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焚き火2

「智也くん、私のことどう思ってる?」

山根さんは焚き火の向こう側から突然聞いてきた。

「どうって…」

俺はその後に言葉を続けることができなかった

「私はね、智也くんが好き」

パチパチと火花が飛ぶ向こう側で山根さんは俺をまっすぐみて言った。

「…俺なんて、好かれる要因ひとつもないでしょ」

「わたしには優しいじゃん」

「え?それだけ?」

「それで充分じゃない?」

「そう………か……」

「今日、楽しかったでしょ?私も楽しかった。こうやって、楽しい日々が続けばいいなと思ったの」

うれしかった。本当に嬉しいと思っていた。

初めて会った時から笑顔に吸い込まれていた。
これが、人恋しいって気持ちなんだろう。久しぶりすぎて忘れていたが、そんな思いを思い出させてくれた。

「俺も」

そう返事しようと思った時、山根さんの奥の暗闇に光る二つの眼があった。
俺は言葉を飲み込んだ。

「……ごめん。ダメなんだよ」

「ダメってどういこと?」

山根さんにそう言われても俺はそれ以上答えることができなかった。

「俺、寝るわ。山根さんもこれからの時間は冷え込むから早く休んだ方がいいよ」

そう言って1人テントに入った。

どのくらい時間が経ったろう。結局眠れるわけもなく、俺は起き出し、1人で薪に火を焚べていた。

そんな俺に気づき、山根さんも起きてきた。

「何してるの?」

「朝日を見たくて」

「え、いいな。私も混ぜてよ」

そう言って俺の隣に座った。

あんな態度をとったのに何もなかったように接する山根さんに、俺は場違いと思いつつイライラしていた。
イライラしていたから、山根さんをきちんと見ることができていなかった。

1人黙々と薪をかまっていると、火柱が立った。
すると、山根さんの顔が火で照らされてよく見えた。

真っ白だった。

考えたら、山根さんはさっきから全然喋っていない。よく見ると、体がカタカタと震えていた。山根さんの頬を触ると手袋をしていても分かるくらい冷たかった。

しまった!

キャンプ初心者の彼女をこんな冬キャンプに連れてきて、温度調節がうまくいかないのは当たり前なのに。

俺は慌ててやかんに沸かしていたお湯をゆっくり飲ませる。そして、山根さんのテントからシュラフを持ってきて、俺のシュラフと繋げ、寒さでうまく動けない山根さんをなんとか動かして、俺のテントに寝かした。ありったけのカイロを身体中に貼り付けて、ペットボトルに湯たんぽを作って2人でシュラフにくるまった。

震える山根さんの体をさすりながら、俺は後悔していた。

なぜ彼女を連れてきたのか。
連れてくるなら、もっと暖かい時期でもよかったじゃないか。

また俺は失敗するのか。
俺は必死だった。怖かった。

「………あったかい」

山根さんがそう小さく呟くと、お互いの体温が上がっていくのがわかった。
暫くすると穏やかに寝息を立てる彼女を感じ、ホッとした。

ホッとしたら、自分も眠くなり、いつの間にか2人で眠りについていた。

「ねえ、智也くん大丈夫?」

気がつくと山根さんに揺り起こされていた。

「え?」

「え?じゃないよ。凄いうなされてたよ。大丈夫?」

「ああ、いつもの悠太の目とエッジの跡だ…」

眠気でそう呟いてしまった。

そして、暖かい温もりに包まれて微睡んでいた俺は、山根さんの誘導に導かれるように、ずっとうなされ続けているあの日の事を話しだした。

俺はバックカントリーが趣味で親友の悠太と一緒に頻繁に雪山に登っていた。
2人でコンパスと山地図を頼りにルートを決めて山を登り、斜面を降る。
何もない雪面に自分達のエッジの跡が付くのが楽しくてハマっていた。

