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"成熟と他者への理解:言葉の力と成功の関係について"

成熟とは、単なる歳月の経過や経験の蓄積によって測るものではない。それは、内なる成長と心の洞察によって定義される。友人から成熟していないと言われたことは皆さんはないだろうか?私はつい先日成熟できていないといわれたことがあった。

友人から「成熟していない」と言われたとき、私は深く考えさせられた。成熟とは何か、そしてそのような言葉が投げかけられることの意味について、私の考えが少しずつ明確になった。

まず、成熟について話すときに、私たちは個人の人格のパラダイムを考慮しなければならない。人々はそれぞれ異なる生い立ちや経験を持ち、それが彼らの価値観や行動に影響を与えている。だからこそ、成熟に至る道のりも一人ひとり異なる。友人が「成熟していない」という言葉を投げかけたとき、彼が私の価値観や行動を理解していないと感じることがあった。

しかし、この経験は私に、成熟についての定義は普遍的なものではなく、個々の視点によって異なることを思い出させてくれた

一時的な自分中心の人格形成は個性主義と呼ばれる。他者の深い部分を知ることは、誠意、謙虚、誠実、勇気、正義、忍耐、勤勉、節制、黄金律に表されるような、「人格主義」に基づいたものでなければならない。この人格主義では「成功」といわれるような人生にはその裏付けとなる原理原則があり、原則を体得し、取り入れる以外にない。個性主義に立つ時、人は往々にして個性主義的な解決策に基づいて他者の気持ちを推し量ることがある。



もし結婚したとしてもそのような人が夫婦中心の生活になれば、極めて強い情緒的な依存性を抱えて感情的になり、依存するようになる。生活上様々なプレッシャーに追い込まれるだろう。

結婚をしていようがしていまいが、自分の選択であり、いまや成人男性の3割が生涯未婚となっている。また3割~4割が離婚経験をしている時代だ。今の時代は選択である。個人が尊重される代わりに社会的責任があるのだ。

また、人格主義へのアプローチが今必要な時代でもあるのだ。

成熟について考えるときには、その言葉が他者に対するハラスメントにつながる可能性も考慮しなければならない。人は皆、自分自身の成長や発展に向かって努力している。しかし、成熟のプロセスは困難であり、誰もがその道を完璧に歩むことは痛みを伴う。

そのため、他者の成熟度合いを批判することは、彼らの自尊心や精神的な健康を傷つける可能性がある。言葉には力があり、私たちの言葉が他人に与える影響を常に意識することが重要だ。

最後に、成熟が人生での成功と直結するわけではないことを理解することも必要だ。成熟した人が成功する可能性は高いかもしれないが、それは成熟そのものが成功の保証ではないことも想定する必要がある。

成功は、個々の努力や環境、そして偶然の結果として生じる。したがって、成熟に焦点を当てる代わりに、私たちは人々が自分自身を理解し、自己成長に努めることの重要性を強調すべきだと思う。



友人から「成熟していない」と言われた経験は、私に多くの洞察を与えた。成熟とは一様な概念ではなく、人格のパラダイムによって異なることを理解した。人は常に成長するものであり、成熟というのは本来客観的ではなく、主観に基づいたパラダイムであるはずだ。人が他者に対して、「成熟できていない」というのはその人が誰かと比較決定したものにすぎない。

自分はゴールがあり常に成功できているという
言葉をもち、人格主義のパラダイムで生きていれば十分である、そのように言う友人の話は客観的事実に基づいていないと思う。

エフィカシー(自己肯定感)を高めてくれる友人こそが真の友人であり、マスターマインド(同じ目的に向かって一緒に考えてくれる人)なのだ。

参考文献)7つの習慣:スティーブン・R・コヴィー

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