マレーシア旅行で感じたこと
あなたは、宗教を信じますか?
どうも、旅好きのふーくんです
日本は、世界的に見ても信仰率が低い国だと言われるそうです
肝心の私も、”無宗教です”と答えてしまうかもしれない
3月の初めに、同僚とマレーシアはクアラルンプールに弾丸旅行してきました
マレーシアは、そんな宗教について深く考えさせられる場所でした
歴史や地理の知識が、旅をより楽しめるという話をしましたが、
その観点でマレーシアを見ていくと
中国と中東地域を繋ぐ海洋交易で大いに発展した国でありながら、大航海時代の到来によって近代まで西洋諸国に植民地となった歴史を持っている国である
そんな激動の歴史によって多様な宗教が流れ込み、そして現在は共存している国だと言えると思います
(共存と言っても、マレーシアはマレー人によるマレー人国家を築こうとブミプトラ政策があるので、マレー人優位の中でお互いを尊重しながら共存しているという方が的確な気がする)
マレーシアには、モスクもヒンドゥー教寺院も仏教寺院もキリスト教会もあります
カラフルな272段の階段がフォトジェニックなバトゥ洞窟
ヒンドゥー教寺院自体けっこうカラフルな建物が多いなと旅してて思います、、、
ブルーモスクにピンクモスク
マレーシアはイスラム教国家なので、モスクが国内に沢山あります
今回の旅でも沢山の宗教施設を訪れることで、マレーシアの多宗教国家ぶりを大いに感じることができました
我々日本人には、割と馴染みの薄いモスク
私はイスラム教徒ではないけれど、モスクの建築美に凄い惹かれるもの、魅了されるものがあるのか、モスクを訪れることが大好きです
しかし、凄いなーとか綺麗だなーとかとっても薄っぺらい感想しか思い浮かばないことも痛感しました
これまで、ヨーロッパや東南アジア、中東のアラブ諸国など、様々な宗教と密接な関係にある国々を訪れ、熱心な信仰心に触れることで、自分の中で宗教というものに興味が湧き、これまでもいろいろ調べてきました
宗教について解説された書物も何冊か読んで、ある程度は知っているつもりです
しかし、それはあくまで
知っているだけでしかないのだなと痛感しました
あくまで紙面から得た”知識”でしかないのだと
例えば、概ねの西洋人にとってキリスト教は生まれた瞬間から
一生幼名馴染みとして生きていくとともに、心の支え、拠り所になるもので
神の御加護に守られていると至極当然のように考える
いわゆる無意識に神を意識している領域に達しているという感覚
アラブ人にとっては、それがイスラム教な訳で、その他も同様に
やっぱり、そういうレベルの話になると日本で興った宗教ではないので、同じレベルで信仰できないなと感じてしまいます
実際にブルーモスクを訪れた際には、ガイドの人が案内してくれて、様々なイスラム教についての話を聞くことができました
しかし、頭では理解しても、同じ文化背景で生きてきた訳ではないので、心の底から信仰したいなというレベルまではいかないもので
肌感覚で宗教を理解するということはなかなか簡単なものではないなと改めて感じました
そこで、思ったのが
日本はとても特異な国だなと
理由は二つ
1 熱心な信仰レベルに達するまでには宗教がハマらなかった
長い歴史の中でアニミズムのような古くからの民族信仰があって、民族信仰と宗教が結びついて神道なるものも生まれ(平安時代の神仏習合で)
飛鳥時代には仏教が伝来し中国との関わりの中で以後様々な仏教宗派が誕生していき(奈良時代には仏教の力で国を治めようと天皇がしたり、かたや戦国時代には戦国大名が仏教を排斥したり波乱の歴史があり)、はたまた南蛮人の来航でキリスト教も伝来し、江戸時代には幕府より儒教を学べと言われ、明治時代には神道を国家宗教(国の宗教のようなもの、日本国民のよりどころにすると決める)に強制したものの太平洋戦争での敗戦でGHQから神道指令が出て、神道の力が弱まったり、、、と一見マレーシアと同じような宗教の流入の歴史を辿っているように感じますが(マレーシアより波乱ですが笑)
そんな歴史を経ても我々島国に住む日本人にはあまり宗教なるものがハマらなかったんだなとちょっぴり感じました
日本人の本能レベルで宗教を受け入れる土壌が形成されていなかったのかなと
宗教をあくまで異国で興ったものって感覚で捉えているのかもしれないです
とは言え、これはあくまで現在の話だし、また人それぞれで見ると違うし、日本人全体を一括りにしている訳でもありません
2 宗教の根本を理解せずともお祭り感覚で良いとこどりするきらいがある
日本は無宗教者が多いというけれど、私たち日本人は年間を通して実に多くの宗教的儀式に参加しています笑
簡単に挙げると
初詣は神社に行ってお参りをして(神道)
バレンタインデーでチョコが大いに売れて(由来はキリスト教)
お盆で先祖供養をし(仏教や神道)
ハロウィンで仮装パーティーをし(ケルト人の自然崇拝⇨キリスト教カトリック)
クリスマスでチキンを食べて(キリスト教)
これってよくよく考えると、グダグダで日本人の宗教的感覚どないなってんねん!!と異国の人から言われると思うんですけど、
要は、日本人は本来の宗教的意味合いよりも快楽的感覚として宗教的儀式を捉えて楽しんでいるということが良く現れていると思います
でも、これって
そもそも日本には古来から八百万の神がいると言われて、自然崇拝の考えで全てのものに神が宿っている、様々なことに感謝しなさいという感覚が本能レベルで実はあるのかなと考えることもできます
要は、日本人は全ての宗教、神を信じるよー
キリスト教だろうと、イスラム教だろうとなんでも神様なら信じますという言わばかなりおおらかな考えで
なので、一つの宗教を熱心に信仰する感覚がないのかなと
つまり、
日本人は一つの宗教を熱心に信仰しないことを悲観する必要はあんまりなくて
むしろ様々な宗教を本能レベルでの信仰とまではいかないにしても、その場その場で信仰対象を変えながら気楽に自分の意思で信仰する(異国の方から見たら奇妙で特異な姿)もはや、異国の信徒とは一味も二味もかけ離れた宗教信仰者なんだという認識くらいにいても、良いのではないのかなと思いました笑
仏様にも参拝するし、神様にも御加護を祈る
それで良いじゃないか
多様な宗教が共存しているマレーシアを旅行したことで、また宗教について、宗教と日本人について深く考えることができたと思います
これだから旅は楽しいですね
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