エッセイを考える

エッセイ集を作ろう。
そう思い立って、しかしそもそもエッセイとはなんぞや?と立ち止まった。何か始めるときに、最初から色々気になってしまって手が止まる。ボクの一番よくある、一番ダメな事の一つである。
ネットで調べたところによれば、エッセイとは随筆の事で、文学における一形式を指す。筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文である。つまり、身も蓋も無い言い方に変えれば、作者の感想文である。
では何故いま、エッセイという呼び名をカッコ良くカタカナにしただけのモノが、様々な人の手で書かれ、世界中に溢れているのか。
著名人が書いたからとか、文体が面白いものが売れるのかとか、色々考えてはみた。だが、そうでなくともエッセイが人々に愛される理由としては、やはりヒトは誰かの考えに触れたいと願う生き物だからだとボクは思う。
たとえば様々な苦労を乗り越えた人物の人生観や、人気絶頂の女優さんが普段寝る前に必ずしている事など、誰かの生き方や考え方に触れる事は自身の成長や変化に繋がっていく。環境が人を育てる、というが、まさにその環境をつくる素材として他人の価値観が大きく関わってくるのだ。
ボクはよく漫画や小説、詩などの創作を好んで続けているが、それを製作していく過程にも、自分が関わった(あるいは取り入れた)誰かの書き方や創作に対する考え方などが無意識に取り入れられ、それによってまた自分だけでは開けなかった新たな地平が見えてくる事がある。
だから、よく「エッセイとは名前の響きで誤魔化しているが、要は誰かが好き勝手に書いた独り言だ」なんて悪態を突く言葉を聞いたりもするが、それで良いのだ。むしろ他人の意見や顔色、果ては世間の情勢なんかを気にして書かれた文章は、最早エッセイと呼べるものではない。たとえ誰かに批判されたり否定されても、自分の意見をブレずにきちんと書く。それこそがエッセイではないのだろうか。
というワケで、前置きが長くなってしまいましたが、以上の考察によりポータンの書くエッセイは基本的にポータンの好き勝手に繰り広げられます。
だって、エッセイって、そういうモンでしょ?
だから何書いても何描いても、どうか笑って許してね?
ではでは、書き連ねていきますので、宜しくお願い致します。。

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