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詩の編み目ほどき⑥ 新川和江「水切り」

水切り

                  新川和江
男がくれた石で
女は城を築こうとする
が それは
ただに ひとつの石でしかない

美しく 尊く
女はときにその一個の石で
荘厳な大伽藍さえ建てられると
過信するのだが

熱いその石の上で
干魚のように焙られても悔いないと念じ
じじつ 女は
ひじょうにしばしば 身をやいてしまうのだが

男は無邪気にそれを投げたに過ぎないのだ
川っぷちであそぶ子供が
どんな具合に水面を切るかと
足もとの小石を拾ってとばすように

はじめから
物見櫓を 聖堂を持っている男は
ずっと遠くを眺めたり
神や己れと対い合ったりするときは

女にはもう攀りようもない険しい横顔
見知らぬ天体の
黙せる火山 凍てついた樹海だ

     昭和46年2月刊 ( 著者41歳時 ) 詩集『つるのアケビの日記』所収

👓 詩の解釈

この詩では、重ならないイメージを持ってひとつの石が示されている。
冒頭出て来る《 男がくれた石 》と、後半部分に出て来る《 川っぷちであそぶ子供 》が拾ってとばした足元の石。

《 熱いその石の上で
  干魚のように焙られても悔いないと念じ 》
最も単純に考えれば、その石とは求愛の言葉であり約束であるだろう。

《 ひじょうにしばしば 身をやいてしまうのだが 》
とは、倫 ( みち ) ならぬ愛をも思わせる言辞だ。
けれど女が受け取った石の熱い温度は、女の思い込みに過ぎず、男は女の反応を楽しむ軽い気持ちで、思わせの態度を取っただけ。男には、地上の俗なる愛に勝る、命の燃焼場があると女が嘆息している構成の詩であると読める。
簡単に読み取るなら、男と女が、同じほどの熱意、思い入れを持って愛を信じ合うことは出来ないと断じていると言えるだろう。
しかし、「水切り」というタイトルに思いを及ばせると、この表向きの解釈だけではこの詩は解き切れない、という思いが湧いてくる。「水切り」というタイトルの必然性を感じ取れないのだ。

■《 川っぷちであそぶ子供が   どんな具合に水面を切るかと 》
男は見ているのだ。
詩の中の、見ている男のイメージを浮かべていると、新川和江の師に思いが及ぶ。この詩の収まる詩集『つるのアケビの日記』に、「あなたは薔薇の火の中から」という先行する詩がある。
その詩には、「師西條八十逝く」という前書きが添えられていて、つまり師の追悼詩である。同時期の作、「あなたは薔薇の火の中から」と「水切り」が、私には連鎖した詩に思えてくるのだ。
西條八十との出会いは、昭和19年、新川和江15歳のときのことである。当時西條八十の処には、各地から、若い女性の作品が届いていた。そのうち最も有名なのは、金子みすずである。西條八十は、すぐに、みすずの並々ならぬ才に気づく。そして、西條八十はまた、新川和江の早熟な詩才をも見抜いた。新川和江は、戦後19歳にして、少女学習雑誌に物語や詩を書き始める。第一詩集『睡り椅子』の序文には、西條八十が序文を添えている。

「水切り」の持つ、石が鋭く水上の空間を切り裂いてゆくイメージは、西條八十が、詩人の立場から認めた、新川和江の骨太な詩才と置き換えて読み取ることができる。
新川和江は、40歳を超えて師を失った後で、若き日の自分の作品に師が目を止めたのは、各地からひっきりなしに届く若い女性の相似た作品のうちの、他より少しだけ才走った語彙と文飾の力を見たに過ぎないのかもしれないという、冷めた思考をしたのだと思う。
二十歳前から書き始めて20年間、自分は「水切り」の石のように、厚い水面にはじかれながら、勢いのままに来た、師はその遠くゆくひかりの珠をただ見ていたことだろう、という惜念に近い思いではないだろうか。

■《 はじめから   物見櫓を 聖堂を持っている男 》 
   《 攀
( よじ ) りようもない険しい横顔   見知らぬ天体の   黙せる火山
   凍てついた樹海だ 》
と表現された男の横顔を、私は西條八十に重ねて見る。
新川和江には、この上なくよき、やさしき師であったであろう一詩人の、詩魂の底までを覗き込む観察眼が吐かせた形容だと私には思える。
追悼の詩と誰もが理解する詩では描くことができない、「詩人の師」という存在の、こうでしかないだろうと思う容貌を、個人的事情を超えて、普遍的な視点で書いたと読める。
男と女の精神の距離を映し出すという場面設定は、詩の包装紙に過ぎないだろう。新川和江にとって西條八十は、憧れ、親炙し、学び、そこから巣立ってもなお、その隣には並べない大詩人であったという苦い思いを、裏にこめていると感じられる。

                  令和5年8月   瀬戸風  凪
                          setokaze nagi




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