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ポートあとがき「新たな船出に際して」

私の好きな考え方に、7割の法則がある
この命名主は私で、きっと同じような考え方がどこかしらに正式な名称としてあると思う。

物事、例えば仕事だとか人間関係や小説を書くことなどなどには、必ずここまでやれば十分だろうと言う共通認識がある。
そのラインをなんとなくわかるようになることが
何事においてもうまく行くコツであると言う考えだ。
なぜ7割かと言うと、人間は常に10割を求めて生きてはいられない。だいたい7割くらいを意識しての付き合い方が理想でそれ以上を求めるとなるとストレスがかかってくる。恋人と友達は違うのだ。

仕事に於いては、7割がわかるようになれば、残りの3割は例外だ。
7割の重要な最低限のラインがあって、時たまに3割のレアケースがある。7割を充分に熟せるようになる事には、一人前と言って良い。
新入社員が2、3年経つと、7割のラインが分かるようになり、残り3割への応急措置くらいは分かると思う。

小説においての7割とは、いわゆるマジョリティである。本来はとても微細に渡るものではあるが、ザックバランに話してしまえば、おおよそ「小説」には何か問題を抱えた人間が大体2人はいて、すったもんだしながら、最後は開放にむかったり、沼に落ちて行ったり変化をする。
抽象がすぎるがこんな感じだ。もちろんこれがラブストーリーであれば2人はくっつくだろうし、ミステリーなら、時間は解決し犯人は明らかになる。
いわゆるお約束に近いところの話だ。
もちろん、悲恋モノだってあるさとか事件は解決したかに見せかけて実は?みたいな匂わせをして終わるモノだってあるもん!みたいなことを言える人は、それは3割だと私は思う。

もちろん3割を軽視しているわけではない。
3割はあることだと認めつつも、それは7割あっての3割だからこそと言う恩恵を受けている部分もあるわけだ。ストレートに対するカーブ。光あっての陰。出会いがあっての別れなのだ。

しかし人間はどうだろうか?(こんな文言のCMがYouTubeに流れてきてウザいよね)
私は、3割とは人間が普段は晒せないような部分だと思っている。7割の常識とでも換言すべき認識からははみ出してしまうような、己の割りきれなさや感情、そう言った誰しもが抱えているモノこそがこの3割には秘められていると思っている。

その3割を思い切りさらけ出すことが創作だ!とでも言うと思ったか?
残念ながら私はそうは思わない。3割は確かに創作の燃料にはなる。けれども、もしもあなたがその3割の叫びを人々に聞き入れて欲しいのであれば、7割の常識に立ち向かう事になるのだ。

常識がないまま3割の欲望をそのままに晒してしまうような小説家を人々は信じてくれないと思っている。
もしも、人々に己の叫びを読み、考えて欲しいのであれば、我々は常識人のフリをして、非常識な毒を忍ばせる他ないのだと思う。
革命は1日にして成らず。如何なる政治思想と環境を理由にしたとしても、絶対に人を殺していい理由たりえない。当たり前のことだ。

だからこそ、小説における常識、人間関係における常識、仕事における常識をきちんと知っておくべきだ。
がんじがらめになってしまいそうなのだが、我々が人間として社会的な生活を送る上では欠かせない大切なことだと思う。

私はその意味で、常識には囚われていいと思っている。大衆に迎合するわけではない。
常識からどのようにズラすかが肝要であり、そもそもその常識を知ろうと思わない不勉強な人間はちゃんとしていないと思う。

そして私はちゃんとしたいのだ。常識や現実に囚われていても構わない。そこに迎合しないのであれば。
私は現実を受け入れて生きていく。嘘をついて誤魔化さないと決めたのだ。そこで私は嘘(lie)を禁止する(ban)、lie-banという屋号を掲げた。

もちろん、Ray Banからのもじりもある。
知らない方のために補足しておくと、Ray banとは、世界一売れているサングラスを作るメーカーである。
その歴史は1930年代にも遡り、当時まともな品質のサングラスがなかったこともあり、空軍(正確には当時は空軍ではなく陸軍の中の航空部隊なのだがこれは3割だろう)パイロットが太陽に近い場所での訓練、実戦において強い光による眼精疲労や吐き気を催すことが多かった。
そこで眼鏡屋に依頼して作られた物がこのRay(光)をban(禁止)というサングラスなのだ。ここで作られたG−15というレイバン定番のグリーンカラーは今なお売れ続けている。

それから大戦も終わった1950年代以降「トップガン」などのハリウッド映画に於いてキャストが掛けていたこともあり、ファッションとしてのサングラスという概念が普及して今に至る。

レイバンのように、とまでは言わないが、元々は戦時用の道具だった物が、ファッションとして形を変えて愛される。そういう意味を破壊していくあり方は芸術的だと思うことから名前をもらった。

そろそろ本題に戻るが、私はポートから船出に際して、ちゃんとした振る舞いをせねばなるまい。
これまで応援くださった皆様方、支え合ったメンバーに感謝の意を示す。

港には船出がありそして戻ってくる船もある。寄せては引く波のように、いつかまた触れ合う機会があれば、その時はまたよろしくお願いしたい。

本当にありがとうございました。

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