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2022年10月前半

たまに暑い日もあるけれど、すっかり秋となり、
紅葉のニュースが流れてきたり、全国旅行割の話が一部で盛り上がっている。外国人の入国も解禁されて、街でみかけることが増えた。いま日本旅行するのは、円高のため安くて楽しいだろうなぁ。
今年は10月になっても暖かい日があり、金木犀が2度咲いた。


20221001 Sat

丸一日 鎌倉ウォーク
朝読書会メンバーと、鈴木大拙にちなんで座禅をするついでに鎌倉歩きをすることになった。地元私がコースアテンド。

コース概要
鎌倉駅:集合⇒化粧坂:登坂⇒葛原が岡:ランチ⇒東慶寺:庭⇒円覚寺:座禅⇒Kamakura Teppei:お刺身。

化粧坂の抜け道として、以前は寿福寺の墓地から葛原が岡へ抜けていくことができたが、いまは通れないらしい。以前といっても10数年前、鎌倉のお寺はほとんど拝観料をとっていなかったし、今もフリーに入れる鎌倉五山の第三位である寿福寺は、禅寺らしい山門から中門まで石を引いた道の両脇に苔が美しい参道がある。そこを通って奥の山にある墓地へ入っていくと、階段をあがっていくうちに土と根っこで出来た野性的な道に出て、恐る恐る歩いているうちに、いつの間にか葛原が岡のハイキングコースへつながっていた。同行した職場メンバーからは「ハイキングとはいえ、こんなにキツイ道だとは思わなかった!」と半ば攻められつつ、帰りに鎌倉駅近くで食べた納言のカキ氷がひときわ美味しかった思い出がある。

たぶん2010年ごろの春の大風で、八幡宮の大銀杏が倒れたとき以来、あるいはその頃から激しくなったいつかの台風以来、抜け道を遮断しているのだろう。

今回は正しい経路を通る。寿福寺の前を通り過ぎて、海蔵寺の手前を左折して進むと、この先通行止め(車用)と書いてある看板があり心細くなった先に、化粧坂はある。大きな石碑に化粧坂の文字とそのいわれが一説として書いてある。いまでいう「知らんけど」的情報。でも彫り込んだ文字が風雨にさらされ擦り減っているのを見ると、昔からの道を通るんだぞという妙に身が引き締まる思いがする。舗装道路を離れて上り始めるとすぐ、濡れていて滑りそうな斜面を通過し、ところどころ足の置き場を考えてしまう場所を多数越えていく。足元はゴツゴツした靴底で行くことが必須。といっても大変なのは正味10分くらいで、体力自慢でなくとも歩行に気を付ければ怪我なく行ける。登り切れば、老若男女が散歩する道に出て一安心。

砂岩で出来た谷に通る細い道。鎌倉時代から多くの人が通ってきた道。岩場に足の置き場が残っていて、代々多くの人の痕跡を感じる。

葛原が岡神社の脇から北鎌倉へ抜ける緑あふれる小道では、金木犀の香りから木を探したり、リスの鳴き声が聞こえて姿を探したり、落ちてきたどんぐりから樫の木を探すような、牧歌的な歩み。あぁ、これが鎌倉だ。そのうち舗装された道に出て、浄明寺脇を通って目指すは東慶寺。

このお寺の庭を、映画『杜人』の山崎さんが2年前に手入れをしたことを最近知った(あ、9月後半 9/30に書いたことだった)。 実際その場に立つと、静かに整った雰囲気が広がり、木々の下には調和が取れて草々も生えていてそれが美しい。雑草というのは、人間がそう表現しただけで自然界にはそんな区別はない。雑草ひとつない庭も美しいけれど、自然のありさまを生かした庭は気持ちいいなぁと感じる。

山崎さんの手入れは、水が通り、風が通るように、土に穴をあけ、草を刈る。目的は「大地の再生」。草木や土にとって息苦しい状態から、通りのよい状態になることで、その場が生き生きしてくる。実際に手入れした1年・2年後に、お寺の人達が違いを深く実感したそうだ。そして現在、この空気や木々を感じてもらうため、あえて撮影禁止に踏み切られた。「目の前のことに対して、「心」で感じる」ことの大切さを伝えることがお寺の役割のひとつだと考えているとのこと。

本堂前では、お勤めの30代くらいの女性がお一人で草刈りをしていらした。こういう方がきっと何人もいらして、できるときに労力を惜しまず尽力することでお庭が保たれるのだな。

奥にある墓地は、整然と並ぶいわゆる墓地ではなく、山の形に合わせて配置された趣のある場所だった。鈴木大拙のお墓を探し、和辻哲郎もみつけて手を合わせてきた。10月だがとてもお天気がよく、歩いて体温が上がっている私たちは、蚊にとって格好の餌となった。

そこから歩いて5分ほど。北鎌倉駅目の前にある円覚寺。ここで座禅をすることが本日の本題。

1時間半の間に、座禅3回(10分~15分)、寝座禅、歩き座禅、それぞれの間にお話し。という構成だった。参加者は30-40人。初めて座禅に参加したものとしては「座る座禅は、瞑想の最高峰である」「寝たスタイルでも歩いていても、呼吸や内面に意識を向けることは瞑想である」というお言葉をいただいて嬉しくなった。やっぱり私がやっている草抜きも瞑想だな。えへん。

並んで座禅をするものの、警策けいちくでたたくことはない。ちょっとやってもらいたかった気はする。結跏趺坐けっかふざができず、半跏趺坐はんかふざも長時間できないので、頭を下げて叩いていただけるかと思っていた。が、それはなし。入門なのでやさしく教えていただいた。

鎌倉という狭い地にあっても、お寺の敷地に入れば広々と感じられ、心も普段より伸びやかに静かになるような気がする。

そんな体験をしているうちに16時過ぎ。
いきなり衆生の世界に戻る。ここからは食欲主導。

17時予約した地元魚を出してくれる鉄平さんのお店へ、約30分の道のりを急いで歩く。電車に一駅乗ってもいいのだけれど、美味しいビールのためには歩こうと合意! お店についてすぐビール、そして定番のお刺身のほか、今日は太刀魚を出してもらった。太刀魚は、立ち魚、水中に縦に漂っているそうだ。日本酒も進む。

メンバーのなかには、コロナ後、初の外呑みだという人も居て、今日ここへ来てよかったと心から思える時間になった。
推しのお店。関東へ・東京へ・鎌倉へいらっしゃる折りには予約してぜひ。


20221002 Sun.

ロシア、ウクライナ
ヘルソン等の住民投票は本当か? あんなに高い率での賛成票はインチキだ・・・
いやいや、あれは事実で、疑う動きがプロパガンダなのか?

