はよろしく遊ぼう、ぐらいの温度感で接してる。

反感を買うのを恐れずに言うと友達が居ない意味があまりわからない。普通に学生生活送って普通に過ごしてたら友達ができると思う。昨今批判されがちな、普通、という言葉をあえて使っているのは、私が普通に学校を通えなくて、遅刻しすぎて退学してるにも関わらず、友人には恵まれているから、こんな人間ですら友達がいるのに、学校に通えてる人がなんで友達が居ないのか不思議なだけ。
楽しい時は友達と笑顔をシェアして、疲れて辛い時は、人に話すだけでちょっと心が軽くなる。本当に疲れて辛い時は、布団にくるまってるだけだから、そっとしておくっていう気持ちもわかる。人と接するのは好きだけど、カロリーを使う。

臆病な部分も理解できるからこそ、マジで友達が1人もいないって言ってる人が怖い。自分も何かしら理由をつけてその人から排除されてるんだろうし、その中で、つまらんカテゴライズされてゴミ箱にポイってされてる感じがして寂しい。けど、愛想がなくて冷たい人間こそ何か頑固に守ってるものがあって、面白いことが多いから、気になってしまう。 
愛想がない人間は、批判されがちだけど、愛想を振り撒く必要もなく、ストレートに生きてこれたことを羨ましく思う。私は転校や、環境の変化が大きかったことで、ある程度無駄に笑ったり、無駄に同調したりする部分がある。別にそれがストレスではないけど、場の空気を読んで発言する自分を客観視して、面白みがない薄っぺらい人間だな、人を顔を窺ってて私ダサいなって。
文字打つの飽きたから終わる。ほな。

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