見出し画像

健全な劣等感を持っているか?

学習を継続する上で、「他の人と比較しない」ことが挙げられます。他の人と比較するデメリットは、自分の欠点が目につくからです。そして、それらがモチベーションを下げます。「あの人はあんなにできるのに」と自分に限界を感じさせてしまう。

これは辛い。

「どうすれば他の英語学習者とうまくやっていけるのか」と考えていたところ、200万部超のベストセラーである『嫌われる勇気』の一節に出会いました。

健全な劣等感とは、他者の比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるもの

嫌われる勇気

ふむ。比較するのは「他の人」ではなく、「理想の自分」であれ、ということですね。過去の自分と比べなさい、というのはよく聞きますが、これは「未来の自分と比べなさい」ということですよね。それこそが健全な劣等感である、と。

例えば、TOEIC で990点満点を取りたいのであれば、他の人と比較しそうになったら、「990点を取得した自分」との比較に落とし込む。「まだリスニングの量が足りない」とか「Part 7 を読む量が足りない」とか。差分を見る感じでしょうか。でも、こういうことを考えているときに、自分の先を行く他の人のことを考えてしまうかもしれません。違う。比べるのは「理想の自分」

「あの人には勝てない」といった、「他の人」との比較をすると、自分の中に制限をかけてしまうのでしょう。だから、「他の人」との比較は健全ではない、と伝えていると解釈しています。

日々、理想の自分とのギャップにヘコみつつも、やっていれば必ず前進はしています。めげずにレベルアップしていきたいものです。

僕は TOEIC で満点を目指していたときに、ライバルがいました。ただ、後日相手に聞いてみたら、相手側は「自分はそんな風に思っていなかった」と言っていたのですが。自分はライバルがいたおかげで、目標に到達できたと感じています。

『嫌われる勇気』の中で紹介された「健全な劣等感」に反してしまうのですが、他の人と比べてモチベーションが上がるなら、それは有効活用すべし、だと思っています。競争社会のほうが燃える人っているじゃないですか。

ただ、他人と比較したと言っても、能力的な部分は比較していません。あくまで表面上のスコアだけ。「あっちがあれだけ取ったなら、自分はさらに上に」みたいな感じです。

だから、他人のことを少し意識しながら、理想の自分と比較する、というイメージでしょうか。「それなりに健全な劣等感」とでも言いましょうか。

能力や環境を比べ出すと、自己嫌悪に陥ります。「あの人の環境があったら、自分も取れるのに」のような、謎のネガティブスパイラルに入っていくでしょう。「他人と同じ◯◯だったら」という仮定法は無駄。他人と比較してネガティブになるくらいならば、他の人の情報はシャットダウンしたほうが吉です。

他の人の情報に振り回されて生きるのだけはやめたい。

この記事が参加している募集

ビジネス書が好き

もし内容に共感をしていただき、有益だと感じていただけたら、サポートをお願いできますと幸いです。情報を広める手段として使用させていただきます。