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ワタクシ流☆絵解き館その133  ダンテの恋人ベアトリーチェを胸中に―青木繁「暁の祈り」と「温泉」

青木繁 「暁の祈り」油彩 1907年 個人蔵
青木繁 「温泉」油彩 1910年 個人蔵

上の図版は、青木繁の「暁の祈り」と「温泉」である。両作品の制作年には 3年の隔たりがある。そして「温泉」の方は、短い画家人生の最晩年の制作だ。
しかし筆者は、時を隔てて共通する隠れた主題を両作品に感じ取る。ゆえに、両作品は姉妹作品と言ってもいいのではないかと考えている。
共通する要素を列記する。
①裸体 ②長い髪 ③太い眉 ④細い首 ⑤若い女性 ⑥無言の空間 ⑦水音の聞こえてくる環境 
など、いくつも見て取れるのだ。顔の部分をトリミングしてみた。面影、雰囲気が似ていないだろうか(下の図版)。
そしてもっと基本的なことは、この2枚の絵は、ある女性像をイメージして描いているゆえに、絵の構成要素が共通していると考える。

青木繁「暁の祈り」部分
青木繁「温泉」部分

◆イメージの核にあるのはベアトリーチェか

青木のこの両作品において、イメージの核をなしている女性とは、詩人ダンテの永遠の恋人、ベアトリーチェではないだろうか。
ベアトリーチェは、名作古典、ダンテの『神曲』に登場する女性だ。24歳で夭折した実在の人物で、ダンテは幼少のころ彼女と出会い深く心を捉えられるが、結ばれることはなかった。しかしダンテの彼女への思いは断ちがたく、彼女の死後も続く恋の煩悶と、彼女の神聖性を謳った詩文『新生』を著している。
立命館大学文学部非常勤講師の星野倫氏の論文『天国と政治 日本におけるダンテ受容の一側面』を読むと、明治26年(1893)、北村透谷、島崎藤村らが発刊したロマン主義の産物たる『文學界』誌上で、上田敏、戸川秋骨らがダンテ論を発表し、それらが、ロマン主義的恋愛詩人としてのダンテを広く認識させることになり、ダンテが詩篇で讃え続けた最愛の女性、ベアトリーチェはいわば「永遠の女性」(西洋のロマン主義で使われる呼び名)として明治の青年たちの胸に焼き付けられ、西洋文明へのあこがれと相俟って、プラトニックラブの熱い炎を燃え立たせたであろうと教えられる。

青木は、画業のみに留まらず、『文學界』同人のひとり、島崎藤村の詩集を携えて出郷したと伝わるほどの詩歌愛好者であり、東京では詩人蒲原有明らと親しく交わり、議論を重ね、さらには古典和歌に学んだ短歌を詠む文芸創作者でもあった。
青木の生涯の絵画芸術を通覧すると、その作品は、彼の好奇心を射抜いた文学的主題の表象だと言ってもいい。そこから思えば、青木はまぎれもなく、ダンテの謳うベアトリーチェを、我が胸内に置き換えて偶像化し、陶酔していた明治の青年芸術家であっただろうと想像できる。

◆白百合とベアトリーチェの結びつき

島根県立大学人間文化学部の渡辺周子准教授は、論文『ロマン主義文芸に開く花―「白百合」「菫」考』の中で、『海潮音』の翻訳で知られ、西洋文学の普及に大きな影響力を持っていた上田敏が翻訳したダンテの『神曲』において、白百合を抱えてベアトリーチェが登場する場面があること例に挙げた上で、さらこう言っている。