言語を禁止するという政策は、その人らしくあるな、ということで、非常に意地の悪い、生きていくのにキツイ政策。

1930年代、択捉島に住んでいた日本人の人の話を聞くと、その辛さはウクライナ国内のロシア語を日常用語にする人達や、ロシアに連れていかれたウクライナの人達と共通するものがある。そしてこれは、和人化を強要されたアイヌ民族の話でもある。オーストラリアのアポリジニの話でもある。

1:40~5:15あたりまで、北方領土に住んでいた日本人のインタビュー(↓)

アポリジニのオーストラリア議員の主張(↓)



布団を増やした。
暖かい寝床でぬくぬくする幸せがこれから始まる。
安心して眠れる。これは人間の基本であってほしい。全世界の基本的人権。

誰もがそうできるよう、物理的にも心理的にも環境を整えるよう、国連・政治・社会が最優先の仕事として実現したらすごく幸せだ。


20221003 Mon

母のスマホ機種変更のため、ショップにて待ち合わせ。

スマートウォッチを使ってみたいという話から、スマホのAndoroidバージョンを上げるためにスマホを新しくするか?というアイディアで、携帯ショップへ行ってみた。4年ほど使っているので、まぁまぁ替え時。

結論は、現状機種を使い続ける。

理由は、どうやっても月額利用料が高くなるから。
いまの携帯電話料金は、SIMを使わない限りホントに高いなぁ。
スマートウォッチは廉価版ならば古いAndoroidバージョンでも使えるのかもしれない。探してみよう。


話は携帯料金に戻る。
スマホ自体が最低でも2万円くらいして、通信料が最低でも5-7千円となると、予算が厳しくなると使えないかもなぁとリアルに感じた。

むか~し、電電公社(のちのNTT)だったときは、基本料金と通話料で3000円くらいで電話を使えたし、電話がなくても、アパートの大家さんのとこに共有電話があったり、寮に共有電話があり「〇〇さん、電話だよ~」とつないでもらうことが出来た。

いまは、個人個人が持つようになり、スマホがないと就職活動が出来なかったり、住居契約に必要とされたり、これから鉄道も紙のチケットから電子チケットアプリに置き換えようとしていて、社会全体がスマホ必須の世界になりつつある。

社会とつながるための携帯料金。一人数千円。おかしくないか?

デジタル化は全く否定しないのだけれど、そうなると、基本的尊厳のある生活をするために一人1台スマホを無料配布しないと成り立たないではないかな? 誰が意思をもってやっているわけでもないが、スマホ必須生活の方向へ動いている。意志をもっているとしたら、デジタル化を進めたい政府や関連業界? それを機に商売したい通信ビジネス業界? 生活を考える人はどこにいるのか?


20221004 Tue

北朝鮮、ミサイルを飛ばして日本本州を越えて太平洋まで届いた。これでアメリカのグアム島へ到達することも可能なのだと思われた。

日本政府は「最大限の非難」を中国経由で伝えた。
それもそうだが、金正恩に「あんた、ようやったなぁ、ついに遠くまで飛ばしたな。ただね、平和のための"手段"だぜ、ミサイルは。安易に使うなよ」くらい言ったらどうか。火遊びする子供相手に言うなら、叱るばっかりでは効果がない。


もう一度、芝刈りをした。これが今年最後の芝刈り・・・となるか?
実家の庭は、9月の夏日が多い天気のおかげで芝生がぐんぐん伸びて青々している。ああ、温暖化傾向のもと生長期間は拡大しているのだなぁ。ふさふさ伸びた葉っぱを見たら刈らざるを得なかった。

10月芝刈っていいのかな? そう思ってwebサイトを見ると、10月が最後の芝刈りだという記事がちらほらある。成長し続けている間は刈る、成長が止まれば刈る必要はない。そりゃそうか、シンプル。

芝刈り後、確かに2.5cmに刈り揃われて、このまま枯れて冬を迎えられそうな気がする。まぁ、この後半月様子をみてみよう。


ノーベル物理学賞 そうか、量子力学ですか!
量子もつれに関する実験で量子情報科学の分野を開拓した人達。
 パリ・サクレー大のアラン・アスペ教授(75)
 米国のジョン・クラウザー博士(79)
 オーストリア・ウィーン大のアントン・ツァイリンガー名誉教授(77)

現在は量子コンピュータの話が現実的なものとして広く語られ始めていて、量子力学という言葉が一般化してきている。当初、そのような領域があるのか・認められるのか、という疑問があったわけだが、それを認めざるを得ない、実際そうなっているのだという確信が生まれ、それに基づいた実証、活用へと進んでいる。(アインシュタインも懐疑的だったそうだ。)

すごいなぁ、こんなにも説明しがたい世界を扱える頭を持っている人は。実証論と実在論。量子力学は実在論をとっている。

最近、量子力学の本を読んだことで、意識の外にあった話が少し身近な話題になってきつつあるが、決してとっつきやすいわけではない。私のような凡人も興味を持ち始めたということは、人間全体でいえば、量子力学が徐々に現実社会に入り始めた証ではないかしら。


20221005 Wed

イタリアの極右政党、次期首相が、ゼレンスキー大統領に応援する立場を伝えた。親ロシアを唱えるのではないかと懸念されていたので一安心。
もしもっとロシアに近い場所で極右政党が生まれて親ロシアの立場を取ったら、力関係は変わるだろう。サラエボ事件が第一次世界大戦のきっかけになったように、ヨーロッパ各国の動きが、次の何か大きな動きにつながる可能性は、まだ残っている。

とにかく戦争状態をやめて、
一度しっかりロシアの言い分をきいたらどうだ(犯罪者としてではなく)
そうすると
ロシアや中欧あたりの民族問題が噴出する。

民族=国、民族=自治という問題が出てくる。

ローマ時代のように、言語・文化をそれぞれ自由に発揮できる仕組み、かつお互いそれをもって攻撃しない。それを実現するしくみやルール、運用ソフト面を考えることが役立つのでは?

