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ピアノと弦楽合奏の為の《庚申待》

前書きの前書き

「メリー、ちょっといいかしら?」
「えぇ。……ん?もしかしてまた演奏会ぃ?」
「そうよ!今度は『庚申待』!」
「庚申待……。まさかだけど、夜通し演奏し続けるとかじゃないんでしょうね?」
「いやいや、さすがにそんなことはないわ。尤も作曲者はもともとそうするつもりだったみたいだけど笑」
「……やっぱりその作曲者ちょっと変わってるわよ、蓮子」
「ちなみに演奏会はちょうど庚申の日だから、打ち上げはもちろん徹夜よ!」
「はぁ……まったく~」

前書き

お手にとってただきありがとうございます。
先の「牛に引かれて善光寺参り」のアレンジ(2022年)と対になる曲として、2023年に書いたアレンジになります。

原曲

「伊弉諾物質」から「日本中の不思議を集めて」

「東方神霊廟」から「夢殿大祀廟」「大神神話伝」「聖徳伝説 ~ True Administrator」

庚申待とは

60日に一度やってくる庚申(こうしん)の日。その晩には、人間の体の中にいる三尸(さんし)という虫が寝ている間に体を抜け出して天へと昇り、天帝にその人間の日頃の行いを申告して、それにより寿命が決まってしまうと信じられていました。
そこで、三尸が体から出ていかないように、みんなで集まって話をしたり、歌ったりして徹夜をするという、道教の民間信仰行事。
それが「庚申待(こうしんまち)」。※1

この庚申待の初見は『続日本紀』(724年)にまでさかのぼり、平安貴族や天皇も行った記録や、『枕草子』『源氏物語』にも登場するなど、平安時代の宮廷に広く親しまれていました。

その後、秦河勝によって、京都八坂の庚申堂、大阪の四天王寺庚申堂へとつながり、江戸時代後期までの1200年の間に渡って、身分の上下なく日本中のすべての人々に広まり、根強く信仰されるに至ります。

しかし、そうして広まった庚申待の起源を紐解いていくと、善光寺庚申堂に行きつくのです。さらに、そこで行われている「如来様お年越し」、祭られている青面金剛(しょうめんこんごう)はなんと、聖徳太子と刀自古郎女(とじこのいらつめ)につながるのです。※2

参考文献
※1 『庚申信仰―庶民宗教の実像』 飯田 道夫, 人文書院, 1989/9/1.
※2 『封じられた寺 聖徳太子の善光寺』 信濃毎日新聞社, 2021/10/27.

楽曲解説

編成:ピアノと弦楽合奏
楽章:単一楽章
調性:変ロ短調
形式:ロンド形式

楽曲全体

庚申待はちょっとしたお祭りのようなもので、村や町内の人々が集まって夜通し賑やかに色々な話をするイメージです。
各々が「色んな話(曲)を持ち寄る」ところは、構成的は「旧約酒場」にも重なる感じになっています。
曲全体は、庚申待の一晩の語らいであり、またメインのテーマ(日本中の不思議を集めて)の間に、3つのテーマ(三尸:豪族三人)が入る形にもなっていて、三尸を内包する人間そのものも表しています。、

R - Ⅰ - R - Ⅱ - R - Ⅲ - R

ロンド主題 R:日本中の不思議を集めて
副主題 Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ:豪族三人のテーマ

また「庚申さまは七が好き」とも言われ(最大で年に7回庚申の日が来るため、とも)、本尊に七色菓子をお供えしたりするなど、庚申待では7が縁起の良い数字とされていることにちなみ、アレンジ楽曲も7部構成になります。


0:00 一.日の入 :ロンド主題 (動+ソロ+静)

「今宵も盛大にやっていきましょう」
庚申待の暮れ、さぁこれから始まるぞ、と意気揚々みんなが集まり(弦のTutti)盛り上がる感じで始まります。

細かい音符で律動するフレーズが少しずつ落ち着くと、すぐさまピアノ三重奏(バイオリン、チェロ、ピアノ)のソロパートになります。これはソロが3種類あるという予告と、人間の中にもともと三尸が宿っているということの表現、そして最後のクライマックスの伏線にもなっています。

ソロが一段落するとまた弦楽に戻りますが、今度は少し落ち着いた雰囲気が主体のメロディが続きます。

ロンド主題は、冒頭の活発なメロディ(動)と この穏やかなメロディ(静)の2つからなり、これが曲中では交互に登場しながら、音楽の推進と統一を図っており、まさに話全体の案内役を務めるような主題です。

さてここで次の話に移りましょう。

2:03 二.宵の口 :副主題Ⅰ

うってかわって静かな夜の場面。夜想曲のようなイメージです。
低弦部のピチカートに乗りながら、広がりのあるメロディをバイオリンパートが奏でます。

中間部ではバイオリン(蘇我刀自古)のソロが入り、それに弦楽が続いてカノン風になったのち、三部形式気味に元の主題に戻ります。

最初のメロディに戻りますが、今度は合間合間にヴィオラから次の話への催促が入ります。

3:21 三.逢魔時 :ロンド主題 (動)

一つ目の話で盛り上がったところで、「さぁ!次は誰が話す番?」と囃し立てるように、イントロの主題が出てきてすぐさま次の話へ。

3:36 四.夜半  :副主題Ⅱ

チェロ(物部布都)のソロがフォルティシモで突如現れ、それに低弦部の伴奏が続く中、息の長いメロディを朗々と歌い上げます。
真っ暗闇の中、松明の薄明りだけが煌々と輝いてる、火祭りのような曲調のイメージです(作りながら『旧約酒場』の三輪山みたいな絵が浮かびました)

