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シン・仮面ライダーを見たひとりの昭和ライダーオタクの感想(※ネタバレ注意)

「オタクってこういうの好きなんでしょ?」

SNSにおいてそういう表現の仕方をしたとき、大抵は悪いニュアンスとして用いられる。ある意味で正確かつ合理的なマーケティング手法と言えなくもないが、ただオタクというのは、自身がマーケティングのターゲットにされる事を嫌う個体が多い民族である(私もそう)。
つまりは自分の人生において構築された唯一無二の性癖が「お前らが好きそうなやつ」とざっくばらんにひとまとめにされるのが気に入らない、あるいは自分が好きなものに支払うお金が支払いたくない先に流れていくのが気に入らない、といったところじゃなかろうか。私がそうだってだけだが。

しかしながら、一方で逆に、それがオタクに好感を持って受け入れられるものもある。この場合「オタクってこういうの好きでしょ?でも残念だったな、俺の方が好きだぜ!」なんて表現される。私の拙いアニメ視聴経験だと「ガンダムビルドファイターズ」が実にそれだった。
これに関しては先述の作品と何がどう違うかと言われると、言語化が難しい。実際のところ「俺の方が好きだ」という信念の元に作られたにも関わらず、それが伝わらず浅はかだと切り捨てられることも、なくはないだろう。もちろん、その逆も然り。

閑話休題(それはそれとして)。

「シン・仮面ライダー」を見てきた。
40年の人生のほぼ大半を仮面ライダーファン・仮面ライダーオタクとして過ごしてきた私から言わせても、これは私など軽く凌駕するほどの仮面ライダーへの愛情とリスペクトとを注ぎ込める人が作ったと言わざるを得ない。
映画館を出て真っ先に思ったのは「やりやがったな庵野秀明」だった。庵野監督の手の中で踊らされてるって分かっていてもメチャクチャ面白かったし、恐らくこの先アマゾンプライムでも配信されるだろうから、その際にはまた見たい。(映画館で見たいけど時間とお金がね)

ただ、思い入れが強すぎたせいだろうか、文書にまとめるのに1ヶ月以上かかった。こうなると9割方公開せずお蔵入りになるんだけど、これが見れているということは、頑張って世の中に出せるところまでこぎつけたのだ。そこは褒めてほしい。

そんなわけでこの記事は「ひとりシン・仮面ライダーここが面白かったよな会議」なので、これから見る予定のある方は推奨しません。
逆にもう見たという方は、「俺はこういうとこに気づいたよor面白かったよ」などのコメントを頂けると嬉しいです。

前提(またの名を「俺こんだけ仮面ライダー好きよ自慢」)

まず私がどういう経緯でもって本文を書いているかといいますと。

  • 私が初めて見たのは仮面ライダーは、4歳の時に放送していたBLACK。

  • 小学生の頃、歴代仮面ライダーが夕方に再放送していたので、昭和ライダーの大半はそこで履修済み。悪名高いファミコンソフト「仮面ライダー倶楽部」にも少年時代の貴重な時間を捧げた身。

  • RX以降、SDは見たが、真〜Jとは見ておらず、高校時代に始まった平成ライダーも最初は好感が持てず、ディケイド放送開始まで見ていなかった。

  • ディケイド以降視聴再開したがOOOの途中で離脱。鎧武で再々開、ゼロワンの途中で再離脱。これは興味云々より、生活の変化によるもの。

  • 2008年頃、デアゴスティーニのアレを読みながら全巻買い揃えた。
    私の人生においてデアゴスティーニに手を出したのは、後にも先にもこれっきり。金持ちの道楽だよあんなの。

  • 風都探偵は現在単行本購読中。仮面ライダーSPIRITSも15年くらい前までコミックレンタルで読んでいたけど、どこまで読んだか覚えてない。

公開前に感じた一抹の不安

さて、庵野監督が仮面ライダーのメガホンを取ると聞いたとき、あんたシンエヴァも終わってないうちにシンウルトラマンとか言って、さらにこの期に及んで何言ってんだという不安があったが、情報が出てくるにつれてもう2つほど、本作に関する不安が垣間見えた。

