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ワタクシ流☆絵解き館その197「白馬賞」青木繁・幻の受賞作品へのアプローチ⑥⇒「迦耶陀と法顛闍利」

明治36年第8回白馬会の白馬賞受賞作品で、今日行方が知れず、どういう絵かもわかっていない青木繁の絵を推測する続編。拠り所にしているのは、精華書院「明治36年第8回白馬会展出品目録」である。
今回は目録№314「迦耶陀と法顛闍利」。インドの古代哲学には筆者は門外漢のため、ゼロからの勉強での推測。今回も複雑。よって、推論が浅薄なのは予め容赦願っておく。

■ 「迦耶陀」はどう読む?

結論から言うと、「瀘迦耶陀」または「路迦耶陀」の表記で文書に出て来るローカーヤタを意味しているのではないか。
その表記の「瀘」あるいは「路」を落とした表記
であろうと推測する。
これが、「ロー」に当たる表記の校正での漏れなのか、青木が意図的に省略しているのかはわからない。しかし、「迦耶陀」と省略した形の表記には探し当たらなかった。
つまり「路迦耶陀」ならぬ「迦耶陀」とは、サンスクリット語でローカーヤタ、またの表記を順世派(※世間に順(したが)う者の意)という古代インドの学派を示していると思われる。

■ では、ローカーヤタとはどんな学派?

釈迦と同時代の人、アジタ・ケーサカンバリンが説いた唯物論、快楽至上主義哲学。特色は次のとおり。

1. 善悪業の果報(いわゆる因果応報の考え方)を否定.
2. 人間は地・水・火・風の四要素から出来ていて、人は死ねばその四要素に還るだけ。精神もこの四要素から生じる。(=唯物論の考え方)
3. 死後の霊魂否定。 輪廻思想の否定。(=唯物論の考え方)
4. バラモン教的な宗教行為は無意味とし、布施・祭祀・供犠の否定。

そして、この世における生を感覚機能で最大限に楽しみ(性的欲望に従うことも含む)、快楽を得ることが幸福であるとした。つまりバラモン教を主体とした伝統的な思想とは相容れない哲学と言える。

■「法顛闍利」はどう読む?

またまた結論から言うと、これは目録の誤植と考える。正しくは「法」ではなく「波」、つまり
表記は「波顛闍利」 読みはパタンジャリ
であろうと推測する。
波と法は、手書き文字だと似てくる。精華書院が目録を出版する段階での原稿校正ミスと思う。

古代インド6派哲学の創始者のうち、サーンキヤ学派のジャイミニとミーマンサー学派カピラは、目録№310の「闍威弥尼と迦毘羅」該当の人物として、この「青木繁・幻の受賞作品へのアプローチ」シリーズの先の記事で述べた。
パタンジャリもまた、古代インド6派哲学のひとつヨーガ派の創始者であり、別派の創始者であるジャイミニやカピラと同様の関心から、パタンジャリを題材に選んだのだろう。それが素直な解釈ではないだろうか。
「法」を誤植と判断する根拠だ。
誤植ではないとして、「ホータンジャリ」または「ホーテンジャリ」、あるいは「法」を「ダルマ」と読んで「ダルマ・テンジャリ」としても、その読みに該当するような人名や言葉は探しても出てこない。

■ では「波顛闍利ーパタンジャリ」とは?

古代インド6派哲学のひとつヨーガ派の創始者の名前。詳しい人物像はわからない。ヨーガ派は紀元前350ー250年に成立か。
教典である「ヨーガ・スートラ」の作者とみなされる。ヨーガとは、今日誰もが知る、心身をひとつにする〈心身一如〉の境地をもたらす行法。

パタンジャリの銅像 (後世の想像による像)

■ なぜ、パタンジャリを選んだのか?

パタンジャリの著した「ヨガ・スートラ」の根本にあるのは、目録№310の「闍威弥尼と迦毘羅」の記事で述べたカピラが創始したサーンキヤ哲学にあると言われる。
ヨーガ学派においては、ヨーガという解脱を求める修練の技法の体系化が先行進化し、理論・思想は、他派の考えを取り入れておいおい集成されて来たということらしい。

ともあれサーンキヤ哲学とヨーガ哲学とは、たいへん近しいということだ。カピラは、奥義書とも呼ばれている「バガヴッド・ギーター」では、ヨガ行者として記述されるくらいだ。
サーンキヤ哲学は二元論の教えとその記事で述べたが、ヨーガ学派の哲学においても、自分自身の本質であるプルシャ(真我・霊性)とプラクリティ(物質原理)によって作り出された外側の世界があると考える。
目標は、プルシャ(真我・霊性)に目覚めることである。
若い青木の関心が、真の自我とは何かというところにあったから、サーンキヤ哲学を通しカピラに関心を持ち、またその哲学に基づいた修練の技法を説いたパタンジャリにも関心を深めたということになるだろう。

パタンジャリの銅像 (後世の想像による像)

■ なぜ、絵のタイトルにローカーヤタとパタンジャリが並ぶのか?

インドの古代哲学を学び貪り読むうちに、青木の心の中には、快楽至上主義たるローカーヤタの人生観も、ヨーガ瞑想により解脱を得るパタンジャリの「ヨガ・スートラ」の人生観も、否定肯定が入り交じり渦巻いていたのだろう。
それは特別なことではない。当時の青木はまだ21歳。青春時代のただ中と言っていい。その年代の者の胸の内は、おおかたそうであろう。ましてや人一倍激情多感な青年芸術家だ。そこに創作の動機も生じた。
そのアンビバレンスな(※相反する思いの並存)感情表現を意図し、おそらくローカーヤタの開祖アジタ・ケーサカンバリンを思わせる人物と、パタンジャリの姿とを対立的に並べ置いて構図した絵だったと思われる。

最後に⇒話がどうしても込み入るが、この解釈を理解してもらえただろうか? 
                    令和4年10月     瀬戸風  凪


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