伴奏は少しプリミティブ・呪術めいた感じで単調なリズムの反復をし、バイオリンパートは一斉に詠唱するように、メロディを復唱していきながら、どんどんメロディが盛り上がっていきます。

5:07 五.未明  :ロンド主題 (静)

「皆さんちょっと疲れてきましたか?」
話で盛り上がる内に真夜中も過ぎ、外はすっかり静まり返って夜明けまでもうあと一息。
弦楽パートが回想するようにロンドの後半の主題(静)を属調で奏でますが、ここで眠ってしまてはいけません。

「それじゃあ、ここで私がすごい話をして見せましょう!」

5:47 六.暁   :副主題Ⅲ

弦楽パートの唸るような不協和音の後、話の最後を飾るべく、満を持してピアノ(あのお方)が登場!
そして「この時を待っていました!」と言わんばかりに、ソロのバイオリンとチェロが続いて、弦楽も加勢していきます。

ひと段落した後、他の楽器たちを従え伴奏させるようにして、ピアノが高らかに「伝説」のメロディを歌います。
そしてソロのバイオリン、チェロがユニゾンでそれを受け継ぎ、伴奏も次第に華やかになります(ここの発狂ヴィオラパートが個人的にお気に入りです)。
メロディが終わると、少し試練を予感させるようなフレーズを弦楽パートが奏したあと、再びピアノによる前奏に戻って、バイオリン、チェロも揃ってクレッシェンドしていったところで一度音楽は足を止めます。

ピアノの完全なるソロ。輝かしい偉業の裏にある孤独や葛藤、そうした心の内面を吐露するような、楽器演奏による独白です。
(ここはかなり想いを込めて書きました。)
この部分のイメージとしては、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第五番 第一楽章 再現部:第二主題のソロ(参考動画) のような、孤高に生きる人間の運命・力強さのようなを表現しました。

ソロが終わると、そこへ寄り添うようにソロのバイオリン、チェロ、そして他の楽器も続き、(指導者を仰ぎながら新しい道を)ともに歩んでいきます。
そしてその後の歴史の激動を物語るように再び音楽は重く激しくなり、全楽器によるクライマックスで「伝説」は幕を閉じます。

9:05 七.日の出 :ロンド主題 (動)

「夜が明けた。やりきった。しかし、ここで寝てしまっては三尸(ソロ3部)が出てしまう。あともう少し」
三尸の主題を振りきり(楽曲の)内に抑えるように、ソロパート以外の弦楽パートが冒頭の主題を高らかに奏でて、終わりを宣言するように勢いよく強奏して庚申待は終わります。

あとがき

最後までお読みいただきありがとうございました。
自分の曲を解説するのは、やっぱりなかなか慣れません笑

「牛に引かれて善光寺」のアレンジと対になる曲として進めていましたが、善光寺アレンジの曲想・コンセプトがかなり壮大なため、どんなアレンジを持っていくか、かなり長い間 悩んでしまいました。

アレンジ候補として「日本中の不思議を集めて」が浮かんだあたりで、ふと以前によく聴いていた落語の演目『庚申待』を思い出しました。

これは庚申待で集まった若い衆たちが、とりとめのない話を次々にして最後は……という小噺を寄せ集めたような落語ですが、直観?で「不思議を集めて」につながるものがあると感じて、そこから庚申待を調べ始めました。

『庚申待』古今亭志ん生

するとすると、解説の冒頭で書いたような、善光寺とのつながり、聖徳太子の表と裏という二面性=仏教と道教という2つのアレンジと道筋が見え、構想が次々に浮かびました。
また7月には、京都の八坂庚申堂、大阪の四天王寺庚申堂、そしてすぐお隣の四天王寺(聖徳太子の聖地)にも足を運ぶなどして、庚申待と豪族の解像度を上げていき2カ月ほどで書き上げました。
(着手は8月後半だったため、9月の京都秘封には残念ながら間に合わず…)
そんなことで、秘封倶楽部20周年を祝うにふさわしいアレンジになったのではないかと思います。

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あとがきのあとがき

「ふぁ~。メリー、演奏会と徹夜の打ち上げはさすがに堪えるわね」
「……えぇ、本当ね」
「そういえば、今回の演奏会でも何か視えたような気がするんだけど、う~ん、なんだか前とはまた違うような」
「……たしかに、そう言われてみればそうね」
仏教が伝来し国教として広まっていく中、その裏でひそかに日本に浸透していった道教。
そして、それを進めていたのは他ならぬ仏教布教を打ち立てた為政者その人であった。たぐいまれなる才能、人望、地位……しかし同時に、寿命を持つ一人の人間としての限界。その恐怖から手を出した「道教」の仙術によって、表と裏に引き裂かれていった為政者の孤独と葛藤……。

と、そこまで視えたものの、それが本当か確かめるすべもなく、眠っていない上にお酒が回った頭が勝手に作り出したストーリーかもしれない。それにもし本当だとしても、封じた方がいい秘密もあるのだと、最初に口にしかけた為政者たちの名前を飲み込んで、
「……今回視たのはきっと、永く生き続けたいという人間の欲望ね。徹夜は身体には良くないけど、寿命は延びたんじゃない?」

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