こんな記事を読んでいる諸兄には言うまでもないだろうが、この50年の間に、仮面ライダーは何度も原点回帰を行っている。スカイライダーと呼ばれる「仮面ライダー(新)」に、私の好きな「BLACK」、音だけで言うと今作と混同しやすい「真」。平成ライダーとしても「カブト」や「W」、「ゼロワン」といったところでその模索が見える。
そして今作のような初代仮面ライダーを題材とするなら、真っ先に思い出すのは2005年放映の「仮面ライダーTHE FIRST」ではないだろうか。

そう、不安の1つはFIRSTの二の舞にならんか?ということ。

実のところ私はTHE FIRSTに関しては、私も公開前からかなり注目していた1人だった。先述の仮面ライダーSPIRITSもさることながら、現在ULTRAMANを執筆されている清水氏・下口氏が過去に二次創作で描いていたHybrid Insectorも好きで、かつて夢中になったヒーローが、大人になった自分たち向けに再構築されるとあっては、興奮を抑えられなかった。
実際、当時の平成ライダーよりもスタイリッシュにまとめられた仮面ライダーの造形には、さすが出渕さん!と膝を打ったし、サイクロン号や変身ベルトに関しては今作よりこっちの方が好きだったりもする。話の方も、本郷猛の大学生としての研究分野にフォーカスを当てたり、ショッカーの描かれ方もまた意欲的というか、幹部としてかつての死神博士を彷彿とさせる老紳士と共に渋谷から連れてきたチャラ男みたいなのが並んでたり(今調べて知ったけどあれISSAだったのか)、過去の下地を持ちながらも何か新しいことを始めようとしている感は見受けられた。

しかしながら、私には受け入れられなかった。

決して駄作だなどと言うつもりはない。期待値が高すぎたのだろうか。言葉にできないけど、視聴後のモヤッと感は今も覚えている。
最もモヤッとしたのは海辺で本郷と一文字がヒロインについて「お前、あいつのことが好きなのか」「違う、俺は~」みたいな問答をするシーン。イケメン俳優が演じている設定年齢上20代半ばの2人が、そんな男子中学生みたいな青臭い問答を真面目な顔でするのだ。ヒーロー映画に恋愛は不要などとは言わないし、大人向けに作るならそういう要素もあっていいと思う方だが、だったら何で2人の恋愛観だけニチアサ準拠なの?と興醒めだった。
あとは粗を探すようで気乗りしないんだけども、ライダーキックだったかライダージャンプの際の「ふわあっ」とした感じに、ああワイヤーアクションなんだな、と醒めた目をしてしまったのもあったか。いやこれは昭和の特撮がそれだけヤバかったって話に帰結するんだけど。

そういうわけで、シン・仮面ライダーの制作発表に際しても、一抹の嫌な予感が拭えなかったのだ。それが「シン・ゴジラ」をあれだけ成功させた庵野監督でも。それだけ私にとって仮面ライダーはデリケートな作品だった。

もうひとつは、ガジェットが異様にエヴァっぽいこと。

仮面ライダー自身のデザインはすごく良かった。マスクの隙間から見える肌やはみ出た後ろ髪なんかは「庵野さんすぐそういうとこ拾っちゃうー」とニヤリとした(それにしたってはみ出すぎだと思うが)し、ロングコートを羽織り全体的なトーンを暗めにしたのには、萬画版のテイストを取り込んだようにも見える。改造人間としての悲哀を色濃く表現したものなのだろう、とにかく全体的にケレン味すら感じるシブさがあった。
FIRSTのディテールの緻密さも良いけれど、これもなかなか素晴らしい。そしてこれがFIRSTと同じ出渕さんの手によるものだと言うのだから、あの人本当にすごいなと思う。(今回は数名との連作だそうだけど)
怪人については蜘蛛男と思われる存在(=クモオーグ)だけ予告に出ていたが、これもまた「現代に潜む怪奇」と言う観点で見ると、2020年代の蜘蛛男としてなかなかに良いと思った。

