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短編小説:やわらかもん(3)

「あかん。無理に決まっとる、お父ちゃん気でも触れたか?!」

息子の和樹が、青ざめた顔で隆太郎にそう訴えた。
それは、パン事業の危機を数年かけて乗り越え、市松屋の新たな支店を難波にどうですか?と言う銀行からの打診に応え、隆太郎が出店を決めた、その翌日の話で、隆太郎はその店を、息子の和樹に任せる。そう言い出したのだ。

「お父ちゃん、第一俺、まだ大学生や。働いたこともない。そんな人間になんで任せられる?」

あわてる和樹に、隆太郎はにっこりと笑う。

「お父ちゃんかて、アホやない。勝算があるから、お前に任すんや」

和樹がまだ中学生の頃、両親である自分たちは店で忙しくしていて、家を空けがちだった。そうなると、そう言う家は、友達の溜まり場になることが多い。
当時はヤンキー文化真っ只中で、髪を真っ赤に染めた子や、タバコも当たり前の子達が和樹の部屋でたむろしていた。
和樹は不良ではなかったが、友達は垣根なく付き合う子供だったため、特になんの抵抗もなく、その状況を受け入れていた。
心配したのは母親である衣子で

「うちで、なんか悪いことするんやないだろうか。喧嘩騒ぎなんて始まったら、止められんわ」

と少し斜め上な心配をしていた。

「甘いもん食べさせとけばええんちゃうか?甘いもん食べてる時、人は平和な顔になるからな」

隆太郎はそうアドバイスし、衣子はその通り、お店のお菓子をこれでもかと和樹の友達に振る舞った。
そうすると不思議なことに、本当に我が家では気の荒い子達がいつもニコニコしていて、なんのトラブルもなかった。

そのうち、和樹も自分でお菓子を作るようになり、友達のリクエストに応えてはその場で作り、出来立てを食べさせていた。

隆太郎も、そんな場面に一度だけでくわした事があった。

「和樹!この菓子、めっちゃうまいな!!!すごいな!!」

その時は、フィナンシェを作っていたらしく、出来上がりすぐを食べさせて、友人が絶賛していた。

「うちのお父ちゃんがよく言うてるからな。『菓子はやわらこうなきゃいかん』ってな」

そう笑ってお菓子を作る和樹の顔が、隆太郎は忘れられなかった。
そしてもう一つ忘れられない思い出があった。

パン事業が行き詰まりを見せていた頃、そんな中でもやめなかったことがある。

それは和樹との食べ歩きだ。

和樹との時間を見つけては、全国の美味しいお菓子やパンを食べ歩くのがライフワークになっていた。
パン事業が行き詰まってからは尚更何かヒントはないかと縋るように食べ歩いていたようだ。
ようだ、とは自分では全く気づいていなかったからだ。
それに気づかせてくれたのも、和樹だった。

旅先のお店の中で熱いお茶をいただいて、そのお店自慢の焼きまんじゅうを食べた時だった。

その日はとても寒く、体が冷えていた。
熱いお茶で体の中が少し温まったのと、焼きまんじゅうのホッとする暖かさと甘さが身体中に染み渡った。

「あったかい…うまいな」

思わずそう呟いていた。
その時視線を感じたので、横を見ると和樹がニコニコと隆太郎を見つめていた。

「なんや?」

「ふはは、お父ちゃんやっとその顔したなあ。お菓子食べてるのに、ここんとこいっつも厳しい顔しとって、つまらんかった。
柔らかいお菓子食べとるのに、顔が柔らかくなきゃ勿体無いやろってずっと思ってたわ」

ハッとした。
自分は『菓子はやわらこうなきゃいかん』そういつも周囲に言っているのは何故だ?
ただただ、柔らかいお菓子をお客さんに食べてもらいたいだけじゃない。
柔らかいお菓子を食べることで、思わず顔が綻ぶ、柔らかくなる瞬間を見たいからだったはずだ。
それなのに、自分自身がその言葉の意味を履き違えていたなんて。

そこから隆太郎は考え方を変え、数年かけてパン事業を軌道に乗せた。
今回、銀行から難波にお店を出さないか?と打診された時は正直迷いがあった。
難波でお店を出すと言う事は、大阪の中心で勝負をすると言う事だ。
今までの自分の技量では到底うまくいくとは思わなかった。

その時、笑顔の和樹が不意に思い出された。

そうだ。
和樹だ。
あの子は自分が意図しないうちから『菓子はやわらこうなきゃいかん』という精神が染み付いている。

任せてみよう

そう思った。
それに、今うちの会社には力強い味方がいる。
社長の隆太郎にも物怖じせず意見を言える人間が加わっていた。
かつて一緒にお菓子を売り歩いたあの少年、野田が今は一緒に働いていてくれているのだ。

野田は率直な意見を隆太郎達にちゃんと伝えてくれる。

「外から来た人間にしかわからん事があるんです。良いですか?ここでの常識が、世間の常識とは限らないんですよ?」

それが決まり文句で、それを言われると不思議とそうかも知れない、と周りが思ってしまう不思議な力が、彼にはあった。
きっと野田ならば和樹を支えてくれるだろう。

隆太郎の心は決まった。

そんな隆太郎の揺るがない決心の前に、和樹は慄く気持ちもあったが、実はちょっとワクワクしていた。

小さな頃からお菓子作りに邁進する父親を見てきた。
正直家族としての時間はあまりなかった。
それでも、お客さんを相手にする父親の姿はどこか誇らしげで、自慢だった。
だから、いつの間にか父親の口癖である『菓子はやわらこうなきゃいかん』を自分も使うようになっていた。
お菓子はイライラしている時、悲しい時に食べると「ホッと」何かが胸の中に落ちてそれだけで少しだけ前を向ける。
お菓子にはそんな不思議な力がある。その力をいろんな人に広めたい。

そう思い始めていた。

そんななか、父親から持ちかけられたトンデモ話だったが、父親のあまりのまっすぐな目に、和樹はいつの間にか
「やってみるわ」
と答えていた。

その日から目まぐるしく日々は過ぎ、難波に市松屋2号店を出す事ができた。
開店初日。
思った以上に客足が伸び、順調な売り上げだった。
ただ、それだけだった。

その後も売り上げが伸びるわけではない。その程度の売り上げでは、銀行から融資してもらった借金を返せるほどの売り上げにはならなかったのだ。

「まずは派手な赤字を出さんかったのは大したもんや。だが、和樹、これからや、これからどうする?」

尋問にも近い隆太郎の質問が和樹を苦しめた。
普段、相談に乗ってくれる野田も、この時は何も答えてはくれない。

それはそうだ。
これは自分が手がけた店なのだから、自分が考えなければならない。

和樹は改めて店の経営の難しさに直面していた。(続く)

あとがき
これは、松下洸平さんが自身のライブツアーの大阪公演で、りくろーおじさんのチーズケーキの話題になり「やわらかもん」という題名で朝ドラを作りたい。と話していたことから、着想を得て考え始めました。
ちょっと、いや、かなり間が空いてしまってすみませんでした。
なお、このお話はあくまでも私の妄想であり、りくろーおじさんの話ではありませんので、悪しからずです。



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