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一周回って普通の喪服を買った話

自問自答を始めてから、地味に私を悩ませ続けていたのが喪服問題。

昨年末、100歳を超える祖父が検査入院をすることになり、そういえば喪服どうしよう、と思い至った。そんな、縁起でもない。そう片付けるのは簡単だし、ありがたいことに祖父は至って元気。だけど頭をよぎったこの機を逃したら、また問題の先送りになる。それで「いざ」が本当にやってきて、慌てふためくのは嫌だ。

そう思って腹を括り、喪服の自問自答に取り組んでみた。あれやこれやの気持ちの棚卸し、からの試着を経て、「いざ」用の装備を一揃い整え終わった時、予想以上にホッとしている自分に驚いた。備えあれば憂いなし、とはまさにこのことだ。

誰の参考にもならないとは思うけれど、私の喪服の自問自答について、思考の記録として書き起こしてみようと思う。喪の装いについては近年ことに多様化が進んでいるし、職業や地域、交友関係や親戚含む家族構成によってかなり事情が異なると思うので、これはあくまで私のケースということで。


Before 自問自答

私のクローゼットにここ数年鎮座していた喪服は、以前ハマっていたとあるECサイトで買ったもの。「オフィスや式典にも着回せる!気になる体のラインも拾わない!」という謳い文句にまんまと踊らされた。決め手はリーズナブルさ。いつ着用機会が来るかはわからないけどないと困る、という服に大金を出すのは嫌だったから、これだ!と一も二もなく飛びついたのだった。

はい。自問自答を嗜むみなさんならもうお分かりですね?なんという地雷の多さ。

  • 地雷その1)試着していない。

言わずもがな。謳い文句の通り、ワンピースは確かに体のラインを拾わなかったけど、コクーンシルエットが私には逆効果だった。裾がふくらはぎの一番太い部分で切れていたせいもあり、リトルハンプティダンプティ。生地は値段相応の薄さで正直心もとなく、夏に着るならまだしも冬は寒かろうなという感じ(実家は雪国)。

  • 地雷その2)喪服をオフィスや式典に着回すことはない。

黒いワンピースをオフィスで着ることなんか一度もなかった。あわよくばセットのジャケットは単品で着られるかも?なんて買う前は思っていたけど、実際には他の服に羽織ってみようという発想すら一度も浮かばなかった。式典…、0歳児の保育園入園はとてもそんなフォーマルなものではなかったし、では卒園・入学式に着るかと言われれば…着ないと思う。どう足掻いたってやっぱり「喪服」だもん。

  • 地雷その3)自分にとっての「喪」を自問自答していない。

これは自問自答を始めるまで、そもそも考え付かなかった視点。自分は葬儀という場でどういう服装をしていたいのか、それはなぜか。喪の装いは主に誰のためにするのか。故人のため?参列者のため?それとも自分自身のため?どういう関わりの人が集まる葬儀に行く可能性が高いのか。親類縁者だけ?それとももっとオフィシャルな機会もある?…こういった諸々のことを、一つも考えていなかった。

Step1. 理想(妄想)

さて、じゃあ喪服を新調しましょうかね…となった時、最初に浮かんだのがコレ。

いや、喪服じゃないのはわかっている。これは、フォクシーだ(何を突然中1英語構文をかましているのか、というツッコミはさておき)。私の「なりたい」とはぱっくりかけ離れているものの、着てみたら予想外に似合ってしまったフォクシーの残像が蘇ってきたのだ。

フォクシーを制服に組み込む余地は(予算的にもスタイル的にも)今のところ全くないけど、もしかして喪服ならワンチャン着れちゃったりして?これよりもっとちゃんと喪服っぽいワンピースもたくさんあったし?!…と、一瞬だけ夢を見た。この時点で早くも、「自分にとっての喪とは」問題は完全に頭からぶっ飛んでいる。