だが、変身ベルトとサイクロン号。これだけが異様に庵野作品っぽい、というかぶっちゃけエヴァっぽいのだ。変身ベルトに至っては正式名称が「プラーナ強制排出補助機構付初期型」という、いつものアレだし。トップをねらえ!の頃からの芸風なんだろうけど。
何も私はそういう庵野作品っぽさが嫌いなわけじゃない。こちとらエヴァにも大きな影響を受けたクチだ。ただ、仮面ライダーのデザインがああだったのに対して、メカニックデザインがこれかよ、と言うミスマッチ感が否めなかった。

さて、そんな期待と不安が入り混じった気持ちで見に行った本作、総合的にはとても面白かった。ようやく本作を見た感想に入る。
前置きが長いんだよ私は。

「これが俺の仮面ライダーだ」

冒頭に書いた通り、本作は私の見る限り、決してビジネスライクにオタクを釣るような作品ではなく、むしろ俺たちの方が好きだと叩きつけてくるような、いっそ清々しいほどにファン向けの映画だった。
パンフレットには「自分の見たい仮面ライダーではなく、仮面ライダーに対する恩返しとして撮った」とあったのだが、確かにリスペクトはこの上なく感じつつも「これが俺の仮面ライダーだ」と言わんともしがたい情熱は垣間見えてくる。

本作の面白いところは時代背景を2020年代にしつつも、全体的に仮面ライダー放映当時の1970年代を感じさせるところ。シンエヴァで吉田拓郎の楽曲が使われていた事もあったが、庵野監督の作品にはしばしば70年代のエッセンスが付きまとう傾向があるなと最近気づいたし、そこに仮面ライダーがしっくりきたというところか。
途中で出てくるホンダ・アコードについては、1970年代でも2020年代でもない異質の存在感を放ってたんだけど、あれはウルトラマン関連のスタッフをやっていた方の遺品だそうで。分かるかそんなもん。

一方、そんな1970年代の画作りに不釣り合いだろうと心配だった変身ベルトやサイクロン号も、実際にスクリーンに出てくるとそれほどの違和感を感じなかった。
特にサイクロン号は自動でついてくる飼い犬のようなかわいらしさを見せてきたり、マフラーが前後左右に分離してブースターの役割をしたりと、様々な面で有能さを見せつつも、終盤に本郷に惜しまれつつ爆散という最期を遂げたという、本郷猛・一文字隼人・緑川ルリ子に続く主役級の大活躍で、デザインなんてまったく気になるどころではなかったのだ。

仮面ライダーと対峙するSHOCKERの設定にも舌を巻いた。仮面ライダーに限らず、今日に至るまで悪の組織というのは、特にこれと言った経緯や理由もなく、世界征服を企んで毎週のように悪事を働くということで、一種のお約束にはなってるんだけど、今作においてはひとつの理想に基づいて集まった一枚岩でない組織という形で、その存在に説明を付けていた。
緑川イチローの理念に関しては「あっ、いつもの人類補完計画だ」とは思ったけども。

FIRSTと同じく本作もまた、ドラマ版と萬画版両方の要素を取り入れており、無理のない形でそれらが調和できている。何と言ってもドラマ版については最初期の怪奇性を惜しみなく取り入れていて、とにかく不気味。
しかしながら、いくらPG-12にしたとはいえ、あんなに流血させる必要はあったんかね?と閉口もした。今になって考えてみたらエヴァも大概で、実写でアレをやるとこんなにエグい画になるんだなあと。

そんなわけで仮面ライダーを題材としつつも庵野作品のテイストが垣間見えていて、こういうとこに作家性が出るのだなあと思いつつ、これが庵野監督なりの仮面ライダーの恩返しなのかなあと

スーツアクター:庵野秀明

いや仮面ライダーになりたいだけじゃねえか!!

