見出し画像

俳句のいさらゐ ☪☪☪ 松尾芭蕉の陰の句、陽の句を比べ読み

第一幕 🎦  衣装を詠む句の陰と陽

⭕ いでや我よき布着たり蝉衣   

貞亨4年夏。芭蕉44歳。
「門人杉風子、夏の料とて帷子を調じ送りけるに」と前詞がある。
帷子を贈られての謝辞を句にした。句意は、さあどうですか、蝉の羽のように軽い、こんないい帷子を着ています。
蝉衣は季語として使っているのだが、蝉=殻を脱ぎ捨てる、というイメージを匂わせて、「いでや我」に、蝉が殻を脱するように、精進の果てには、私の句境も透き通る羽のように清新な気分を与えられるでしょうかね、殻を脱いで新しい芭蕉よ出でよという、自戒ともおどけともとれる、裏の意味の含みを持たせているように感じ取れる。

🆚 袖の色よごれて寒し濃鼠

詠んだ時期は、貞亨元年(41歳頃)頃から、元禄7年(51歳)までの間で不詳。「江戸蕉門の俳人、仙化の父の追善の句」と前詞にある。
父の死を悲しんで意気消沈している門人の装いを、沈着に見つめていて、句
から見えてくる喪主仙化の姿は明らかだが、芭蕉の本意はこうだと言いにくい。
下手な慰めの句など詠んでも無力だ、門人というつながりを超えて、目の前の悲しみのただ中にある人の哀れさを詠めば、普遍的な情感が映るはずだと考えた芭蕉の人生観が出ているのを見るべきだろう。
それゆえ、挨拶句という以上の読みは深まらない前句、「いでや我よき布着たり蝉衣」よりも、こちらの句のほうが、一段深くて余情もある。

🆚 亡き人の小袖も今や土用干

門人去来が亡き妹の形見の小袖を土用干しているのに目を止めた。妹は二十五歳ほどの若さだった。小袖の少しはなやかな色合いが、夏の白い陽光のなかで、空気を震わせているが、本来それを着るべき人の面影を立たせて、すでに在らぬ悲しみをいやましにする。昨夏は在り、今夏はもういない人よ。
けれど、亡き妹の土用干しをしてい去来その人が、そしてそれをあわれに見ている私芭蕉が、来夏同じように、この世に在ると約してくれるものなど、どこにもない、という気持ちにまでつながっているだろう。

第二幕 🎦 水を詠む句の陰と陽

⭕ 露とくとく心みに浮世すゝがばや

「西上人の草の庵の跡は、奥の院より右の 方二町計わけ入ほど 柴人のかよふ道のみわづかに有て、さがしき谷をへだてたる、いとたふとし。彼のとくとくの清水は昔にかはらずとみえて、今もとくとくと雫落ける。」と前書きがある。貞享元年、芭蕉41歳。
西上人 ( 西行のこと ) の和歌に、自分の句を重ねた。ゆかりの清水の前に立ち、心中になずむ浮世の雑念を漱いで、もっと純真な気持ちで眺めたいと望む処に、芭蕉の心の弾みが見える。
試み、の音の中にある《こころ》に目を止めて「心み」としているわけで、
心中の垢、浮世の雑念を、風流の障りと見ていることが強調されている。先ずは、ただ無心に露がとくとくと滴る様子を見つめることが、西行の風雅に入り込む道だと言っているのだ。
得々でもあり、解く解くでもあるその「とくとく」。

🆚 石枯れて水しぼめるや冬もなし

陰陽で分ければ陰として選んだが、こういう俳句を詠むときは、かえって心中は元気なときかもしれない。本当に落ち込んでいるときはかえって、こういう寒々とした暗い情景を題材に選ばないだろう。
かなり心がしんみりとなっていたときの句として思い浮かぶのは、『奥の細道』の、曽良に送った別れに際しての句「今日よりは書付消さん笠の露」のときだろう。これは本当に涙ぐんでいる。

第三幕 🎦 穀物を詠む句の陰と陽

よき家や雀よろこぶ背戸の粟 ( あわ )

新築の家を賀した句。粟の穂がたわわに揺れている。秋の日のやわらかい日差し。粟が秋の季語。「梅白しきのふや鶴を盗れし」という句が芭蕉にある。鳴滝の三井秋風の別墅花林園に招かれて、鶴こそいないが、梅に飾られたなんとまあ立派な邸宅か、という気持ちを諧謔にこめた。
その対照と言えるだろう。言外に、大邸宅でも、鶴を憩わすような美庭でもないが、なんでそんなものが必要でしょうという思いで家の裏に遊ぶ雀を選び、屈託のない大らかな暮らしぶりをどうかなさってくださいよ、と言っているのだ。

🆚  木曽のとち浮き世の人のみやげ哉

私はもう土産にとちの実を、誰に買って帰る必要もない世捨て人です、と言外に言っている。とちは、日持ちする貴重な食物だった。産地、木曽では豊富で味もよかったのだろう。
浮き世の人とは、自分の門人ではあっても、それぞれの商いと、主君を持つ者たちの意を含んでいるのを、門人たちは、やはり師から見れば浮き世の人ですか、という思いで受け取ったことだろう。
今日でもお土産買いに熱をあげている人は、確かに、好奇心、社交性、家族愛旺盛な、浮世の真っただ中を生きる人たちである。

                                                                 令和5年7月   瀬戸風  凪
                                                                                                 setokaze nagi



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?