そしたら、親ロシア・ロシア・それ以外という問題だけでなく、中東の宗教上の対立も和らぐのでは・・・?

と書いても何の力もなく、居心地の悪さを感じている。


20221006 Thu

きのうの続き。

・中華街のなかでは、人々は中華風暮らしをして中国語を喋っている。中国人が多い。(自国・自民族)

・日本の中華街(横浜・神戸・長崎)なら、日本の学校に通って教育を受け、日本の建築法に則った建物に住み、日本円を使っている。(滞在国、リアル場所の枠組みで生活)

・学校について、例えば朝鮮学校は文科省に認可されていない。アメリカンスクールは学校により認可の有無が分かれる。東京中華学校(台湾)、ブラジル人学校など日本に居住する外国人のための教育機関「外国人学校」は147校あるそうだ。(母国の文化を継承する)

日本のなかで生活している他国の人々が、日本という国を尊重する限り、彼らの生活も尊重する関係であろうとすると、教育や日常言語を制限することは間違いだということになる。でも日本を損なうような形でならば、彼らの活動が制限せざるを得ないこともあると思う。

北朝鮮が一昨日に続いて、弾道ミサイルを2発発射した。

もともと日本列島は、ロシア・北朝鮮・中国、韓国・日本・アメリカが近接している場所。アメリカは海越しといえども、実はアラスカはロシアと接している。もともとご近所さん同士の問題。

そこにかつては米露の冷戦が加わり緊張関係が高まった。それが今は、アメリカと中国の経済上そして国力としての争いが緊張関係を高めている。

今後日本は、中国との付き合いを続けていくし、アメリカとも付き合う。そして地政学だけに依らない、距離の遠い国とも付き合いを深めることで、双方の国の主権を守る安全保障を構築していくことが重要だと思う。

そのために、日本の文化の力、それを生み出す森羅万象を前にした八百万神に代表される目に見えないものへの畏敬の念がベースとなると思う。その概念を他国に押し付けるのでなく、融和の材料として、日本と他国/他国と他国の関係構築・復興へ貢献することが取るべき道だと思う(皇室祭祀や神道、仏教などの影響を排除せず、かつ、特定宗教に依らない)。そして日本のOMOTENASHIとして代表される、思いやり・表裏のない正直さ・心地よさ、それらのソフトを使って、技術応用・技術教育などを相手国へ提供していく道筋はどうだろうか。


20221007 Fri

集中的に作業したくて、広いスタバへ行ったら、コーヒーのしぶきを浴びた。

午前中のため手元が狂ったのか、レジでマグを出してくれるときに傾いて、コーヒーがカウンターの内側からこっちへ飛び出してきた。辛うじて直撃は避け、コーヒーはカウンターから床へ。ちょっとした惨事となり店員さんが3人がかりで片付けていた。「やけどはないですか」と乾いたタオルを貰った。直接熱いおもいをすることなく、スカートにかかっていなかった様子。

こっちの風貌(染めるのを止めた白髪頭)に動揺したのだろうか。始業まもなくで手元が狂ったのだろうか。

さすがスタバ。嫌な雰囲気になることなく、手が滑った店員さんに何を言うでもなく、さっさと片付けている。「今日はあとはいいことだけだよ、厄落とし」と伝えたかったけれど、片付ける様子をみながらうまい伝え方が思いつかず。「大丈夫ですよ、気にしないでくださいね」とかわりのコーヒーを受取がてら声をかけた。

席に座ったら、しぶきがけっこうな広範囲にかかっていることがわかった。グレーのスカート。頂いていたお手拭きタオル2枚で、個々のしぶきを湿らせて押し出す。染みになるかなぁ。帰ってから洗おう。


今朝聴いていたラジオで黒川伊保子さんがAIや脳科学をベースに、言葉のエネルギーやコミュニケーションについて話をしていて、それが面白かった。

人により、脳の好み(生存戦略)が少しづつ異なるので、良いか悪いかではないのだということが、ここでのトークからもわかる。

良いか悪いかではなく、プロセス重視か結果重視か、男性か女性か、などで好みがあるというのだ。かつ、人間どちらもできるが、やりやすい方があるというのだ。これってMBTIとも共通する。

中身のないお喋りよりも、興味深い知識と身近な話が結びつく時間に、脳が喜ぶ。


わたしの脳は、ひとつの目標に向かってだけ動くより、2,3の目標を据えつつ、なんとなく動いて行って、フォーカスが合ったタイミングにひとつの目標を達成することを好んでいる。

なんとなく動いているときは、目標への直線的なルートが本人に見えていない、緩いルートだったり、まったく関係ないかもしれないと思っている。でもそこに関連性や道筋を見出した時、ピカッとひらめく。こんなだから何をしているか、私以外の人にとって余計にわからないだろう。


8月下旬にPC通信不調で受けられなかったワークショップの内容を、参加した人からシェアしてもらった。子供時代のことを振り返ったり、自分にとって深いところから生まれるモチベーションについて話をするものだった。

その人と私の違いでもあるのだが、私の時間は悠久に見えるそうだ。そして悠久の旅にいるように感じられるそうだ。一見カッコよくて、要は何もせず死んでしまいそう。

人間をとりまくもののうち、目に見える客観的事物:外面に注意を向けがちで、それのみを重視しがちだけれど、内面と外面があり、目に見えないことも大事にすることの価値を大切にしたい。同時に、現実のことも全うに扱える。そんな人生にしたい。


20221008 Sat

昨日の雨、今日は曇りから晴れとなった都内。朝は寒い。

台所のゴミ置き場を整頓。

7月からプラスティックゴミを別に出すように地区のルールが変わり、小さなことだが台所のゴミシステムを変えている。もともと週2回の燃えるゴミだったところ、プラスティックゴミを資源ごみとして独立させて週1回回収することになった。他の自治体では10年以上も前から取り組んでいることに遅ればせながら取り組む。

