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夏の魔法4〜写真集「体温」より〜

美しい花、美しい海、美しい空。
俺は最初この島に来た時、その美しさに全く気付く事ができなかった。
押し寄せる仕事、それをただこなす毎日が当たり前になり、俺はその流れを止める事さえできなくなっていた。
だからこの島の風景は、ただの流れる風景になっていた。

きっと、ひよりちゃんもそうなのだろう。
幼い頃から、この島は彼女を『見捨てられた』事を突きつけてしまう島。
でも、鎖のように、この島から逃れられない。来るはずのない母親を待ち続けてしまう。

似たもの同士だったのだ。

そう思ったら、ひよりちゃんの寂しさ、苦しさ、悲しさ、切なさ、怒り、全てが俺の中に流れてきて、俺はただ、ただ、涙を流していた。

「ごめん。大人なのに、カッコ悪いな」

とめどなく流れる涙を、止める術を忘れてしまった位、俺は久しぶりに泣いていた。

すると、ひよりちゃんが俺の後ろから、そっと抱きしめてきた。

「やだよお、なんで八代さんが泣いてるの?」

絞り出すように声を出しているのがわかった。
俺は振り向き、ひよりちゃんを抱きしめる。

「ひよりちゃん。この島でよく頑張ったね。良いんだよ、自分褒めてあげて。俺はこの島の人間じゃないから、甘えて良いんだよ」

ひよりちゃんは最初首を振って「泣かない」と呟き、俺から離れようとしたが、俺は離さなかった。ここで離すことをしてはならないと、一昨日までの俺が必死に訴えていた。
次第にひよりちゃんの身体の力が抜け、俺の胸に顔を埋めていくのがわかった。

「わああああーーーーん」

堰を切ったように、ひよりちゃんは子どものように泣き出した。
その涙はなんの涙なのか。
真実は俺には分からない。
でも、その涙を受け止めたい。受け止めさせて欲しい。
ひよりちゃんの涙が、体温が、俺に染み込む。
俺は、ひよりちゃんを抱きしめ続けた。

「おなか、すいた」

しばらくお互い泣きあった所で、ひよりちゃんがそう呟いた。
気がつけば太陽は真上に来ており、お昼時に差し掛かっていることがわかった。

「そうだね。お昼、食べようか」

そう言って2人で同時にゆっくり体を剥がして歩き出し、昨日食べた島そばのお店に行った。

何をどう話して良いのか分からなかった俺たちは、口数が少なくなっていた。
今日もお店のお婆さんは三線を持ってポロポロと歌を歌っていた。
先程ひよりちゃんが歌っていた歌だった。

「その歌の由来、聞きました。俺、そんなことがあったなんて知らなくて。ただただ、この島の美しさに魅せられてただけで、なんか、恥ずかしくて」

俺の言葉におばあさんは、にっこり笑った。

「ええんさあ、旅の人が穏やかな顔に、笑顔になれば、島が元気になる。それでええんさ」

そう言って、また三線を弾いてくれた。
やっぱり素敵なメロディだった。

俺がこの島は笑顔を吸い込むと思ったのはそういう事か。
悲しいことがあったのは事実。
でも、笑顔がその悲しさを乗り越えさせてくれる。
笑ってて良いんだ。

前を向いたら、ひよりちゃんが笑顔で俺を見てくれていた。

ああ、この笑顔は島の笑顔なんだ。
俺の固く閉じられた毎日を解いてくれる、魔法の笑顔。

ひよりちゃんが好きだ

俺は自分の思いを確信していた。
でも、俺は明日にはこの島を去る。
ひよりちゃんはこの島に残る。
ここで俺が中途半端に思いを告げて帰ることは、彼女をまた置き去りにしてしまう。
そんな悲しい思いはさせられない。

じゃあ、俺に何ができるというのか?
せめて、ひよりちゃんの荷物を少し下ろしてあげよう。その方法を探ろう。
そう誓った。

その後は、2人でまたゆっくり散歩をして帰路についた。

何色が好き?
好きな食べ物は?
いつもどんな動画見てるの?
犬派?猫派?