あの日も2人でルートを決めて2人で見定めた斜面を降った。
ふと斜面を見上げると、エッジの跡が割れるのが見えた。

「ヤバい!」

そう叫んだが間に合わなかった。

俺たちはあっという間に雪崩に巻き込まれ、上か下か、右か左かも分からないまま転がり続け、気がついたら俺は上半身が雪から出た状態でいた。

俺はなんとか雪から抜け出したが、悠太の姿がなかった。
2度と見ることはなかった。

それ以降、俺は自分を責め続けた。

あの時、あのルートに決めなければ。
あんなエッジをずらして滑らなければ。
バックカントリーにハマらなければ。

悠太と出会っていなければ

後悔はいつしか自分を縛り付ける鎖になり、自分1人幸せになってはならないと思うようになった。

だって、あいつが歩むべき未来は俺が奪ったのだから。

「暗闇であいつの目が光ってるんだよ。幸せになるんじゃない、って俺を見張ってるんだ」

そこまで話した所で、だんだん目が覚めてきた。

「えー!おかしいこと言うね。あははは!」

意識がはっきりしてきた所で、飛び込んできたのは山根さんの笑い声だった。

今まで「そんなに自分を責めないで」と励まされたことは山ほどある。
でも、笑い飛ばされたのは初めてだった。

「智也くんの中のその大切な人は、呪うような人なの?
勝手に呪うような奴にしちゃうなんて失礼だよ。
智也くんが大切だと思ってる人なんだから、そんなことする人じゃないでしょ」

びっくりした。
びっくりして、言われるがままに悠太を思い出した。

俺の中の悠太はどんなだったっけ。

悠太は笑ってた。
でも時々怒ってた。稀に泣いてた。
でも、やっぱり大抵笑ってた。
俺とくだらない話をしてゲラゲラ高い声で笑い転げてた。
俺は悠太のことが大好きだった。
悠太も俺のことが大好きだったはずだ。

そうだった。

大好きだったんだよ。

なのに俺はいつの間にか、悠太を畏れて罪悪感に蓋をした。

自分を責めるという見せかけの罪の上に悠太を悪者にしたんだ。

暗闇で光る眼光は悠太じゃなかった。
俺自身だったんだ。

なんだよ。俺は、俺のことが怖かったのか。

助けられなかった。
でも、あの時進むと決めたのは俺たちだ。
あのエッジの跡をつけたのがどちらなのか、今もわからない。
でも、俺も、悠太も未熟だった。

未熟だったから、読みが甘かったからあの雪崩は起きてしまった。

やっと思えた。

俺は、自分を責めるばかりで、自分自身を見つめていなかった。
お互いの未熟さゆえの事故だったと認められなかった。

悠太、ごめん。
お前を悪者にして、ごめんな。

そう思ったら、目の前で山根さんがニコニコしていた。

ああそうだ。

山根さんの笑顔と、悠太の笑顔、笑い方が似てるんだ。
だから、強烈に惹かれたし、強引にでも遠ざけた。

それが山根さんは今、目の前にいて、俺に笑顔を向けてくれている。手を伸ばすと、簡単に山根さんの頬に手が届いた。

先程まで氷のように冷たかった山根さんの頬は、紅潮していて、生気に漲っていた。

俺は山根さんをぎゅっと抱きしめた。

抱きしめたら、涙が込み上げてきた。
やばい、格好悪い!こんな目の前で泣くなんて。
そう思ったが込み上げてくるものは止められなかったし、シュラフにくるまっていたので逃げることもできなかった。

「私も、智也くんも生きてるね。こんなにあったかい。ほら、涙もあったかいよ」

そう言って山根さんは俺の涙を指で拭って、ぺろりと舐めた。

「舐めんのかよ!」

俺は予想外の行動、言動をする山根さんが面白かった。愛おしかった。
俺は泣きながら笑った。忙しかった。

愛おしくて、可笑しくて、くすぐったくて頼もしい。
なんだこの感情は。

これが生きるってことか。

気がつくと、目の前に広がる山がオレンジ色になっていた。 

「夜が明けるね」

彼女は笑っていた。眩しかった。
朝日みたいだった。

なんだよ。
手が届くじゃないか。
こんな簡単なことだったのかと思ったら、今度は笑いが止まらなかった。

嬉しくて嬉しくて山根さんを力の限り抱きしめた。

「苦しい、苦しい」

笑いながら山根さんが俺の背中をタップする。

「ごめん。でも、好きだから離さない」

「え?ちょっと待って。もう一回言って」

「良いよ、何度でも」

朝日が昇ってきた。

でも、気にしなかった。

夜明けは毎日やってくる。陽も毎日昇る。

時間は俺がどう思うと進んでいき、日常は進んでいくのだ。立ち止まる必要はない。
今、目の前にある幸せをまずは噛み締める。

そこから始める。
熾火になった焚き火台が、パチンと火を跳ね上げていた。

悠太が笑っているようだった。(終わり)

あとがき
松下洸平さんのインタビューや歌に触れているうちに私の創造力が刺激されて、心にある傷を持っている男性の再生物語を描きたくなって、今回のお話を思いつきました。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。



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