燃えるゴミはあまり量が溜らなくなった。

プラスティックゴミは、週1回なので溜めて出す。既存のゴミ箱にすべては入らないので、かさばってくると大きなビニール袋に入れて、ごみ箱横に置いておく。ゴミ箱横には段ボールや雑紙も溜めている。

溜めずに、建物内の共有ゴミ置き場に都度捨てる選択肢もあるけれど、台所の奥行き30cm、巾40cm、高さ80cmくらいのスペースに、雑紙ごみ・たまったプラスティックゴミ、それとこれから食べる根菜類をうまく組み合わせて配置した。少しスッキリ。


少し遠出をして、渋谷から池ノ上の方を歩いてみた。

へえ。このあたりが駒場東大か。大学のほか、都立駒場高校、私学駒場学園、駒場東邦学校、筑波大付属駒場などが立ち並んでいる。おお、この辺りに住む人達は競争社会で戦っているのだろうか。

ケーキや焼き菓子を作っているお菓子屋さんが一軒。実直そうな店主でほっとした。


歩きながら考える。

ロシア。
確かにプーチンの歴史修正主義は、現在にマッチしていないズレた認識だ。その傾向をかつてメルケル元独首相は引き戻していたけれど、その役を果たす人がいなくなり、閉鎖的なこの2-3年の間に元に戻れないくらい偏ってしまった。

でもロシアが「その価値を十分認められていない、だんだんとアメリカのスタイルに浸食されていて、十分尊重されていない」と感じる問題意識は、あって当然だと思う。

だからといって、ロシア帝国のような肥大した状態を再現することは、たぶん誤っている。

ロシアが現在の領土で、その価値:文化的・技術的・地下資源などの国力をもっと友好的に使い、多軸的な地球社会をつくるために活用できたら、それがロシアにとっても各国にとってもベストなのではないか。


ウクライナ。
いまは欧米からの支援を、ロシアの非をあおる形で得ている。戦争を始めたことへの非難は当たっている。でもここまでくる道のりには、ウクライナでもロシア語禁止などの文化抑圧があったり、マイダン革命でみられた極度な民族主義・浄化の動きを生み出していたことが要因を成している。

ロシアの非をあおっている面が否めない。ここまで来たら長引かせず、相手を叩きすぎず、人々の平和へ向かってもらいたい。

アメリカは無責任に煽らないでほしい。

ロシアや中国が、自国尊重するのはよいが、もう少し自国以外の目線で考えてくれないだろうか。



ソーイング・ビー(Amazon Prime Video)

シーズン1・2は2年ほど前に観た。今回はシーズン3。

この番組は、イギリスらしく多様な人達が自分達らしく自然とふるまっているところが魅力。ひとくちに女性といっても色々な人がいる。元CAの70代と思しき女性、若い企業人、学校の教頭先生、酪農家のお母さん等々。男性は、軍の電気技術士、ITコンサルタント、理学療法士、学生など。

1話ごと3つのお題が出て、それに沿って洋服を仕立てるSawing コンテストで、10人から徐々に絞っていき、最終ラウンドは3人のなかからチャンピオンを決める。審査は仕立服プロの男性パトリックと、教育にたけた女性メイ。 

このシリーズは、意外な人がチャンピオンになった。そしてお題がいつもかなり難しそうだった。いつも冷静なパトリックの相当お茶目な場面が見られたことは、これまでにないこと。みんな必死に洋服を作っているのだが、緊張感のなかでもユーモアがある。会話のやりとりや頑張っている様子をみることが、この番組の面白さだ。彼らのしなやかさ、自分を誇大化せず矮小化せず表現する様子、自然のままを見せる姿(ゲイの人もいた)、お互いがライバルで仲間。

性別に限らず、職人的なことが嫌いでない人にはおススメ。


20221009 Sun.

朝から鉄道150年のラジオ番組をNHKで行っていた。

新橋から横浜(桜木町)までの、開業当時の話など。ずっと神奈川育ちにとっては、実際の風景と紐づいて面白い。

関西はいま何が話題だろう? 九州はおそらく九州新幹線。 四国は水陸両用列車、阿佐海岸鉄道のDMVだろうか。


見上げたら、月がきれいだった。あれ、今日が満月だったかな? いやいや、満月前の十四夜。雨続きだったので久しぶりに月を見た。


20221010 Mon

昨年12月に屋久島ツアーで一緒になった女性2人とランチ。

六本木ミッドタウンにて。
いくつかのレストランをじっくり見て、酢重とナプレ両方に名前を書いて、結局ナプレのテラス席へ。待っている間も3人でお喋りしているので、苦にならなかった。
ここは全体的に高級店が多いので、CPコスパ重視の店選びは重要である。


Naple(ナプレ)テラス席


デザート三種盛り このなかではピスタチオアイスクリームが一番美味しかった

広い空間が心地よい。ここは防衛庁の跡地。その前を遡ると江戸時代までわかっているらしい。

江戸時代に、萩藩・毛利家の下屋敷だった。明治時代に陸軍駐屯地となり、第二次大戦後、米軍の将校宿舎として使われ、返還後、防衛庁の庁舎となった。防衛庁がここ檜町から市ヶ谷へ移った2000年から着手し、2007年にオープン。


今日は満月のはずだけれど曇がずっと残っている。

夜中になってだいぶ雲が払われて満月を拝むことができた。南西向きの窓からぼんやり満月を見ながら眠りについた。
きっとよく眠れるだろう。


20221011 Tue

十六夜いざよい。月の出を見た。ビル46階分の高さから。

夕日もビル上から見るか?とも思ったが、図書館に行くと時間が間に合わないし、開けたところから夕空を見るのでもいいなと。街中でもビルとビルの間に見える夕焼け空をスマホで撮影している人がちらほらいた。

17:13 日の入り頃

そうそう、みんな、夕日や夕空をみると幸せになるんだよ。
何故だかずっとそう思っている。

少なくとも、夕日を見る体験そのもの、その時間は、人々を幸せにする。
確か映画『セント・エルモス・ファイアー』にそんなセリフがあったはず。

さてさて、ビル屋上には日没17:14を越えて、17:30頃到着。

かなり宵闇が進み、雲が多くすでに黒っぽい。夕日が落ちたあたりだけ、赤黒く光が残っている。街のネオンがきれいに目に映る。遠く飛行機のライトが空中に浮かんでいて、羽田飛行場の場所がよくわかる。