とはいえ冷静に考えて、数年に1回着るか着ないかわからない服に、推定20万円はとても出せない。もし、もしも万が一買うのなら、絶対に喪の場面以外でも着たいと思ってしまう。だけど、喪ベースで買った服を他に着る機会なんて、果たしてあるだろうか。…無意味に思考がぐるぐるし始めたところで、はたと思いつく。

それよりも、靴、どうしよう。

以前持っていた冠婚葬祭用の黒パンプスは、あまりにも足に合わなくて引っ越しを機に処分してしまった。GUCCIのヨルダーンは黒ではあるけど、ゴールドのホースビットがついた靴をお葬式に履いていくのはさすがにまずい。靴に関しては手持ちの装備ゼロ、何がどう転んでも買うしかない。なら、考えるべきはまずそっち。

フォクシーの残像を引きずりながらネットを徘徊して見つけたのは、コレ。

セクシー(靴)試着旅で私が一番色気を感じた、セルジオロッシ

この記事で感嘆したピンヒールは、思ったほど痛くはなかった。それがローヒールになれば、もっと履きやすいんじゃないだろうか。それに、ピンヒールを日常で履く機会は限りなくゼロだけど、ローヒールだったら日常でも履けるかもしれない。もしかして私にもセルジオロッシ、リアルで履けちゃったりして?!

もはや、喪を言い訳にしたただの妄想が止まらない。そうと決まれば次は試着だ。

Step2. 現実(試着)

それから数日後、意気揚々と百貨店のセルジオロッシへ足を運んだ。時期的には、お受験ママさんがプレーンパンプスを探し始める頃のこと。「こちら、とても履きやすくてすごく人気なんですよ」という店員さんの言葉に一層期待を膨らませ、ついにお目当ての靴にご対面。ドキドキしながら足を入れた、が。

つま先、痛い。かかと、合わない。脱げる。滑る。痛い。サイズを上げても無理。無駄。どうにもならない。これはもう、絶望的に木型が足に合っていない。

加えて軽くショックだったのは、この靴にさほど色気を感じなかったこと(個人の感覚です)。もちろんぽってりとしたトウは愛らしいし、ヒールの形にもさりげなくひねりが効いている。さすがはセルジオロッシで、プレーンながらも「ただものではない」靴なんだけど、色気があるかと言われれば、私の感覚では否。

結論、多少の無理をしてでもこの靴を履きたい、という気持ちにはなれず。残念ながら、これが現実だ。うーん、試着ってやっぱり大事!


さてどうしたもんかね、とそれから隣接する婦人靴売り場をうろうろしていた時、ふと目に止まったのがワコールのサクセスウォークだった。

OLさんから就活生まで、歩きやすいプレーンパンプスと言えば必ずその名を聞くブランド。実物を目にしたのはこれが初めてだった。…ふむふむ、足の長さと幅のラインナップは言わずもがな、トウの形やデザインにヒールの高さまで、けっこう種類があるんだね?これ組み合わせたらすっごいバリエーションだよなぁ…。

そう思って棚を見ていたら、「かかと小さめ」の文字が目に飛び込んできた。

ヨルダーンに出会うまで、靴選びには泣かされ続けてきた。普通にその辺の靴を履くと、かかとが抜けて足が前に滑る。そうだ。すっかり忘れてたけど私の足、かかとが細いんだった。ちなみに開帳足でもあるから、つま先はたいがい痛い(だから長年、自分は幅広足だと信じ込んでいた)。さっきのセルジオロッシの通りだ。

このワガママフットに合う靴を今からヨルダーン以外に見つけ出すなんて、よくよく考えたら至難の業じゃないか!逆に言えば、最初から「かかと小さめ」を謳う靴が今目の前にあるんだから、これはもう履いておくしかないんじゃないの?

