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暴力の峠/VIOLENCE PASS #1


 朝の微睡みにふやけるような心地で大きく伸びをした国生の脳裏に閃光の伴う黒煙が具象として浮かび上がったのは、昨日の会合で発せられたあの言葉がひどく印象に残っているからだろう。総勢二十余名が出席した会合は赤坂の料亭で取り行われた。名目はなんであったろうか、紛糾し、混乱を窮めた状況下では誰もがその本来の目的を見喪っていた。集まった野良犬どもは普段ならありつけるはずもない酒に競うように酩酊するばかりで、絡んだような論議がそこかしこで火が付き、まとまった話し合いとは程遠く、やれ先に手を出したのはおまえだろ、やれファシストめ、一人残らずぶっ殺してやる、などと会合というにはふさわしくない有り様であった。しまいには、お調子者のトクさんが、俺のイチモツは餅のように伸びるでね、と机の上を狂ったように駆けずり、それを嬉々として見ていた連中が、餅なら茹でろ、と熱々の鍋をトクさんの局部のところまで持ち上げ、伸ばしたイチモツを熱湯に浸けてしまった。トクさんは、きゅう、と悲鳴ともいえない声を上げ、卒倒した。その様子を見ていた野良犬どもは腹が捩れるほど笑い転げ、失神しているトクさんのイチモツを箸でつかみ、頬張る真似をする輩まで現れた。とうとう見かねた議長が恫喝を持ってその場を制し、立ち上がって言った。諸君には理性というものがないのか?実に嘆かわしい!我々が論ずるは国家の行く末であり、そのようなひしゃげた餅などどうでもよろしい!その場はしんと静まり返り、トクさんの浅い呼吸だけがひゅうひゅうと鳴っていた。会合の有り様に辟易していた国生は、甲高い声を持って、異議なし!と叫んだ。国生の声に続いてあちこちから、異議なし!との意思表示がされた。その様子に満足げに頷いた議長は、改まって咳払いをすると、それでは今後の方針を決めていきたい。なにか意見のある者はいるか?と言った。とたんにざわめき立った。誰も意見なんかあるはずもなかった。会合なぞは名ばかりで、体裁を気にする上層部がカタチだけでもと、開いているものだからだ。戸惑うようなざわめきは、どうせ上層部で勝手に決めてくれんろ、とでも言いたげだった。議長はそのざわめきを意味ありげな笑みを添えて眺めていた。国生をはじめとする野良犬どもは互いの顔を探るように見合った。嫌な予感がした。全身が粟立つのがわかった。下手に発言するのは避けた方がいい、と全員が目で合図したのもつかの間、あのう、と遠慮がちに手を上げるやつがいた。新人の片瀬だった。その場にいた野良犬どもに戦慄が走った。皆が片瀬の発言を待った。片瀬は頬を赤らめながら言った。ば、爆弾なんかどうでしょうか?
 東亜細亜平和革命軍、通称東平軍は困窮していた。先行きに不安を感じていた。保守政党が政権を取って、すでに半世紀が経とうとしていた。世の中は右傾化の一途を辿っていた。我が国が護持してきた平和憲法はあっけなく改正され、国は軍を保持した。軍事費はGDP比四%にものぼり、最新鋭の戦闘機にミサイル、そして核を保有していた。実際に戦争も起こった。東アジアの独裁国家に人的救助という名目で連合軍が攻め込んだ際、我が国の軍もその名を連ねていたのだった。この出来事は「平壌作戦」と呼ばれ、戦争というワードは用いられなかった。しかし、現実は兵士二千人、民間人三万人の死者を出す惨事となった。独裁国家は滅び、難民が溢れた。難民は隣国へと避難したが、隣国で悪夢のような出来事が起こった。「四・一二事件」である。難民の始末に困り果てた隣国政府が秘密裏に行った大量殺戮だ。この事件は表だって報道されていないが、誰が見ても明かな事実であった。その間、東平軍はただ指を加えて傍観していたわけではない。国会前で大規模なデモや座り込みを実施し、警官隊とも幾度となく衝突してきた。国家の愚行を糾弾するビラを東京各地でばらまいたりもした。しかし、そのどれもが混迷する社会の渦に呑まれ、変革する力とはなり得なかった。そんな現状を鑑みてか、ひとりまたひとりと東平軍を脱退してゆく者が後を立たなかった。皆が具体的な打開策を欲していたのだ。一九七十年代、極左団体が引き起こした数々のテロ事件の反省から東平軍は平和革命のスタンスを貫いてきた。デモ、座り込み、ハンスト、そしてペンを持って武力と対抗してきた。だが、その成果は見えなかった。上層部のなかには、武力には武力を持って抵抗しようという強硬派も現れるようになった。強硬派の出現は上層部の派閥争いへと発展した。俗に言う内ゲバのようなことも起こった。上層部の混乱は同志たちの士気を下げる結果となった。月に一度の会合も飲み会のような様相を呈し、かつてのような国を変えようという気負いは見られなくなっていた。同志たちのなかには精神病やアル中、強いてはヤク中になった者までいた。誰もが現実と理想の狭間でもがき苦しみ、自分たちの非力を憎んだ。そんな同志の間に不確かな噂が広がった。上層部がこれまでの平和革命路線を捨て、積極的平和革命と銘打って武力を持とうというのだ。同志たちは困惑したが、反対に希望の兆しが見えたような気もした。暴走する国家を止めるには武力しかないのだと諦めにも似た境地に達していた。
 そんな状況下での昨日の発言である。ば、爆弾なんかどうでしょうか?という言葉はあまりに刺激的だった。まだ若く、状況も理解できていない若造の発言とはいえ、誰もが心の底にひた隠しにしていた感情を代弁してくれたように思えた。片瀬はひどく怯えたような表情で周囲を見渡した。誰か助け船をだしてやれ、皆がそう思っていた。長い沈黙の後、異議なし!と叫んだ男がいた。野村だった。野村は最古参メンバーのひとりで野良犬たちの兄貴分的な存在だった。その場にいた全員が野村に注目した。野村の顔は赤らみ、手は震えていた。しかし、目ははっきりと前を見据えていた。国生はその目に心底感動した。気づいたら立ち上がっていた。声高らかに、異議なし!と言うと、おもむろにあぐらをかいた。これが国家の為だ。苦汁を飲む思いだった。そして、堰を切ったように異議なし!という声が上がり始めた。会合が終わる頃には皆がひとつの方向を見ていた。

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