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登山家の孫なのに(仮) 1 山に登らない孫

なるべく内緒にしているが話の流れ上、避けられなくなると「ええと、祖父は登山家でもあった人物でして……」と小さな声で言ったりする。仕事の文脈で出た話なら比較的静かに流れていくのだが、相手がプライベートの知り合いであれば、「えっ? あなたのおじいさんが?」と笑みと驚きを含んだ声で返される。その人の目の前にいるわたしと、「登山家の祖父」との間に相当な断絶が見えるようなのだ。それをこちらも承知しているからこそ、小声で言ってるのに。


この登山家とは母方の祖父である。超アウトドア一家出身の母と、超書斎派の父の間にわたしは生まれた。
そしてわたしはこの点において間違いなく父似である。


富士登山イニシエーション


母方の祖父の肩書は登山家だけではなく、名刺に刷り切れないほどたくさんあったという(その大半は名前を貸しているだけのもので収入をもたらさず8人の子を抱えた一家はいつもぴーぴーしていたという話も伝え聞く)。
母方の係累には登山やスキー、アウトドアスポーツ、自転車などをかなり本気でやる人が多く、母の育った家庭では富士山登山が通過儀礼とされていたふしがある。
母と結婚した書斎派の我が父も例に漏れず連れて行かれたのだが、高山病にやられて登頂を果たせず山小屋でほかのメンバー=一族郎党を待つしかなかったようだ。通過儀礼をパスできなかったのに父が一応伯父叔父たちの間で一人前と認められていたらしいのは、彼らからすればあまりにも異人種で評価しようがなかったからではないだろうか。「ほかならぬヤスさん(伯父たちの間での父の呼び名)だからなぁ」と思われていたに違いない。


その後、この世に生を受けたわたしの弟や従兄弟従姉妹たちもみんなそれを難なくこなして一人前と認められたわけだが、なぜかわたしには「富士山登ってみるか?」の声がかかることはなかった。 ヤスの娘だから誘うだけ無駄だと思われたのか、子どもの頃からそういうことにまったく興味を示さず、「結局あとで降りてくるのになぜわざわざ登るのかわからない」などと真顔で言って登山という営為を根本から問うような子だったために説得するのが面倒くさすぎて義務を免除されたのか、わからないが。


呼ぶ声? 呼ばれる声?


理屈はともかく。そして興味のありかはともかく。運動神経・反射神経・瞬発力・身体のサイズ・筋力・動くときの根本的な不器用さなどなどわたしをスポーツやアウトドアから遠ざける身体的な弱点はいくつもあった(今となれば、軽く発達障害の傾向が混じっている可能性も考えられる)。ついでにかなりのビビリというのも手伝って。要するに、はなから向いていなかったのだった。
もちろん、ひねくれた性格なのでそんな家系へのちょっとした反発もあった。
そんなわけで登山家の孫であるにもかかわらず、アウトドア・アクティビティに加わる機会が極端に少ないまま生きてきたといっても過言ではないのだが。
なぜか、気づくと周りには登山やらガチハイキングやら自転車(わたしは乗れない)やらの人たちがいた。ちなみにわたし自身がそういう活動をしないのだから、別のことをしているうちに出会ってしまうケースが多い。


最近、そのことが妙に気になる。自分がどういうわけか、そういう人たちを呼んでしまっているような、あるいは、出会うように仕向けられているような気がしているからだ。


登山家の祖父はわたしが小学生のときにがんで亡くなった。
彼の海外遠征、父の仕事でわたしが国外で暮らした時期なども重なり、祖父の記憶はあまりない。
履歴で筆頭に来る肩書きは登山家、次がジャーナリストという彼は、かろみのあるエッセイの書き手としても知られていた。登山という行為が文章を書いたり読んだりすることとかなり近いことをわたしは彼の存在からなんとなく感じ取っていた。
そのことは、わたし自身が一時期うっかりフライフィッシング沼にハマりそうになったときにまたぼんやりと実感することになった。
フィールドにいるときには何かに没頭している一方で感覚はつねに周囲に対して研ぎ澄まされている。それなのに、人間はそこで何かを考えている。というか、そこで考えていた=頭のなかに生まれたことを現場を離れたあと、ある瞬間にふと思い返して考え込む。それが文を書いたり読んだりすることにつながっているんだ、というふうに。


そこで、わたしも自分が何を考えたのかを考えて文章にしてみることにした。どこに到達するのかわからないけれど、とにかく書き始めてみるのがいつものやり方なので。
ただ、このテーマに関してわたし自身は経験も素養もなく材料に乏しいので、これまでにご縁をいただき出会った人たちにいろいろ話を聞いてみようと思う。そこで浮かび上がってきたことを綴っていくつもりだ。

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