そう思って、サクセスウォークのかかと小さめモデルを試着。結果、びっくりするほどピッタリ。どこも痛くない。脱げない。歩きやすい。シンデレラフィットとはまさにこのこと。おまけにヒールの位置が工夫されているおかげなのか、立っていても圧倒的に楽。「これヒール3cmですか?」って聞いたら、5cmあって驚いた。


あー…、うん。はい。これがいいです。


正直に言うと、サクセスウォークの見た目は100点ではない(とは言え、想像していたよりずっと美しかった!)。これを買ったとして、喪服以外の日常着に合わせて履くことはないだろう。でも、それでいいんじゃないだろうか。私にとって最高の黒靴は、ヨルダーン。それでいい。だったら喪の靴は潔く、喪に徹しよう。

私にとって喪の装備は、喪の場面専用でいい。日常と兼用はしない。そう腹を括ったら、心がスーッと軽くなった。「自分にとっての喪」云々は、不祝儀アイテムを日常と兼用しようとするからこそ発生する問いだったと気がついた。喪は喪だと割り切ってしまえば、そこについて考える必要はない。正直、ものすごく気が楽だ。

その瞬間、フォクシーは選択肢からあっさり消えた。喪服は、素直にフォーマル売り場に探しに行こう。そう考えつつ帰途についた。これもある意味、靴からファッションが決まった、ということかもしれない。

Step3. 納得(購入)

それからまた日を改めて、百貨店のフォーマルコーナーに足を踏み入れた。そこで対応してくださったのがまさしく神店員様。経験豊富、百戦錬磨な年上のその人に「これからお買い求めになられる品は、10年20年とお召しになるんですよね?」と問われ、ああそうか、そういうものかと改めて合点がいった。

結果、彼女に真っ先に勧められたツーピースが一番良かった。

半袖ワンピースとジャケットのセット。ワンピースは1枚で着てもジャケットを羽織っているかのように見えるデザインで、夏の着用について考え抜かれている。生地は滑らかでそこそこの厚みを感じるものの、化繊。肌触りもよく扱いやすくてシワにもなりづらく、何より軽い。時代は進化しているんだな、と心から感嘆した。

数ある中で「お客様の雰囲気にはこちらが一番お似合いかと」と言われたデザインは、確かにその売り場で一番だった。ノーカラーでありながらわずかに襟が立ったようなデザインは適度に格好良くて、一本筋は通っているけれど圧はない雰囲気。他のデザインは私が着ると半端に可愛らしく、どうにも入学式感が出てしまった。

その日は品番を控えていただき退店。念には念を、ともう一ヶ所別の百貨店にも足を運び、そこでも一通り相談の上で試着したものの、最初のツーピース以上のものは見つけられなかった。というかはっきり言って、店員さんの知識や対応力がまるで異なっていて、どんな道にもプロはいるんだなぁ、と妙な感慨を覚えた。

…という話を帰宅してから夫にしたら、「俺も喪服新調しようと思ってた」と言うではないか。なんだ、気が合うじゃない。そういうことなら話は早い。

その次の週末、娘も連れて家族で最初の百貨店へ。品番を控えてあったので、予想通りきゃいきゃいはしゃぎ回る娘を尻目に、私の買い物は速攻で終わった。夫は紳士服フォーマルサロンで採寸してもらった結果、私の喪服より高いスーツを購入。

正直、喪服の値段にはかなり怯んだ(私のもので予想の倍近くした)。だけどこれから少なくとも10年は着ると考えれば、相応の買い物なのかもしれないなと思う。まぁ言うて今40代だし、これから嫌でも機会は増えていくだろうしね。

私の喪服購入譚は以上。「自分にとっての喪」の自問自答を深めるかと思いきや、靴が決まったら服もあっさり決まってしまった。それでも一通り自分なりに考えて、試着して、比べてから買ったものだから、先代の喪服とは納得感がまるで違う。クローゼットを見てモヤモヤしないって、なんて素晴らしいんだろう!

「喪の装備」は一応2024年の買い物リストに掲げていたので、「制服化の記録」マガジンに入れておきますね。


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2024年から、有料マガジンとして制服化の記録をつけていきます。と言っても有料なのは写真部分のみで、文章自体はすべて無料でお楽しみいただけ…

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