見出し画像

「我が青春のドイッチュラント」(8) 番外編 クロアチアへ

1998年7月、私は招待を受けて、初めてクロアチアへ行くことになった。生涯忘れられない旅となったその夏のことを記そうと思う。

事の起こりはロマンティック街道の街ディンケルスヴュールでのこと。同じ宿でドイツ人М氏と知り合ったことから始まった。
短く刈り上げた白髪のМ氏は「プッペンドクトール(人形の医者)」という珍しい仕事をしていて、国中の色んな街を訪れては、壊れた人形を修理しているのだと語った。孫娘と覚しき15、6歳の少女が彼の英語通訳の役目をしていた。

私達は写真を撮り合い、住所氏名を教え合って別れ、約2年間、文通をしていた。よく各地の新聞に掲載された彼の記事の切り抜きが送られてきたので、ドイツでは有名人だったのかもしれない。

「クロアチアのクルク島に別荘を持っていて、毎年夏のバカンスを過ごしている。君をぜひ招待したいので来ませんか。」という手紙を受け取ったのはその年の春だった。私は驚くと同時に、嬉しさで飛び上がった。

日本からクロアチアへは直行便がなかったので、まずドイツに飛び、フランクフルト空港からクロアチアのマリンスカ空港に着いた。
М氏夫妻と黒い髪をショートカットにした背の高い40代半ばの女性とが送迎口で迎えてくれた。「女友達」と紹介されたその女性は、車の運転と英語通訳をしていると言った。М夫人は60代の半ばだろうか。白髪交じりの髪を肩までたらし、度の強そうな眼鏡をかけた地味な印象の人だった。

クルク島はアドリア海北部に浮かぶ島で、1980年に掛けられた長さ1430メートルの橋で本土と結ばれているそうだ。クロアチアには1000以上もの島があることも知った。

別荘は予想より広く、私のために2階の1室が用意されていた。
私は練習してきたドイツ語でМ氏にお礼の言葉を述べた。彼は「何を言っているのかわからない。」と言ったが、女性達は、「ドイツ語じゃないの。」
「よくわかったわ。」と言った。

太陽が没したばかりの夕べ、海からの風は穏やかで涼しかった。
海沿いの道を4人でぶらぶら歩き、レストランへ。獲れたての魚がおいしい、島一番の店だとのこと。


店内はディナー客でほぼ満員だった。日本では生け簀の中で魚を泳がせているが、ここでは氷を厚く敷いたショーケースの中に見たこともない魚達が並べられ、活きのいい証拠に跳ねていた。
「好きな魚を選んだら、すぐ調理してくれる。」と言われ、私は淡い色をした魚を指差した。
野菜もたっぷり添えてあり、非常に美味だった。

夕食後、再び海沿いを歩き、1軒の宝石店に入って行った。
М氏は私に、「旅行の記念に何か買うといい。」と言って、ショーケースからネックレスを出させた。エメラルドだったかサファイアだったか覚えていないが、10万円はしたと思う。
「こんな高価な物、私には買えません。」と言うと、店の主人は、「それならこちらを。」と、ネックレスやリングを取り出し並べ始めた。
「いいえ、私には無理です。ごめんなさい。」と断った。

気付くと、М氏夫妻とオーナーに囲まれ逃げ場もない。「女友達」は、「何でもいいから何か選びなさいよ。そしたら帰れるじゃない。」と言った。
「これなら買えるでしょう。ほら、たったの2万円。」と、オーナーは更にしつこく迫ってきた。

М氏と妻は私を睨んでいた。私は涙を浮かべながら言った。「買えません。許して・・・。」
ついに彼らは諦めた。М氏は怒ってズンズン先を行き、みんな無言で従った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?