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フォトグラファーと名乗るのは、ちょっとだけ後ろめたかった

実はフォトグラファーとして本格的に活動しだしたのはここ10年弱で、それまではコピーライター/ライターをメインとして活動していました。

転機となったのは、世の中にデジカメが出回るようになった時期と、インターネットの普及、そして自分のフリーランスとしての独立が同じタイミングだったのです。

フィルムの頃から写真は撮っていました。オートバイが好きで、ツーリングなどに行くときは必ずカメラ持参。ちょっとだけナルシストなので、自分のバイクを撮っては悦に入っていました。

このころは撮影は楽しかったものの、まさか職業にするとは考えていません。

大学を卒業して、最初に就いた仕事は雑誌の編集部でした。ここからいわゆるマスコミ系の業界に足を踏み入れることになります。この編集部は訳あって一年ほどで退職し、次に入ったのは広告の制作会社でした。小さいながらにMacをいち早く導入するなど意欲的な会社で、自分用にも一番最初のパワーブックシリーズであるPowerBook140を与えてくれました。いま思えばメモリが4MBでハードディスクが40MBと、良く動いていたなというスペックでしたね。

話が逸れたので元に戻しますね。ここではちょうど歳が近いフリーのフォトグラファー、そして同い年の会社所属のフォトグラファーがいて、「カッコいいなぁ」って憧れてました。当時はまだフィルムだったので、自分には無理だなぁって思っていたのですが。

バブルとともにこの会社も斜行していったので、次の就職先を探して行き着いたのは某クルマメーカーのカタログや広報誌を手がける会社でした。思えばここでの経験が自分の人生に大きく影響を与えてくれた気がします。

やはり大きな広告を扱う会社なので、依頼するフォトグラファーやイラストレーターにはビッグネームが多く存在していました。この時点ではまだコピーライターだったので、フォトグラファーの方たちと一緒に仕事をすることも多く、可愛がっていただいていました。

世界ラリー選手権に参戦しているメーカーだったので、何度か海外にも行っています。そのときにFIAにスタッフ登録するのは自分だったので、フォトグラファーとして登録して、一般の人では入れない場所から撮影していました。まわりにはベテランのカメラマンがいるので、教えてもらいながらシャッターを切りまくって。この経験が、本格的に写真を撮る面白さに目覚めたキッカケでした。

転機となったのは、世の中にデジカメが出回るようになった時期と、インターネットの普及、そして自分のフリーランスとしての独立が同じタイミングだったこと。WEBマガジンは作りたいけど、予算がまだ取れない。もし写真も撮れるならお願いしたい、という案件が多かったのです。

そんなフリーになりたての頃にとてもお世話になったのが、某クルマ雑誌の表紙を撮り続けている大御所フォトグラファー。いまにして思えば、ホントにこの人のおかげでフリーになりたてでも生きていけたんだなぁって思う。いまでもちょっと世間をなめているところがあるけど(笑)、当時はホントに右も左も、世間の厳しさもわからないままフリーになったから(金髪にしたいという理由だった……笑)、この人がいなかったらすぐダメになっていたかもしれないです。

その後だんだんライターからフォトグラファーに移行していって、10年弱前からカメラメインの仕事に切り替えました。子供をメインに家族写真やフォトウェディングはじめ、イベントやライブ、取材、料理などなども撮影してきました。

とはいえ、元がライターなので、一緒に仕事をしていたフォトグラファーの方、特にお世話になった大御所や先輩たちには「いまはフォトグラファーです」って、胸を張って言いづらかったのです。自分たちの頃にはフォトグラファーにも師弟制度がまだまだ残っていて、ずいぶんと厳しくされているお弟子さんたちを見ていたので、自己流で始めて勝手にフォトグラファーと名乗っているのが、ちょっと後ろめたかったのです。

そして先日沖縄の中のローカルなフォトコンテストですが、ベストロケーション最優秀賞をいただきました。この写真をFaceBookにアップしたところ、お世話になった方からお褒めの言葉をいただきました。もしかしたら社交辞令かも知れないけれど、涙が出そうになるほど嬉しかった。

いままでは後ろめたかったのだけれど、これからは胸を張ってフォトグラファーになれました、といえそうです。

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