星めぐる旅 #3 隠岐の原始神社
前回のお話
2023年夏。筆者(伊地知奈々子)は山陰の愉快な仲間たちと連れ立ち、隠岐をめぐる旅へと出かけた。隠岐・島後の西郷港に到着した一行は、腹ごしらえの後に隠岐総社、玉若酢命神社へと向かう。
神々の島、隠岐
神々の島と言われる隠岐諸島。今回まず最初に訪れている島後(隠岐の島町)は親島と呼ばれ、2日目に訪れた西ノ島、そして知夫里しま、中ノ島の島前3島は「小島」とされている。古くは古事記(西暦712年成立)の国産み神話に既に記述があり、淡路島、四国に続いて3番目にイザナギ・イザナミが生んだ島が「隠岐之三子島」とされる。親島と3つの小島、という意味であると類推される。
927年の延喜式神名帳は、日本最古の神社台帳だが、隠岐諸島の神社は、その時点で16座も記されている。日本の歴史上、かなり早い時点で隠岐は神々の島という位置付けが早くもなされていたのだろう。
100余の神社があると言われている隠岐4島。玉若酢神社を後にしたわれわれは、その源流として存在する原始信仰の祠を訪ねた。
隠岐に残る原始信仰の足跡
玉若酢命神社のある下西地区から西に進むと、美しい海の風景に目を奪われる。都万の船小屋群だ。船小屋には船が収められているのが見える。杉皮葺きの伝統的な舟屋が立ち並ぶ風景は圧巻。現在も漁師の方が現役で活用されているという。伝統が今も活用されているのだ。
隠岐の原始信仰の足跡は、こちらにほど近い祠に存在する。
まずは外側から様子を伺ってみる。
石垣に囲まれたシンプルな社は、沖縄本島の御嶽(うたき)や、石垣島をはじめとする八重山地方の御嶽(おん)を感じさせる。初見で感じる違いは、沖縄の御嶽は琉球石灰岩を用いた石垣であること。いうまでもないが植物の植生も異なる。しかし、不思議と既視感を感じる風景だ。
なかに入ってみると、祠の左手に蛇縄があった。蛇縄は出雲を中心とする山陰地方に広く伝わる習俗だ。集落ごとの荒神祭で、藁で作った蛇を奉納する。蛇の生命力にあやかり、防火や防災、防疫を司る屋敷神的を祀る意味あいがあるとされる。
蛇縄はかなりしっかりとしていて、劣化は見られない。そう遠くない時期に奉納されたものであるとわかる。一方、祠は開け放たれていた。
荒れている、と言えばそれまで。
しかし、植物のいのちは湧き上がり、石は力強く、光は溢れ、神社の向こう側の海は煌めいている。ここには、確かに「いのち」がある。
目の前の風景を、風を感じながら眺める。
時間的な変遷がここにはある。空間は開け放たれる方向に向かっている。
原始信仰とは、解放と生命力の祀り。いのちのオワリハジマリを寿ぐものだ。
「この光景は、何かあたらしいことがはじまっている、という象徴なのかも知れないな」
そう感じた瞬間、風が吹いてきた。
自分もまた、何かあたらしいことが始まるのかもしれない。
そんな予感を感じた、都万の原始信仰の祠だった。
祠を出たわれわれは、またもう一つの祠へと向かった。
それは、海につながる穴。(つづく)
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筆者について
伊地知奈々子
a.k.a POP/木田時輪(ペンネーム)
セラピスト。アーティスト。星をめぐる旅をしています。
主宰しております新神戸・サロンCENOTEのページはこちらです。
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