ライダーオタクなら知ってるだろうけどさあ

あんだけ予告で目立ってたクモオーグが開始間もなく死亡したのは面喰らったけど、そこから先もだいぶテンポが良くて、中だるみせずに最後まで見ていられる。そのテンポの良さの犠牲になったサソリオーグみたいなのもいたわけだけど。

しかしそのテンポの良さに反して、いささか説明不足というか、「この映画見に来てるライダーオタクなら当然知ってんだろ」という感じで説明が端折られたのが、本郷猛の変身方法。
萬画版はちゃんと読んでいないので分からないけど、ドラマ版では一文字隼人が登場するまで変身ポーズというものが存在せず、本郷は何らかの形でベルトに風を受けて変身していた。それはサイクロン号に乗るのを主たる方法としつつ、ときには風を受ける方法がなくて苦戦した挙句、高層ビルから飛び降りたりということもあった。

本作においては「ベルトに蓄積したプラーナを使って変身する」「プラーナは大気中にも存在する」「だからサイクロン号に乗って風を受けて大気を取り込むことで変身する」という形に置き換えていて。
これは上手いことやったなあと思ったんだけど、その辺の説明は十分と言えず、変身ポーズ登場前の知識がない人からすると「なんかバイクに乗ったら変身できる」「かと思ったらビルから飛び降りても変身した」みたいに映ってたんじゃないだろうかとハラハラさせた。
後半で一文字が変身したときに本郷は「風も受けずに(変身した)!?」みたいな反応をしてたので、ここでようやく「本郷はベルトに風を受けて変身していた」と明言されるわけなんだけど、遅えよ、と。

他に気になったところとしては、劇中でも本郷が「SHOCKERの幹部は変なやつばかりか」みたいなことを漏らしていた通り、オーグに変身する人物はいずれも一癖ある人物ばかりになっているんだけど・・・
歯に衣着せずに言うとハチオーグの「あらら」がめっちゃ癇に障る。
何しろハチオーグは中盤に結構出番が多いので、「あらら」を発する回数も相対的に多くなり、それももう少し自然な感じで発していればそこまでじゃなかったと思うんだけど、取ってつけた感がまあ強くて。
クセの強いサソリオーグがあんまり気にならなかったのは、ハチオーグと対照的にあっという間に退場したからだろうか。

総括

何だかんだと長々書いてきたけれど、やっぱりこの作品は、仮面ライダー1号をちゃんと見たファンほど盛り上がれる反面、そうでない人にはあまりお勧めしかねるなあ、という感想に至った。

ファン向けとしては本当に色々とニクい事をしてきていて、「K」は言うまでもなく「ロボット刑事」が元ネタだし、緑川ルリ子の兄・イチローはおそらく「キカイダー01」が元ネタと、同じ石ノ森作品からも繰り出してくる抜け目のなさがあったり。

仮面ライダーのデザインの変遷に関しても「そうきたか!」と膝を打った。ドラマ版で一度途中退場した1号が再び本格的に活躍し始めたとき、マスクの色調が明るくなり、スーツにもジャージのような2本線が入った、所謂「新1号」のデザインに変わっていたんだけど、劇中でそれについての説明は特になかった模様だった。
本作では本郷の死とともに壊れた彼のマスクを改修し、一文字に渡すということでデザインの変遷に説明を付けたのだ。
また、そこに彼のプラーナを定着させることで、本郷が疑似的にマスクの中でだけ生きているという形にしたのには、肉体を失った本郷が脳髄のみで生き残ったという萬画版の展開をうまく補完した形だろう。

最後に名前を明かした「滝」と「立花」も正直、映画館じゃなかったら私は「エーーーーーッ!!??」と声をあげたんじゃなかろうか。

引っ掛かりがないといえば噓にはなるが、令和の世の中にこれだけしっかりした仮面ライダーを楽しめたのは、本当に良い経験だったと思う。

それに仮面ライダーでありながら、やっぱりこれは庵野監督の作品だなと思った。中学生の頃にエヴァを見てから四半世紀を経て、やっぱり私は彼の作品から逃れられないのだろう。彼がいつまでメガホンを持つのかは分からないが、今後の動向にも注目したい。

それにしたってゴジラとエヴァとウルトラマンと仮面ライダーが合体してロボットになるとは思わなかったよバカヤロウ。

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