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東京国立博物館特別展『中尊寺金色堂』

所在地:東京都台東区上野公園13-9
開催期間:2024年1月23日~2024年4月14日
訪問日:2024年2月18日


東京国立博物館

筆者撮影

2022年の夏休みに、家族で中尊寺へ行きました。

仏像を見るなら、寺院? それとも博物館?

両者それぞれ良いところがあります。
仏像はもともと寺院に安置するために作られていますから、大きさ、照明、雰囲気がマッチしているのは寺院です。
また、本来祈りの対象ですから、展示されるのではなく、安置されているのがふさわしい。
仏像だけでなく、寺院や庭園、参道もまるごと堪能できるのは、最大のメリットかもしれません。

とは言え、至近距離で見られる、明るい照明の下で隅々まで見える、仏像の背中まで見られる博物館は、鑑賞するにはうってつけ。
こちらは美術品といった扱われ方になるのでしょうね。

というわけで、今回は東京国立博物館へ行って見比べてみました。

東北地方現存最古の建造物、中尊寺金色堂(岩手県平泉町)の建立900年を記念した展覧会です。


第1部 東京国立博物館の展示

入館するとすぐ眼の前に大型ディスプレイがあり、超高精細CG(8KCG)が原寸大の金色堂を再現します。
実際の金色堂はガラスケースで覆われているため、堂内に入ることはできません。
映像では、扉が開き、だんだん目の前に迫ってくるように設計され、あたかも堂内に入っていくかのような臨場感が味わえます。
ちょっとしたアクティビティ感。

金色堂には3つの須弥壇が設けられており、それぞれの内部に置かれた棺に今も遺体が納められています。中央の棺に眠っているのは、奥州藤原氏初代、金色堂を建立した藤原清衡と言われています。
さすがにそこまでは見せてくれなかった。

デジタルアーカイブは3分で終了。
中へ入ります。

内部の様子は、写真撮影不可なので、こちらをご参照ください。

出典:特別展「中尊寺金色堂」ジュニアガイド

阿弥陀如来座像
観音菩薩立像
勢至菩薩立像
地蔵菩薩立像 6体
持国天立像
増長天立像

合計11体、すべて国宝です。
須弥壇から離れ、それぞれ個別に展示されていました。
離れ離れにされてしまい、なんだかちょっとさびしそうでお気の毒。
実際の金色堂では、所狭しと重なり合うように安置されていたので。

どなたも美しいお顔をしていました。
ふっくらめの優しいお顔です。
六地蔵は六つ子のようにお顔がそっくりで、衣のドレープが少し違うかな、というくらいにしか見分けがつきません。
顔を小さめに作って、プロポーションをよく見せているのだそうです。
仁王像は、勢いよく舞い上がる袖の彫り方が鋭利で大胆で、力強い。
平安時代末期にしてすでに、鎌倉彫刻を先取りしているかのような技術があったとすると、奥州の高度な文化が伺えます。

唯一撮影可の中尊寺金色堂のレプリカ。
柱の螺鈿まで繊細に再現していました。

筆者撮影

平安時代末期に建てられた金色堂は、外観、内観、そして仏像もすべてが金で覆われ「皆金色(かいこんじき)」と称される、世界でも唯一無二のお堂です。
マルコ・ポーロの『東方見聞録』の中で、日本らしきところが黄金の国ジパングと紹介されたのは、中尊寺金色堂や、現在の岩手県にある玉山金山あたりのことだという説があるのも、頷けます。


長澤和俊氏訳から引用してみます(長い文章はアレンジしています)。

チパング(中国語のなまり)は、東の方、大陸から1500マイル大洋にある、まことに大きな島である。住民は色白で、礼儀正しい優雅な偶像教徒である。独立国で、彼ら自身の国王をいただいて、どこの国の君主からも干渉されない。
この島では非常に豊かに金を産するので国民はみな莫大な量の黄金を所有している。(中略)
この国王はすべて純金で覆われた非常に大きな宮殿を持っている。この宮殿の屋根は全部純金で葺いている。各部屋の床は、全部指2本の厚みのある純金で敷き詰めている。このほか広間や窓もいっさいがすべて金で飾りたてられている。

長澤和俊訳/東方見聞録』マルコ・ポーロ 角川ソフィア文庫

その後、元寇のことが、日本で思っている史実とは異って書かれているものの、まったくの空想とは思えません。
次に、チパング島に住む偶像教徒は、動物の頭をした偶像や手が千本もある偶像に敬意をはらっていることが書かれています。馬頭観音や千手観音のこととすれば、合っていますね。
しかしこれはどうでしょう。

チパング島に住む偶像教徒は、自分たちの仲間でない人間を捕虜にすると、その男が身代金を払えない場合には、友人や親戚を招待して、捕虜を殺し、料理をして、みんなで食べる。彼らはいろいろな肉の中で、人肉ほどうまいものはないと考えている。

長澤和俊訳/『東方見聞録』マルコ・ポーロ 角川ソフィア文庫

絶対に嘘とは言い切れませんが…。


話が逸れてしまったので戻します。

仏像以外にも、金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅、金銅迦陵頻伽文華鬘、紺紙金銀字一切経などの国宝がありました。

初代清衡が安置されていた金箔押の木棺もありました。木棺を持ってきてしまって、清衡さんは今どこに眠っているんだろう。


第2部 中尊寺

ここからは2022年に中尊寺を訪れたときの写真です。
金ピカのイメージとはだいぶ違いますね、まさに古刹といった体。

筆者撮影


中尊寺本堂。
金色堂が本堂かと思われがちですが、これぞ本堂。
本堂は金色堂とはまた違った美しさが。

筆者撮影


靴を脱いで入れます。
ご本尊は釈迦如来坐像。
両脇の法灯は「不滅の法灯」と言われ、最澄が点灯して以来1200年間消えたことがないという延暦寺の法灯から、分けてもらったのだそうです。

筆者撮影


金色堂は、コンクリートでできた覆堂ですっぽり保護されています。

筆者撮影

現地でも写真撮影は不可だったので、仏像金色堂の写真はありません。
思ったより小さいと思う人が多いようですが、私はそうでもなかったです。

金色堂の柱の螺鈿がすばらしく、仏像だけでなく建物ごと鑑賞できる点には、やはり1票を献じたいです。

金色堂旧覆堂。
もともと金色堂は、野ざらしの姿で立っていたのですが、鎌倉幕府が全体を覆う覆堂「鞘堂」を作って、その中に安置することによって保護しました。
それが、この「金色堂旧覆堂」です。

筆者撮影

今は空っぽ。

筆者撮影


松尾芭蕉が見たときには、金色堂はこの中にあったんですね。

五月雨の 降り残してや 光堂


カバー写真:リーフレット

<参考資料>

東京国立博物館 中尊寺展 公式webサイト
https://chusonji2024.jp/highlights/

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