渋谷SKY屋上から西へ、小さく富士山が見える方向 17:51

今日は18時から星空観察会。
すでにスタッフの方々がスタンバっていて、今日は月・木星・土星を見るそうだ。

木星は、空の青さが濃くなってくると誰にも見えるくらいの大きさと明るさだった。土星は、、、わかるひともいるけれど、私には見えなかった。
大きな望遠鏡を合わせてもらったら、土星の環まで見えた。わ~い。

今回のトピックは何といっても月。
前の日が満月だったのだけれど、その丸さよりも、
月の出を、45階の高さから見られるってこと。

左上18:05 →右上18:16 →左下18:39 →右下18:55

月の出すぐの月は赤っぽく見えてちょっとびっくり。沈む夕日が赤く見えるのと同じ理屈だという。そして月が天頂へ昇っていくに従い、赤からオレンジ、白へと変わっていく。

望遠鏡でみると、クレーターの出っ張りが見える。立体を実感する瞬間。

十六夜なので、満月から少しだけ、月の右側が欠けている。その部分が影になりクレーターが見えやすいのだ。月の輪郭部分が、ギザギザしている。

昇っていく月の前を、羽田を飛び立った飛行機が通るかどうか、参加者がみんなで見守っていたが、ギリギリずれていたようだった。


20221012 Wed

昨日買った焼き菓子を、朝ごはん前のおめざに。知らなかったけれど、渋谷SKY屋上見学チケット半券で割引になるそうで、昨日はそれを試してみた。

抹茶をてて、お菓子をいただく。和洋折衷かつ即興。
渋みと甘み、両方あって、それぞれがより美味しい。

このところ、夏ではない気候になってきたころから、思い出したら朝、抹茶を点てている。使いかけの抹茶がいくつかあったし、茶碗を数えたら五つもあった。それぞれ使ってあげよう。何より、朝の一服は身体にもやさしいし、気持ちが落ち着くような気がする。


体重が増えつつあり、野菜とタンパク質の摂取を心がける。

朝一のおめざに、お菓子を食べておきながら・・・だけれど、夜軽くすると朝一お腹がすいている。


中国の全人代。いつからだっけ?

5年に1回。
前回は2017年、2012年、2007年・・・

2011年に中国のGDPが日本を越えてから、2012年や2017年は注目されていたが、今年はそれほど報道されないのか? 習近平路線・米中緊迫という状況がかなり安定しているというか、見通しが変わらないので、人々の興味が向かない、むしろ見たくない話題なのかもしれない。(いや、10/15が初日だ)

中国は、近隣諸国へは恫喝行為を重ねているが、遠くの友好国との関係を強めている。アフリカ・中東・ロシア傘下の国々。そして欧米とも。お金と人的パワーを投入している。そのために、世界の軸は米国かそれ以外かという2軸ではなくなっている。

日本は早くそれに適応して、米国傘下一辺倒の考え方を変えていかないとならない。いまのところ米国との関係が一番強いであろうが、他国との関係をもっと強くしていくことで、日本の理解者を増やしていくといいのではないだろうか。

日本のなかで、中国寄りか、米国寄りかという二択でみる見方があるようだが、私は中国とも距離をおき、米国とも距離を置く必要があると思う。接している国だからこそ。


20221013 Thu

先週から朝は2つ読書会が連続してある。6:30-9:00過ぎ。終わると眠い。ぬくぬくした布団が恋しくなる悩ましい季節。


ドキュメンタリー映画『プリンセス・ダイアナ』


ダイアナが登場したのは私が高校生の頃、ファッションを特集した写真誌を買ったクチ。つい気になってしまう。亡くなってもう25年・・・

無駄かな~と思いつつ、観てよかったと思うのは、チャールズ国王の若き日の発言やイギリス国民の街中インタビュー。

先般のエリザベス女王の葬儀でも感じたが、私の知る範囲では、ご近所さんか親戚のような親しみをイギリス国民が王室へ抱き続けていることがすごい。人間らしさを携えつつ、権威もある。

日本の皇室もこれに近い存在に私には思える。政治の軸が短期に変化し責任を取らない中空な状態を、皇室が象徴的に存在することでまとまっているような雰囲気をつくることが、この国には必要ではないかと感じている。

(中空であることや、では実際に実質的な部分をどうするのかは別な話)

続いて『ダイアナの決意』という映画が封切られる。これはドキュメンタリーではなく映画。観てみたい。

そのほか予告から観たいと思ったのは『モリコーネ』。「荒野の用心棒」「ニュー・シネマ・パラダイス」「アンタッチャブル」などの映画音楽作曲家を追悼するドキュメンタリー映画。年明け1月13日から。楽しみ。


体重が増えたので節制しているけれど、一旦落ちてから徐々に200-300gづつ朝の体重が上がってくる。少しだけ、といいつつ、バターや砂糖が入ったお菓子を食べたくなる。これは依存症のひとつなのだろうか。あまり食べたくならない時期と、毎日食べたくなる時期がある。なぜ偏るのか?

・身体のもともとのリズム(?)

・お菓子を食べるとさらに食べたくなるように体質が偏る(?)
 (バター・小麦粉・砂糖のどれかに依存する)

・体重や体組成が、一定域を超えると、太る方へ傾く(?)
 (体組成と脳の反応/腸内細菌)

誰か教えて~! でも自分の身体の微細な感覚は自分にしか感知できないからな。基礎知識と組み合わせて身体で感じとるしかない。



マイナンバーと健康保険証の統合ですって???

うーむ、政府関係者がわかっていないのは、私たちがその利便性を理解していないのではなく、情報漏洩リスク、さらに個人が情報管理する権利をまったく持っていない仕組みだということに大きな懸念を感じているってことなのよ。エストニアのように、情報利用状況を個人が確認できる権利は必須だと思いますよ。エストニアへ視察に行っているでしょ?

