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ジェリー・ブラウンとコロシアムの囚人

なぜオークランドは移転計画に失敗したのか

オークランドファンとして最近の移転情報にも疎かったので過去にどういった形で移転計画が進行し、なぜ失敗したのかについてジョンフィッシャー登場以前の情報を少しまとめることにしました。

アスレチックス、オークランドに移転 (1960年代)

話は1960年代に遡ります。当時観客数不足に苦しんでいたカンザスシティ・アスレチックスのオーナーチャーリー・O・フィンリーは巨大な市場を目指して移籍先を探していました。移転先としてはオークランドの他にダラス・アトランタ、ルイビルが候補に上がり、ルイビルに関してはリース契約にまで漕ぎ着けたもののオーナー会議で否決され1968年にオークランドへの移転が決定されます。

当時のオークランドの市長であったレディング(共和党系の市長、ちなみにこれ以降ずっと民主党系がオークランド市長を務めているらしい)はオークランド国際空港付近の開発と雇用の創出を熱心に進めており、この政策方針がコロシアムの誘致へと繋がったと考えられます。

https://www.sfgate.com/bayarea/article/john-reading-former-mayor-of-oakland-his-2670609.php

球場移転ブームとオークランド(2000年代)

オークランド移転計画の頓挫

移転から30年ほど進み、既存スタジアムの老朽化や新規チームの参入を背景に1990年から2000年代にかけて球場移転ブームがアメリカ全土で起こります。MLBでは、STL、TEX、WSH、BAL、PIT、CIN、COL、CHW、CLEが球場の移転を行いました。

https://www.dbj.jp/investigate/archive/report/area/newyork_s/pdf_all/89.pdf

元々アメフトとの兼用スタジアムで野球以外のエンターテイメントも不足しており、かつ老朽化しつつあったオークランド・コロシアムも例外ではなく移転の検討を始めます。まず、当時のオーナースティーブ・ショットとケン・ホフマンはオークランド内での移転を目指し、最も立地の良いアップタウンでの調査を始めました。
しかし、当時の市長であったジェリー・ブラウンによりアップタウンでの建設計画は拒否されます。当時市長が推し進めていた10Kプラン(1万人を住宅政策に基づいてオークランドに呼び込む計画)にアップタウンも含まれていたためです。この住宅政策は富裕層の誘致には一定程度成功したものの、政府の偏った住宅政策への傾倒は不動産価格の高騰を招き、貧困層が住み場を失いました。またブラウンは教育費の削減のために民間学校の誘致をGAPの創設者であるドナルド・フィッシャー夫妻の協力を得つつ進めた一方で、公立学校の改修を怠ったため公立学校のモラルハザードを巻き起こしたと指摘されています。

サンノゼ移転計画とフィッシャーの登場

オークランドでの移転計画が頓挫した後、ホフマンとショットはルー・ウルフという人物に2006年にアスレチックスを売却します。ウルフは不動産コンサルティング業を営む男で、移転先の候補として挙げられていたサンノゼの開発を行ってきた経歴を持っていました。ウルフはビジネス手法として自身が投資管理をするが、投資の資金の大部分は他の人物に負担してもらうというやり方をとっており、球団運営にも同じ手法を取りました。その際ウルフが選んだのがGAP創業者の長男でMLBのオーナーとしてもトップクラスの資金力を持つジョン・フィッシャーです。これにより、フィッシャーがOAKの株の多数を持ちながらもウルフが球団運営を行うという体制が出来上がったのです。

https://www.sfgate.com/sports/shea/article/A-s-NEW-ERA-LEWIS-WOLFF-A-fan-since-childhood-2689051.php

この際アスレチックスでもプレーしたレジー・ジャクソンが取りまとめる投資グループがウルフの買取価格の25Mも上乗せして提示したものの、ホフマンとショットにその旨が伝えられたのはウルフへの売却決定後だったという悲劇もありました。
後年ジャクソンはこの伝達遅れは当時のMLBのコミッショナーでウルフの大学の友人であるパド・シリグによる意図的なものであると訴えています。
その後のセリグのOAKへの非協力的な態度と整合性が取れない点等、この辺の真相は藪に包まれていますが、この微妙な行き違いが後年の惨劇を産んだことは間違い無いでしょう。


所感

サンノゼ移転計画が始まるまでを簡単にまとめてみましたが、球場移転ブームが起きた2000年代のオークランド移転計画の頓挫がそもそもの原因だと感じました。
ファンとして感情的な議論になりますが、オークランドの成長戦略として呼び込まれたアスレチックスが時が経つにつれ市行政からの関心を失ったことが残念でなりません。後の観客数の減少もコロシアムの老朽化に起因していることや現在の行政がアスレチックスの残留を望んでいることからも、真剣に行政側も移転について議論し代替案の提示等を行うべきだったと思います。
オーナー就任当時のウルフはオークランドの残留が基本路線だと語っていますが、その後の行動等を鑑みるとサンノゼへの移転も念頭にあったと考えられます。サンノゼはシリコンバレーの中心都市であり、理想的な移籍先であったことは間違いないのでウルフが儲け話としてフィッシャーを誘ったのではないかと自分は推察します。いずれにせよ球団運営への無関心さからも最初から移転による価値の高騰が株の購入の理由にあったことは間違いなさそうです。
この後サンノゼ移転は暗礁に乗り上げるわけですがそれは「ロブマンフレッドと謎の御曹司」(仮題)に書きたいと思っております。

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