「『文学界』の同人(島崎藤村ら)にとって白百合とは、ベアトリーチェの象徴でもあったのである。」

また、ラファエル前派の画家ロセッティは、明治期には受け入れられており、ベアトリーチェを描いた「祝福されし乙女」(下の図版A)では、ベアトリーチェが白百合の花束を抱えていることや、青木の師である黒田清輝が主催した、白馬会の美術論集「美術講話」(1902年―明治35年刊行)の中に、受胎告知の場面を描いたロセッティの「見よ我は主のはした女なり」(下の図版B)が掲載されていて、この絵にも白百合が添えられていることを指摘し、白馬会の画家たちには、白百合が美と芸術の象徴として好まれたことに言及している。
その証としての一例が、黒田清輝の油彩「樹陰(こかげ)」(下の図版C)であり、この絵でも白百合が絵の重要なポイントになっているのがわかる。

図版A ロセッティ「祝福されし乙女」油彩 1875-1878年 フォッグ美術館蔵
図版B ロセッティ「見よ我は主のはした女なり」1849-50年 テート美術館蔵
図版C 黒田清輝 「樹陰(こかげ)」油彩 1898―明治31年 ウッドワン美術館蔵

つまり、翻訳紹介されたダンテの『神曲』や『新生』に叙述されたベアトリーチェは、プラトニックラブへの熱い思いを伴って、白百合を象徴となして印象され、それぞれの作家(文学者や画家たち)に、己が胸中のベアトリーチェの偶像を描かしめる働きを持ったのだと言えよう。
そこで改めて青木の「温泉」を見ると、白百合が印象的な要素になっていることが理解される。意識して添えたとしか思えない描き方だろう。

青木繁 「温泉」 白百合の描かれた部分

すると、もう一枚の「暁の祈り」の方は、どこにベアチトリーチェとの接点が見いだせるだろうか。下の図版がその答を暗示していないか。
その絵、ロセッティが描いた「ベアタ・ベアトリクス」は、まさに今みまかる場面のベアトリーチェとされる。絵の題材は、ダンテの『新生』によるものだ。

ロセッティ 「ベアタ・ベアトリクス」 1871-1872年
テート・ギャラリー蔵 ※絵のタイトルの意味は、「聖なるベアトリーチェ」

◆「暁の祈り」の向こう側に描かれているおぼろなものは何?

ロセッティの代表作であるこの絵を、青木は(図版により)見たであろう。そして、彼なりのベアトリーチェを思索し、幻想し、造形する上で、この絵の残像が抜き難く記憶に留まり続けていたのではないだろうか。
青木の「暁の祈り」は、何の場面かさまざまな解釈を許す絵だが、筆者には跪いた裸婦の向こう側に描かれているのは、岩とも樹木とも見える物陰とともに、その間に佇む人物ではないかと考える。
そう見なせば、連想されるのはロセッティの「ベアタ・ベアトリクス」の背後の人物描写だ。「ベアタ・ベアトリクス」の向かって右の男性はダンテとされる。左の赤い衣は、燃える心臓を持つ愛の寓意。
青木の「暁の祈り」の向こう側に描かれているのは、人物とも判定しがたいおぼろさながら、それが人物の姿であると見たとき、「暁の祈り」は、ぐっとロセッティの「ベアタ・ベアトリクス」に近づいてゆくのを覚える。
「ベアタ・ベアトリクス」画中のダンテが、みまかりゆく恋人ベアトリーチェを、哀惜の思いで見つめているように、「暁の祈り」の中のおぼろげな人物―それはおそらく青木自身―もまた、画家が裸婦として偶像化したベアトリーチェを見つめているのだ。
「温泉」に、あるいは「暁の祈り」に描かれたのは誰か。尽きない興味だが、その女性は、画家の身辺の誰と認識し得る特定のモデルは持たないはずだ。ダンテの熱烈な恋の思いを、我が心に敷き写したいと願う青年芸術家の、夢想の中に息づく見果てぬ恋人としか呼びようはない。

青木繁 「暁の祈り」 部分

                                   令和4年5月     瀬戸風  凪

この解釈に興味を持たれた方は、下のタグ「明治時代の絵」が、青木繁作品の絵解き連作の入り口になっています。どうぞ、お寄りください。


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