そこがわかっていないなぁ。

それがクリアできれば、健康保険証に紐づく情報が国内一元化されるメリットを享受してもいいかなと思うわけよ。(ほとんど飲み屋のヨッパライ状態)



最近の統一教会への捜査、
防衛費をどうするか、
円高、
ロシア・中国の動向、

気にしつつも考えることが面倒くさい。状況が硬直化しているように感じる。


20221014 Fri

曇りか雨。少し空気が締まってきた関東の一日。だんだん冬の日の感覚が思い出されて、縮こまらないで寒い季節を過ごしたいと思う。

朝10時からのオンライン。

私の端末で音声が鳴らず、5分以上試行錯誤して何とかつながった。先に始めてくださいとのコメントをチャットで入れたが、皆様3人お待ちくださったとのこと。その間、みな内向タイプということもあり黙っていたんですよ、とシェアがあった。

内向とは内気ということではなく、その人のエネルギーを皮膚の内側へ向けるということ。外側へ向けたら喋ったり、読んだり、ジェスチャーや表情で何かを伝えたりするが、内向すると表面上はただ黙っているのだが、内側では色々考えたり、その場を味わったり、イマジネーションを拡げたりしている。


オンラインでの今日の学び。

事実と事象。

世の中には、事実を事実として五感を通じて捉える人と、同じものをイメージや可能性など五感以外のものを通じて捉える人がいる。

起きていることを五感で捉える人にとって、事象は起きていること。事実や真実は、実は誰にも捉えきれない、わからないものだという。

私には事実は起きていること、事象は心象と近いものだと捉えていた。

特に私は感情というフィルターがいつもかかっているので、同じ晴れた景色を見ても、心象が異なる。

そんな話をしたら、五感で捉える人は、明るさは(例えば)60ルクスであって、それ以上でも以下でもないという。

私には60ルクスが、そのまま見えるときも、元気そうに見えるときがある。

この具体的な違いには、ちょっと立ち止まった。


色々な違いがあるけれど、どちらが良いとか正しいかではない。そういうスタイルがある。変える必要はないけれど、違うスタイルがあることを知り、自分も違うスタイルを選択することもできるということが大事・・・ということは良くわかっているつもり。何がその違いなのか、そこに気づいているかが対応の差をつくる。

この違いに気づかず、お互い自分の感覚を普通だと思っている。それが普段の社会。

違いに気づいて、自分の状態について意識的になり、相手をそのまま受け取ることができたら、いざこざはだいぶ減って、平和な気持ちになるはず。


すっきりしたい。

・内面で抱えていること、on goingなことについて見通しを立てたい

・内面にあるネガティブなことに関して、説明をつけたり、説明なしにそこに保留することを自覚したい

 ・書類や書籍を整理し、量を減らしたい。使っているもの・今後使うものに絞りたい

 ・視覚に入るものが、ごちゃっとせずすっきりした状態でありたい。つまり使うものがそこにあり、今使わないものはそこにない。いつも見ていたいものは、そこにあってよい。

矛盾をいつも抱えている私なのであり、それが全く無くなることはないのだけれど、こんな風に、実生活からしたらどうでも良さそうなことを考える時間を持てることに感謝。こんな珍妙な人間にも生息させてくれる地球と社会に感謝。


『さかなクン』の書籍について、ラジオ『高橋源一郎の飛ぶ教室』にて取り上げられていた。高橋源一郎さんは映画を先に観て本へ至ったそうだ。私は映画をみただけだけど、そのときに感じた「好きなものをみつける・追求する」ことの難しさ・育てることのすばらしさ、そこに感じ入ったという感動ポイントが同じだった。ちょっと嬉しい。

でもなぜ? 自分の感じるポイントと著名人のそれがほとんど同じ、ということに、ほっとしたのか? 権威付け? 単に他の人もそう思ったことが嬉しいのか? 自分のさりげない一コマに、横から光が差し込んで嬉しかった、そんなところだな。


20221015 Sat

楽しみにしていたコンサート!
パリ管弦楽団 マケラ指揮 @東京芸術劇場

https://ticket-news.pia.jp/pia/news.do?newsCd=202210170003

価格設定がどうなの?エイベックスさん、と多数つぶやかれているコンサート。マケラが指揮するパリ管弦楽団、ドビュッシー『海』、ラヴェル『ボレロ』、ストラビンスキー『春の祭典』。東京芸術劇場(池袋)にて。

とても集中していて、団員みんなが楽しんで演奏していて、初めて見るマケラの指揮はメリハリが効いて躍動感があり、ソリストに任せるところは100%任せるような、オーバーマネジメントでない指揮。

素晴らしく良かった!


奏者は各パート共とんでもなく上手だし、個性的。

まず女性の奏者はおしなべて、黒だったら何でもいい的な上下を適当に組み合わせて、ヘアスタイルは無造作に束ねたように見えるのに、靴はピンヒールだったり、手入れされたものでキメていて、全体的に素敵になってる。なぜ? パリだから? 男性はまぁ上着も着るしそれなりかな、カッコいい人もいるし、それほどでない人もいるけれど、その人らしさが現れている。男女ともグレイヘアが結構多い。インド・中東・アジア系の人もヨーロッパ人に混じっている。アメリカ系・ヒスパニック系がいるかはわからなかった。

始めに、舞台にオーケストラメンバーが出てくるときに、上手(右側)だけ扉が暫く開かず、最初は下手(左側)だけからメンバーが出てきた。遅れて上手は見るからに個性的な大柄なファゴット奏者が姿を現し、その人を先頭に人々が続く。この人が出待ちの原因か? 席で周りの四方八方とお喋りしている。きっと遅れた理由を話しているに違いない(妄想)。

コンサートマスターは、お堅そうな黒髪アジア人。日本人か中国人の男性。誰だろう?


