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バイト体験記19- 私はコレで鬱になりました

正式には 'アルバイト' ではないのだけど、
とある大手の総合商社のお仕事でした。

馴染みのない業界

商社で働くことになるなんて、
そこに入るまで
全く1mmも思ってもいなかったのですが、

ひょんなキッカケで紹介されて
働くことになりました。
フルタイムで。

たぶん、海外経験や英語力を
かってもらえて採用されたのかな?!
そこまで英語はできないけどね。

それ自体は、
とても誇らしくありがたいことでした。
5大商社に入るかなりの大手だし、
海外にも関わるお仕事だし、
そのまま働き続けていたら
社員にもなれたはずでした。

ただ、その時、世間知らずな私は
「商社」が何をする会社なのかさえも
その会社名も知りませんでした💦
(常識として知ってなきゃいけない大手なのに…ひどい私…)

全く興味のない業界だったもんで…
と言い訳しておきます😅

なので、仕事の内容も初めて聞くことばかりで
この作業は何のための作業なのか?
を理解するところから疑問だらけでした。

初めの理解に時間がかかる

また、普通は"何のため"の作業とか考えず、ただ言われた処理だけを覚えて実行するものなのかもしれないけど、私は全体像を把握して、作業の意味や理由、流れを理解して納得できないとなかなか覚えられないタイプで、モノにするのに初めは少し時間がかかるんです…。

一度理解してしまえば
なんてことはない内容なんだけど、

臨機応変は私には難しい

人手不足だったこともあり、
それまでのバイトとは違い、
仕事の研修や説明がないまま
ほぼ放置され、やる事がわからない状態でした

質問したら、
「自分で考えて!」と。
自分の判断で進めると、
「ちゃんと質問して!」と。
何をどうやっても怒られるという…😭

唯一、先輩の分の仕事もした時だけ
感謝されたかなぁ。。

その先輩の決まり文句は
「臨機応変にやって」でした。

これ以来、
私は「臨機応変」という言葉が
トラウマ級に大嫌い
になりました(笑)

また、矛盾することを上から目線で言ってくる(命令してくる)人がやたら苦手になりました⚡️

もう、、、
嫌いというレベルではなく
反射的に拒否しちゃう感じ💦

後に、
私は発達障害のASDが軽くあることがわかり、
具体的に言ってもらえないと
理解しにくい性質があることがわかって
自分自身、腑に落ちました。

雰囲気

さらに合わないなと感じたのが雰囲気、

商社って、体育会系のノリの良い派手な
パリピタイプが多いんです。人にもよるけど。
世渡り上手な方が多いなぁと。
(商社勤務の方いたらゴメンナサイ🙏)

女性はバッチリメイクに網タイツ履いて、
タクシーに乗ってランチ食べに行ったり、
場所柄もあってか、とにかく華やか。
バブル期か!とツッコみたくなる。

会社にもよるだろうけど。

婚活?

また女性は、数年働いたら結婚して、
早期退職したいという考えの方が多くて
「今時そういう感じなんだ…」って
結構カルチャーショックで。

それはそれで人それぞれ自由なんだけど

商社に入る多くの女性はもしや、、
結婚相手探しのために入ってくるのかな?
とさえ感じてしまいました。
(そういう人ばかりではないと思うけど)

商社マンと結婚して、
海外転勤について行って、
セレブ妻になる、みたいな?!

それでも実際に入社したんだから凄いことです。

だからか休憩中に話す会話も
なんか全然かみ合わないし楽しくない…。

結局は自分にはできなかったけど、
私は自分自身がバリバリ働きたくて、
その頃はやる気に満ち溢れていたのです…
いずれ社員になってバリバリ働くぞ!って。

そして鬱に

それに反して空回りばかりして
病んでいく私の心と、
回らなくなっていく頭…😅

そんなこんなで、
「フルタイムで働く環境」に慣れていなかった私は
あっという間に鬱になりました…笑

タイミングも色々悪すぎたんだと思います。

そのうち仕事はできるようになっても
人とどう絡めば良いかわからなくて…

ある意味、私の頭の中はお花畑すぎたのかもしれません。
バリバリ働く夢ばかり見て現実を見れていなかったのかも。
自分の能力値と価値がわかっていなかったのかも。

砂漠の中のオアシス

中には優しい先輩もいました。
とても美人で優しいお姉さん先輩には憧れていました。

1日1回、行く先の郵便部署のおじさんも
いつもニコニコ笑顔で癒しでした。

窓から目の前に見える夏の花火も最高でした!

お正月にみんなで食べる懐石料理も
最高でした!(バブルか!)

ペイン

でも、直接仕事を教えてくれた先輩が
怖すぎた…💧怖すぎたーーーーー!
前任者も1年で辞めたみたい…

毎日関わらないといけないからね…

チームのリーダーに相談しても
「自分も怖いんだよねー」って
まともに取り合ってもらえず…

もはや、その仕事に向かう途中で
体に拒否反応が出てきて
朝の電車の中で体調悪くなる日々でした。

病院ハシゴしても何も診断出ないのに
私は眠れなくなり笑えなくなり、

人間としての機能も、
どこかに落としてしまったような。

結局、その怖い先輩、
私が辞めた直後に寿退社したみたいだけど
私の壊れた心はすでに修復不可能になり、
もはや他の場所でさえも働くことができなくなっていました。

弱すぎたねー私。

その後

そこから人として立ち直るまでがまた長くて、
人は本当にショックなことがあると、
それを人になかなか話せない
もので、
これを人に話せるようになるにも
相当な時間がかかったし、
冷静に振り返れるようになるのにも
相当な時間がかかりました。

今も、何かのきっかけで病みそうになります。
正直、まだ引きずっています。

この記事を書きながらも
思い出して涙が出てきます。
だから、公開にするかどうか何度も迷って
今やっと公開した感じ。

何がそんなに辛かったのか、、
うまく説明できないし、
自分自身も感覚的なのでよくわかりません。

細かいことはあまり覚えてないけど、
その時の感情だけが私の心の中に
取り残されています。

でも、それをバネに
いまは音楽をがんばっています。

落としたガラスのよう

人の心は、一度落として割れたガラスが
完全体に元には戻らないのと同じなのかも。

接着剤で貼り付けて
パッと見は元の形に戻っても
ヒビは消えないし、
少し力を加えるだけで壊れやすいように。

完全な引きこもりにならず
がんばって生きてるだけ
エライって言ってほしいよぅ。

サポート大変ありがたいです(*ノωノ)☆彡