HSPとその他②


こんにちは、ぽぽです🌷


前回は性格のお話についてでしたが
今回は人と会った時にどうなるかと
言うことをお話ししたいと思います



初対面の人とお話する時



初対面の人とお話する時はまず顔が
赤くなります。恥ずかしいとか照れる
とかではなくて何故か赤くなって、
嫌な汗が湧き出ます。(何故だろう)

メガネをかけている時はメガネが曇る
くらい顔がほてってしまうので大変です

自分から挨拶をする時は遠くから狙いを
定めて(獲物でも狩るんか)心の準備を
してから声をかけます。

すると、


「おはようございますぅ⤴︎」

何故か声が高くなります(笑)

声の調整ができなくなるんですね、はい。

電話とかで声が変わる変わり方ではなく
声優になりたいんかと言うくらい声が
変わるので結構周りから「クスッ」と
笑われたりとかもありまくりです。

じゃあ周りから声をかけられたら
どうなるか?


「おはようございますぅ⤴︎⤴︎⤴︎」


増します。(笑)


ちなみに地声はほんのりハスキー
(声帯結節)で低くも高くもない普通の
高さです。

緊張する場面は100%なります

赤面+汗+声変わりのハッピーセットです


知人・親戚と話す時は


じゃあ知り合いの時はどうなるのか?

普通に話せます。が、私は結構
お喋り好きで余計なことも喋って
しまうのでセーブするように
心がけています

別に聞いていないのに喋ってしまったり
人の話を途中で塞いでしまうのが日常茶飯事
なので大人になってからはそうならないよう
に人と話す時は頭の中ではいつも喋りすぎ
るなと言う警告を置くようにしています

なのでセーブができなさそうな時は

「笑顔で頷く」

これを徹底しています。

これは初対面や知人など関係なく
誰にでもやってしまうので自分と
距離が近いほど出やすいので気を
つけています。

幼少期〜学生の頃はこれでかなり
苦労しました。今は自分で気づき
改善できるところまで来ているので
まだ大丈夫です(たまに興奮して
喋り倒してしまいますが後から後悔して
して人と会った日の夜は基本1人反省会)


緊張する場面ではどうなるか


皆さんもあるのではないでしょうか?


例えば、


国語で音読を当てられた時、
算数などで計算ができたら先生に
答えを言いに教卓へ行く時、
自己紹介(返事のみでも)をする時など


緊張する場面ではどうなるのか?


私の場合は


●まず顔が強張る(赤くなる)

●そして手が震える

●声が震える

●涙が出そうになる

●汗が大量に出る



最終的には



●テンパってしまう(混乱)


状態になってしまいます。
話しかけられても何かを説明しようと
しても頭の中が真っ白になってしまって
声も震えるし本当に大変でした

これが後々仕事にも影響していきます


この症状も幼少期からで特に症状が
強く出始めたのは高校生になってからでした

陽気でお喋りなはずなのに急に
誰とも話せなくなってしまい、
学校生活も自分自身も嫌いでした

残念なことにこの症状は3年間続きました


なので高校時代の友達はあまりいません

無事卒業できたのが私の人生の救いですね


高校生活も沢山ありすぎて心を閉ざした
まま卒業したので周りからは人見知り、
面白くない、つまらないなどの陰口も
よく自分の耳にも聞こえていました(笑)


外見でもからかわれることがあったので
卒業してからはダイエットをしました。

1年で10キロ痩せて今みたいにスマホで
YouTubeを見る時代ではなかったので
メイクも100均で揃えて雑誌を買って
見よう見まねで頑張ってみたりと沢山
美容を勉強しました

そのおかげでコスメが大好きになったし
外見もかなり変わったと思います。
(みんな驚いてたので)


その頃に気付いた1つの心の変化が今でも
変わらずこれだけは忘れないようにしています


それは、


自分が変わって周りが変わる


と言うこと。


それまでは、


周りがこうだからだ、

お母さんがこうだからだ、

誰かがこう言ったからこうなんだ、

この人がいなかったらよかったのに


などなどとにかく環境のせい人のせいに
していたんですね、要は悲劇のヒロイン的な。


子供の頃がこうだったので大人になって
から気付けて本当に良かったと思います


育児的(家での生活)では親が厳しかったので

●門限を過ぎるとひたすら怒鳴られる

●親の言うことに従わないと悪い結果
 になった時にかなり責められる
(場合によっては長期間ぐちぐちと)

●「お母さんの言う通りにしなさい」が
  決まり文句


ちなみに門限はかなり厳しく20歳を
過ぎた頃は6時〜7時過ぎくらいでした

高校生の頃は朝登校したら無事着いた
ことをメールで報告し、帰りのバスの
時間を電話かメールで教えるのが日課でした

バスが混んでて次のバスを待つ連絡を
した時はかならず迎えにくるくらい、
(割といい迷惑)

それをしないと一日中機嫌が悪いので
大変でした。最初は心配性なのかと
思ってました(3年間ずっとだけど)

学校帰りは友達とご飯食べに行ったり
遊んで帰ることを連絡すると、

遊んでいる途中で(5時過ぎたら)
鬼電鬼メールで嫌だったのを覚えています


『今どこにいるの?』

『何してるの?』

『何時に帰ってくるの?』

楽しんでる時に連絡きたかと思ったら
『もうその場所に着く』と言う連絡が
入って勝手に帰宅させられると言うのも
当たり前でした。ご飯を食べに行ってても
連絡してるにも関わらずもう迎えに行く
と言う連絡だけ入ってご飯を残して
友達とお店を出る事も多々ありました