そんなどうでもいい会話をたくさんしながら、ゆっくり、ゆっくり帰った。

帰った後、ひよりちゃんが明日空港まで送ってくれる約束をして、俺は1人民宿に残った。
確か、荷物の中にもしかしたら使うかもしれないと思って入れておいたものがある。
俺は荷物を漁った。

「こんばんはー」

シャワーを浴びて、そろそろ寝ようかな。そんなふうに思った時、玄関にひよりちゃんがいた。

「どうしたの?」
「花火、しない?」
「花火!」

久しくしていないものだった。最後にやったのはいつだ?思い出せないくらい過去だった。

「あれ?何してたの?」
民宿に上がってきたひよりちゃんが何かを見つけた。

しまった。
そう言えば、道具を出しっぱなしにしていた。

「あは、バレちゃった。ちょっと、絵をね。ここの思い出にと思って描いてたの」

まだ途中だから見ちゃダメだよ。
そういう前に、ひよりちゃんは絵を手に取っていた。

「うわ、うま…綺麗」

「完成させて明日見せようと思ってたのに」

「え?これ、あの桟橋と海だよね。花もある。
あははは、ゴミも描いてある。面白い」

それは、島で見た、美しい空、海、雲、花、道路、動物、三線、そして、綺麗じゃなかったゴミたちだった。

「これはさ、俺がこの数日間で見た島の風景。この島は綺麗なもので囲まれてるけど、悲しい過去や、ゴミもある。
でもさ、物事って全て表裏があって、清濁がある。それを飲み込んで、人は生きてる。それを描きたかったんだ」

その絵はまだ未完成で、デッサンだけだった。

「これをね、ひよりちゃんにあげようと思ってたの」

「私に?」

「うん。ひよりちゃんの笑顔は、この島そのものなんだよ。悲しい過去も、全部ひっくるめて、今笑えていればそれでいいし、色んな思いがあるから、綺麗なんだよ」

「……嬉しい」

ひよりちゃんは、デッサンの絵を胸にぎゅっと抱きしめた。
俺はそれだけでよかった。
それだけで、充分だった。

その後は2人で子供のように花火をして、かき氷を食べたり、ゲームをしたりしてはしゃいだ。

「送ってくよ」
俺たちは、夜の道をゆっくり歩いた。

「明日の夜には、八代さんは、東京なんだね」「そうだね…この空ともお別れかあ」
「でもさ、空は繋がってるんだから、この星を見れば思い出すでしょ?」
「東京の空は、明るくて星がほとんど見えないんだよ」
「えっ?!そうなの?!えーと、じゃあ、月は?」
「月は見える」
「じゃあ、月が見えるときは、この島を思い出して」
「そのときは、ひよりちゃんも思い出すわ」

「ありがとう」
「また会えるかな?」
「会えたら、いいね」

俺たちは、そう言って笑顔で別れた。

⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘⌘

東京に戻ってきた俺は、日常に戻っていた。
次々現れるタスクとそれを追う日々。
それでも俺は、どこか俯瞰する事を覚えていた。
その俯瞰は余裕を生み、必要以上に仕事を追わなくなった。

その代わりに、絵を描くようになっていた。
実は昔は美大を目指したいと思うほど、絵が好きだった。
だけどその夢は『叶うわけない』といつのまにか自分の心の奥底に押しやられて、俺は日常に逃げていた。
あの海で削ぎ落とされて見つけたのは『絵が好きだ』と言う自分だった。

もう一つ、見つけたものがある。

ひよりちゃんへの思いだった。

あとがき
これは、松下洸平さんの写真集「体温」から発想を得たお話です。
前回書いたのは曲がもとでしたが、同じ体温というキーワードから、思いついたお話を綴っています。
今回は長いお話になってしまいました。
後もう少しだけ、お付き合いいただければと思います。

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