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プロレスラーへの道①

日本で言うプロレスを、メキシコではルチャリブレと呼ぶ。
選手、つまりはプロレスラーのことをルチャドール(女性の場合はルチャドーラ)という。
メキシコではルチャリブレが生活にとても密着しており、ルチャドールの数も日本とは比べ物にならないほど多い。
私は今から20年近く前、ルチャドールを目指してメキシコに渡った。

結果的に約一年間メキシコに滞在することになるのだが、当時のことを思い出しながらここに綴っていきたい。


〜メキシコ行きを決意するまで〜

私はとあるプロレス団体で練習生をしていたものの、長年デビューすることが出来なかった。
当時所属していた団体は道場がなかった。
リングでの練習は、月に数回開催される大会の試合前のみ。
しかも、先輩たちは試合を控えているのでそんなに長い時間は練習することが出来ない。

だが本当はそんな事は言い訳のようなもので、当の私も日々の飲み屋でのアルバイトに明け暮れて、自主的に通わなければならなかったトレーニングジムにもほとんど行けず、体作りもろくに出来ていなかった。

デビューの四文字を中々見出せず、セコンド業務ばかりが上達していく事を自覚して、自嘲気味に「プロのセコンドを目指す」なんて言っていたこともあった。

だが、とある一言をきっかけに私の人生はまたデビューに向けて歩みを進める。
大会後の帰りしな、たまたま一緒に地下鉄に乗っていた先輩とのふとした会話でのことだ。

「バイトも良いけどさ、とりあえずしばらくメキシコに行ってプロレス漬けになってみたら?」

多くの先輩たちがメキシコで修行を積んでいたので、『いつかは自分も』という想いがあったのは間違いない。

しかし、アルバイトが生活の軸になり完全に切り離すことなど考えられなくなっていたし、既に半ばプロのセコンドとしての位置で落ち着きかけていたので、先輩たちは誰もそんな言葉を掛けなくなっていた。

そんな私にとって、三周くらい回って原点に立ち返らせてくれる、目から鱗の一言だ。

なぜかその一言は、スゥッと胸の奥まで入ってきて、次の瞬間にはメキシコ行きしか考えられない。

そう思い始めると、いても経ってもいられなくなり、翌日にはメキシコに行くと周囲に触れ回っていた。

先輩に報告すると、偶然にも他団体の練習生が同時期にメキシコ修行に行く事を知らされる。
とても運が良いことに現地で一緒に行動させてもらえるという。

当時貯金は20万円ほどしか無かったが、周囲からの選別を50万円近くいただいて、15万円ほどの渡航費や当面のメキシコでの生活費に充てられることになった。

あれだけ辞められないと思っていたアルバイトは、オーナーのプロレス挑戦への理解もあり、数日後には辞めるまでの段取りが決まっていた。

それが狙った通りかは別として、とにかく動いてみれば動いただけ周囲の状況は変わるのだ。
水は流れが止まった時にこそ澱むものだ。

それから早く、あっという間にメキシコ行きの日がやって来た。

〜続く〜

メキシコシティにある常設の大会場アレナメヒコにて。

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