私は友達に凄く申し訳なく本当に
嫌でしたが周りの友達がよく言って
いたのは「お母さん心配性で優しいね」

でした。


逆に周りの友達はそんな頻繁に親から
連絡が来ないことの方が私は当時不思議で
仕方がなかったです。

彼氏を作れば

「どうせ○○ホテルでも行ってたんだろ」

「もう○○○した?ちゅーもした?」

「どうせ遊ばれてるだけ」

「○○(親戚)が、○○(私)のことを
 男が出来て性格が変わったって言ってた」



などもう耳を塞いでいたい
くらい、嫌な時期もありました。


別れれば、

当時心配してくれた叔母が迎えに来て
くれて、少し泣いてしまいそのことを
親に報告したのがもう最悪で、


「そんなんで泣くとかキモい」

「そもそも人前で泣くとか有り得ない」

と言うのを1週間近く言われました

挙げ句の果ては親戚に電話や直で
言いふらすと言うのがお決まりでした


今思えば本当に今まで見てきた人間の中で
上位で最低な方だと思います。親だから繋がり
があるだけで親だからこそ今でも助けてくれ
る部分もあり今でも仲は良いけれど
(親も少しは変わりそれも後々書きます)

1人の人として見ると最悪な人間、まじで。


幼少期からずっとこんなんなので、
小学2年生くらいから出た今でもかなり
困っている症状の一つが(何個かある)


抜毛症でした


この症状(行為)の名前を知ったのは
高校を卒業してからです。

定期的に禿げるんですよね、色々


初めて症状が出たのは先ほども言った通り
小学2年生くらいで眉毛でした。

凄く怒られたのを今でも覚えています

私的なは地獄はそこからでした


歩くメガホンこと私の親はそれに
気付いた瞬間親戚みんなに電話。

悪口悪口悪口悪口悪口悪口


布団で静かに泣いた時期が数えきれない
くらいありますね。一桁の数字の年から
今でもずっと続く症状が今でも嫌で、

最近はなんとなくそれなりに抑えること
ができています。

それはまぁ序の口で、

禿げればキレられ怒鳴られまた報告、

大丈夫?とか心配されることは特になく

とにかくいつも怒ってるイメージが強かったです


完璧主義な親なのでそれがまた
厳しくて。出来て何かを報告しても
「そんなん出来て当たり前」

私は誰にも教えられず料理を覚えたから
お前もやれと怒鳴られキッチンに立たされると
言われた料理を作れと言われ、作れなくて
また罵倒されると言うのも多々ありました


今思えばなんやお前と言いたいところですが


でも『思い出は美化される』のでね、

↑この言葉覚えておいた方が良いです

多分この先結構出てくると思います(´⊙ω⊙`)

母の記憶では優しくて笑顔が絶えない
生活だったらしいです。

そして父にも難ありだったのでそれも
少しだけ後々書いていきたいと思います

これも私のこれから出てくる症状が
現れる原因の一つでもあるかと思います



確かに楽しかった記憶は沢山有りますが、

それが全て良かったといえばそうではなく
私は絶対こうはなりたくないと思う気持ちは
今でも変わりません。

心配性が度を過ぎているのか?

それとも執着心が強いのか?

支配欲があるのか?



分からないけれど大変だった
10代20代前半を過ごしました

子供がいる今ではあまり自分の親の
ようにあまり過保護になりすぎないように
していますがいまでも自分の親からは
「冷たい」「可哀想」「心配じゃないの?」
と聞かれる時もありますがそれは臨機応援。

その時にもよるし、自立心や自分の考えを
述べる(言える)環境も作っていくことも
大事だと思っています。威圧では絶対
育てたくないですね。

育児に正解はないけれど自分なりに
どうすればいいのか考えながら子育てを
するのも楽しんでいます。

悩んだり、楽しんだり、不安になったり
なんて沢山ある中で正解はないけれど

ひとつだけ言えることは


自分の親のような育児はしたくない


ご飯もお弁当も欠かさず全部手作りで
作ってくれてたのも嬉しいし感謝してるし、
高校を卒業できたのも両親が必死に働いて
くれたからだしでも今自分が大人になって



私のおかげであんたはまとも


と言われるのはそれは違う


あなたに似たら多分人生終わってる


変えようと努力をしまくった結果
自分を立て直すことが出来たから、
今の自分がいるだけであなたの子供
だからあなたのおかげでもない。


難しいですよね🤔


私は絶対生きていく上で、


●感謝をする(言葉に表す)

●謝ることも大切

●相手を敬う

●親しい中にも礼儀あり

●挨拶も大切


それだけは忘れない。

だから親にも周りにも感謝しています



書いていることが全てではないので

こんなこともあるんだなぁ、
私も似たような経験したことある!
程度に見て頂けたらと思っています


今回はここまでです


ちなみに私は病んでいません


元気です、毎日笑顔です!!!!
過去の話なので思い出話みたいな物です



最後まで読んで頂きありがとうございました


次は③です。過去が沢山ありすぎて
HSPはどこへ?!って思う方もいると
はおもいますが後々出てきます😊🌹



では、さようなら〜🌻

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