マケラはさっそうと現れて、静寂な時間を取ってから最初のひと振りを下ろした。いや~そこからは、焦点がクリアに合った音楽を聴いていく感じ。破綻もゆらぎもない。観客はひたすら音楽を楽しみ、奏者の奏でる音を味わっていけばいい。ドビュッシーの『海』。たゆたうような、光が反射する海。朝なのか、昼なのか。後半はノルマンディーの広くダイナミックな海かな。

謎のコンサートマスターのソロはとてもいい音だった。きっとその演奏レベルは他を納得させるものなのだろうな。

2曲目『ボレロ』は、最初小さな音から始まって、だんだんと楽器が増えて重なっていく音の様を楽しんでいるうちにクライマックスへ達した。観客の集中度もすごかった。小太鼓はずっとリズムを刻む。木管楽器、金管楽器それぞれのソロが素晴らしいし、アンサンブルも見事。ティンパニや銅鑼などのパーカッションは盛り上がりを適切に演出していく。弦楽器ではヴィオラ、そしてチェロが素晴らしかった。そのうえで、特別拍手を送りたかったのはコントラバス。6人くらいいる奏者が、それぞれとても仕事熱心に演奏していて、お互い楽しんでいて、演奏効果も素晴らしかった。弦楽器はなぜか、演奏後のpraiseがなくて残念。私としてはコントラバスにブラボーしたい!


休憩時間に確認すると、コンサートマスターは千々岩ちぢいわさんという日本人の副コンサートマスターだった。日本公演だから彼がこのお役を貰ったのかもしれない。パリで学び、いま教授職も複数お持ちだそうだ。


後半の始まりは、下手も上手も順調に入ってきた。みんな揃ったところでチューニングをして、指揮者を待つ場面になったら、なぜか2ndバイオリンの女性が下手袖で扉越しに何かを伝えて席に戻り・・・、そのまま動きがなかった。10秒、30秒、1分、、、たぶんもっと。団員も客席もザワザワし始めたが、奏者の誰かがシッと注意して舞台上は静かになり、観客も身動きせずひたすら待った。何が起こるのだろう、楽譜の交換? 楽器の不調? と思ううちに、上手から男性が入ってきて金管楽器のあたり、真ん中後ろの方へ座った。そこから10秒20秒して指揮者登場。

あれは何待ちだったのだろう?


でもそんなことはものともせず、静寂を持ったうえで、いつ指揮者が棒を振るのだろうと思ったら、ファゴットのソロが始まった。『春の祭典』冒頭は一本のファゴットだけで始まり、そこに他の楽器が合わさるときから指揮棒が動いた。『海』のフルートソロの場面でも全く棒を振らなかったけれど、この人は本当に奏者を信頼して任せるのだなぁ。

さきほどの『ボレロ』でも、人によっては微妙に音を溜める場合があり、ギリギリリズムから外れそうなのだが、絶妙に収まっていた。その様子を修正することもなく、圧をかけることなど全くなく、推進力を保ってマケラの指揮は続いて行った。あの任せ方は、今日の3曲すべてに共通している。

『春の祭典』は、後でTwitterをみると非常に高く評価している人もいるし、それより『ボレロ』をすごく推してる人もいた。私は『春の祭典』をそれほど気に入ったわけでもないのだけれど、全体として素晴らしかったし、それぞれの奏者がすごく上手なのと、ヴィオラが素晴らしいことが印象に残った。


謎の“照明”。後半プログラムの春の祭典にて、舞台後ろのオルガンと両脇の反射板となっている壁を映し出す。陰に不気味なところでは青紫、陽に転じたところは赤。正面は淡色、側面はモザイクっぽい不規則な影と淡色の組み合わせ。アニメーションのような動きや点滅はなく、静的な光の演出だった。私の席は1階前から8番目だったので、いつ始まったか気づかない程度で舞台の奏者に集中していたらさほど邪魔にならないけれど、後ろの席や二階席だったらどうだったのだろう。

プログラムにも、オーケストラや、別なプログラムで出てくるピアニストとほぼ同じ扱いで、照明演出が印刷されている。今日の会場だけでなく、東京赤坂のサントリーホールでも、大阪フェスティバルホールでも、愛知の芸術劇場コンサートホールでも、岡山シンフォニーホールでもやるらしい。

会場ごとにステージの構造も違うし、どうするのだろう?
そもそもあの演出は何のためなのだろう?

コンサートは聴覚が主役だ。視覚で指揮ぶりや演奏ぶりを見て得られる情報も、その場の体験に含まれる。視覚を使わないわけではない、しかし、そこに色や光の加減で演出することに何の意味があるのだろう?

曲想が”不穏”だと紫青、”力強い”と赤、といった演出になっていて、抽象的な曲についてその世界観を伝える役割を果たしたのかもしれない。でも色から伝わるムードが必ずしも世界観と一致するともわからないし、そもそも人によってイメージする世界観は異なるので、演出と自分の感覚の不一致が生じるのではないだろうか。

いまは不思議に感じるが、これから10年、20年経つと当たり前になっていくのだろうか?

ステージ上の演奏者や指揮者には、空間の色合いはあまり影響なかったようだ。

私には、映画音楽などのムードを高めるためには効果があるかもしれないが、今日のようなコンサートでは無い方がいい。

謎の価格設定とともに、クラシックでは珍しいエイベックスさんのやることとして、記憶に刻まれた。


東京芸術劇場は、舞台上で音がひとつにまとまり、そのまとまった音が客席に届く感じだった。

この会場には、しばらく来ていなかったし、2階席・3階席で聴くことが過去多かったので、改めて、このホールの特性を確認した。

楽器それぞれがダイレクトに聞こえてくるのは、サントリーホールやミューザ川崎ホール。まとまった音もある割合あるのだが、ダイレクトな音も何割か入っている。

錦糸町のすみだトリフォニーホールは、音がまとまるところは池袋と似ていて、さらにホール上方へ上がっていくのが特徴だ。

横浜みなとみらいホールは、改修してまもなく再開する。音は幾分変わったのだろうか?


終演後、チケットをプレゼントしてくれた人へお礼にイタリアン夕飯をごちそうした。

演奏会のことをいろいろ話しながらの夕食はとても美味しかった。

お会計の時、二人で8800円だったのだけれど、レジで店員さんが880円と言って気づかないので、一応、千円札ではなく一万円札を出したらそれなりに正しい計算でお釣りがきた。お店を出たとたんに二人で大笑いしてしまった。880円でも私はOKだけれど?w それなりに納得のコスパだった。

イル・テアトロ


マケラは、12歳から合唱指揮を学び始め、チェロも相当な腕があり室内楽の演奏会も行っている。これまで有名オーケストラを何か所も指揮し、今年前半には東京都交響楽団との演奏がとても素晴らしかったと評判だ。現在26歳。2027年からはオランダ ロイヤル・コンセルトヘボーの首席指揮者ポストの契約がある。これから私が死ぬまで、マケラさんの指揮を味わえるということがとても嬉しい。

もう今日はこれで燃焼!

