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ワタクシ流☆絵解き館その201 青木繁「大穴牟知命」(青木繁生誕140年記念展)で気づいたこと

2022年11月、久留米市美術館で開かれた、アーティゾン美術館開催の巡回展「生誕140年 ふたつの旅 青木繁 ✕ 坂本繁二郎」を鑑賞した。
繰り返しデジタル画像・印刷画像で見て来た作品ながら、実物を凝視してみて初めて気付いたことを挙げてみたい。
今回は「大穴牟知命」を取り上げる。

青木 繁 「大穴牟知命」 油彩 1905年 アーティゾン美術館蔵
以下の図版もすべて 青木繁「大穴牟知命」の部分に、説明のキャプションを挿入

■ 体の輪郭線の色の使い分け

過去、「ワタクシ流☆絵解き館その82 青木繁《大穴牟知命》④明と暗、直情と静炎、二極の相貌」などで述べてきたように、やはりこの絵は、大穴牟知命右半分 ( 下半身に当たる ) が死の世界、左半分 ( 上半身に当たる ) が、蘇りの世界を表現していると考えている。その視点で見て、さらに気づいたことがあった。
腰のところから、体の輪郭線が、黒と赤に使い分けられている。これは、改めてデジタル画像を凝視すると、気づけないことではなかったと思ったが、実際に絵を見て初めて ( おや ) と感じたことだった。
腕の輪郭線も赤い。健やかな、赤みの差した血管を思わせる。黒と赤。死の世界、蘇りの世界の対照という見方に、符合する表現方法だと感じた。

青木繁 「大穴牟知命」部分

■ 鮮やかな印象を与える二色の草の描き方

絵の左半分、下の方の草の青さが、パッと目を引くのだが、よく見つめてみると、体の下、地面にある草が、強い赤で描かれているのがハーモニーとなって、青を引立てていることに気づいた。
想像していたよりはるかに、この絵には全体として明るい空気感があった。二人のヒメの白い衣が、その役割に大きくかかわっているのは確かなのだが、かといって衣は濃密な純白ではなく、ややくすんだ色合いをしていて、地が白いがゆえに、少しの曇りやくすみが、かえって印象としての明るさを少し減じさせている気がした。
それに対して、この赤と青の草の部分は、原色に近い素朴な色合いゆえに、背景の雲とともに、そこにひかりが息づいているような印象を生み出していると感じた。

青木繁 「大穴牟知命」部分

■ さまざまなイメージを許すキサガイヒメ

青木繁 「大穴牟知命」部分

「写真より実際に会った方が、美しい人に見えた」
品下がる喩え方とは思うけれど、キサガイヒメへの素直な感じはそういうことだった。
「大穴牟知命」解釈の過去の記事で、キサガイヒメについては
 ◎ 大穴牟知命の蘇りにいち早く気づいた冷静な視線の方向と沈着な様子
 ◎ 大穴牟知命を蘇らせた霊液を、体全体を使って塗りこんだ証しが、濡れ  
   た衣の表現になっている
ことを述べて来た。
実際に絵を見て先ず感じたのは、上気した顔面の様子だった。デジタル画像では読み取れない目元の微妙なニュアンスも、美しさにつながっている。
それが冒頭に言った「写真より実際に会った方が、美しい人に見えた」という喩えの理由だ。
夜明けを告げていると思われる背景の明るい雲の色と、キサガイヒメの顔面の明るさが、よく響いている思いを深くした。
さらに思ったのは、キサガイヒメの表情をどう読み取るかが、この絵の鑑賞の要所だろうということだった。
大きな瞳をさらに見開き、乳房をあらわにしているウムガイヒメのはりつめた感じは、誰しもがだいたい似た受け止め方をするだろう。
キサガイヒメの表情、透けた衣、開き気味の胸元、乱れた髪などに何を感じるかは分かれるだろうと思う。それが、この絵を見る者の思いを大きく左右するだろうという気がした。
                   令和4年11月   瀬戸風  凪

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