2016年 ヘルシンキ ・フィルハーモニー管弦楽団、タピオラ・シンフォニエッタ、エーテボリ交響楽団

2017年 MDR交響楽団、スウェーデン放送交響楽団

2018年 東京都交響楽団、ミネソタ管弦楽団、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

2019年 バンベルク交響楽団、クリーヴランド管弦楽団、パリ管弦楽団、ハレ管弦楽団

2020年 バイエルン放送交響楽団、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団

クラウス・マケラ 指揮デビューしたオーケストラの数々 Wikipediaよりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B1%E3%83%A9

同じ日と翌日に、NHK交響楽団@NHKホールでは95歳ブロムシュテットのマーラー9番、前日にはジョナサン・ノットが指揮した東京交響楽団@ミューザ川崎も素晴らしかったらしい。いや~、行ってないけど、素晴らしく充実したオーケストラ週間だ。


その他最近のニュースから気になった事項を箇条書き

・ロシア部分動員令:プーチンへの批判を交わすため、メディアが揃って非難の矛先を作っている。 [ロシアの国民に直に戦争状態が突きつけられている。人々がこれ以上不幸にならないように祈る]

・中国と台湾、韓国、北朝鮮、ロシア、それぞれの国が対外的に打ち出しているもの。[正誤をみるのでなく、多様な有様をみることが今後の方向を示すのではないかなぁ。それとともに望ましくない・正しくないという行動には態度を示す]

・日本の外交ポリシーが見えない・・・今後10年、30年、50年といった国力をどう考えるのか、どのように付き合うのか。[要議論。わかりやすい断定的な意見の羅列ではなく。言葉の定義も必要。国力=防衛能力(武器・情報・人)+食料自給率+教育レベル+人々の社会基盤の強さ]

・円高:すごい。145円も超えて148円・・・。[自分が何もそこで対処できないし、お得にもできなくて、ただ漠然とした不安]

・値上げ:同じようなパックに入っていても、中身が少ないものがあるなど姑息な値上げもあり。大変ムードをあおるTV [値上げに騒ぐとすべてが悲しい気持ちになる。そればかりになり、気持ちが貧しくなるので、無駄なものは買わず、シビアに価値と値段を考えて買い物をして、あとは楽しもうと思う。それなのに、いまのTVやあらゆる報道はムードを煽り立てていている。値上げしても楽しく節約する工夫を放送してもらいたい]

・北朝鮮が断続的にミサイル発射 [このニュースが間断なく報道された日に、認知症がある老人が怖がって興奮していたという。そういう場ではTVを消すか、もう少し楽しいものを流してあげてほしい]

・旧統一教会:信者二世の会見に両親署名入りの談大経由のFAXが入る。[しっかりカタをつけようよ、文科省頑張れ]

・岸田首相の所信表明演説と続く与野党質疑 [足の引っ張り合いでない議論を求む]

・旅行割や飲食店割引のスタート  [毎回こういった企画の恩恵を流しがちな人間。ちゃんと利用してみたい]

・鉄道150周年 [鉄道と柔軟に組み合わせたローカルの足を考えていく今後、鉄道旅は残してほしい]

・インドネシア サッカー場で大勢圧死 [国民を治安機構がどう捉えているかが露呈。そこに変化が必要]

・アントニオ猪木さん亡くなる  [むか~し新幹線で赤いマフラーした姿を観たなぁ]

・タイ元警察官が子供を大勢殺害  [アメリカだけでなく、温厚な国柄のはずのタイで。社会的力学がありそう]

・ノーベル平和賞 アレス・ビアリアツキ(ベラルーシ)、メモリアル(ロシア人権団体)、市民自由センター(ウクライナ人権団体) 三者が市民社会を代表する存在として受賞。[ノーベル財団としてできることをギリギリやってくれた]

・ノーベル医学賞 スバンテ・ペーボ博士(独)人類の進化に関する発見で受賞。ネアンデルタール人の人骨からDNA情報を解析。現生人類(ホモ・サピエンス)にもネアンデルタール人のDNAの一部が引き継がれていることを証明  [純粋に驚き!]

・ノーベル文学賞 アニー・エルノー(仏)フランスの女性作家として初の文学賞受賞。階級(社会階級)やジェンダーなど社会の格差をテーマにした自伝小説を数多く執筆  [書籍を読んでみたい。12月映画封切り予定『あのこと/Happening』、11月書籍発売「嫉妬/事件」]

・JAXAロケット「イプシロン」の打ち上げ失敗 [失敗原因を報道に流していた姿勢に開けた研究を感じた]

 

毎年こんなに大きな出来事があっただろうか。Noteを書いているから気になるのか。会社員をしていた時代(=ほぼ平成)には私の注意力は社会に向いていなかったからなのか。
書いていて、自分の無責任な心象に嫌になってくる。

いつもちんまりした生活をして、台所のごみ置き場を整えてスッキリしているような人間が私。頭の中で考えることは自由じゃないかとあれこれ思うが、ヨッパライの独り言と言われたら、その通りと言うしかない(素面だけど)。

いま、地球に、日本に生きている一人として、これだけの社会からの刺激を受け、私という人間の内面に何か影響を与え、それが自分の器を通して何か外に出てくる。外に出てくるものは、何の変哲もない日常生活。今後もそれは続く。特別なことは何も為さずとも、一員として、ささいなことでも寄与したい。



読んでくださり、ありがとうございます! この場があり、読み手がいてくださって私がいる、そのことに感謝です。そしてもし何か ”うなづくようなこと” や ”いや違う”と思ったなど、ご自分の心の中に反響するものがあれば嬉しいです。もし♡スキを頂けたらとても嬉しいです。
寒くなってきました。よき秋の季節を過ごしていけますように。

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