見出し画像

自己犠牲なのか。人のためなのか。

自分がいっぱいいっぱいでも、
誰かがしんどそうにしているのを見ると、
どうしてもほっとけない。

それがわたしの家族や、
親しい人から見ると、
わたしが痛々しいのだと言う。

今朝、電車の中で、
少し周囲から浮いている人がいた。
満員電車の中で、歌を歌ったり、
動いたりする人。

その人の周りは、
満員電車なのに、ガラガラだ。
わたしは、
そういう人の影響を受けやすいし、
よく絡まれる。
だからそういう人に気づいたら、
そっと電車の号車を変えたりする。

でも、今日は、
「ああ、この人のために祈りたいな」
と思った。

きっとこの人も、わたしと同じように
いっぱいいっぱいなだけなんだ。

特攻隊長と言われるわたしだけど、
さすがに、この人に対して、
してあげられることって、
いきなり声をかけることじゃなく、
祈ることだと思った。

イメージのなかで、
「大丈夫だよ、大丈夫だよ」
って、
その人の背中をさすってあげるような気持ちで、
目を閉じていた。

わたしは、その人から、
直接何かされた訳ではない。

助けて、と言われたわけでも、
攻撃されたわけでも。

でも、勝手に気になって、
勝手に祈ってた。

行動ベースでは何もしていなくても、
ただ祈る、というバリエーションもあるんだ。

ゆにわ塾で、
こがさんの仏教講座で、
菩薩業ということを教えてもらった。

「自未得度先度他」

自ら未だ度らざる先に他を度す。
自らが救済される前に、
まず他人を救済し、
幸せにしようと願うこと。

これは、大乗仏教の菩薩が理想とした
衆生救済の論理である。

自己犠牲ともとれる考え方。

最近のわたしには、
自己犠牲なのか、利他なのか、
大きなテーマだった。

自分が満たされていないと、
誰かの幸せを祈ったところで、
ただの押しつけにしかならないでしょ?
自分が倒れてどうするの?

と何度も何度も、
家族と親しい人から言われてきた。今も。

わかってるのに、
気づいたら、体が動く。

目の前で、人が倒れそうにしてたら、
誰だって、考える間もなく、
思わず手を出してしまうと思う。

きっとわたしは、
だれかの心が倒れそうなのも、
気がついてしまう目を持ったのだ。

それは才能でもあり、
ときとして、
HSP(ハイセンシティブパーソン)
とも言われるみたいな、
他から影響を受けやすい体質として、
しんどいこともあるのだろう。

わたしは気がついてしまうのだ。

勘違いかもしれないけど、
それでも自分の感覚を信じていて、
その感覚が「誰かが倒れそうだ」と教えてくれたとき、
体がもう半歩出ている。

それを止めることはできない。

そして、半歩出る前に、
「自分を疲れさせるから、やめよう」
と思う暇がない。

一方で、親しい人たちから、
「痛々しいよ」って言われることが、
「少し休め」のシグナルなのだろう。

自分では気がつかないから。


そして、もう一つ気づいたことがあった。

誰かに、
「大丈夫だよ」って背中をさするように祈ったとき、
同時に自分自身に対しても、
「愛してるよ。いつも頑張っていることを知ってるよ」
って、
背中をさすってあげようと
思ったこと。

今朝、やってみたら、
あったかすぎて、電車の中で涙が出た。

自分を労わる、自分を癒すって、
時間をかけてマインドフルネスしたり、
ゆっくりお茶飲んだり、という
固定観念があった。

でも、こんな
ものの2秒でできるような、
祈りでもいいんだ。

時間が短くたって、
効果は絶大だった。

とっさに誰かのしあわせを祈った行動の後は、
それが相手に受け止めてもらえるか否か関係なく、
自分が自分を認める。

一つ一つ、愛してるよって、
頑張ってるねって背中をさすってあげようと思った。


わたしが歩もうとしている道は、
きっと険しい。

人を愛せば愛すほど、
相手が救われてほしいと思うほど、
自分の無力さに打ちのめされ、
何度も絶望する。

気づかないフリをしている方が、
ある意味では楽に見えるかもしれない。

でも、わたしにとって、
見えてるのに、動かない方がつらい。
歩みを止める方がつらい。

きっと、自己犠牲と利他について、
わたしは、これからも悩み続けるだろう。

自分では麻痺してしまっているから、
自分が自己犠牲になっていることに
他者によって気づかされながら。

自分と家族と、親しい人を犠牲にしていないか、
常に問われ続けながら。

その度に、わたしは祈ろう。

自分のために。
一番大切にしたい人たちのために。
本能で、誰かに手を伸ばそうとしてしまう、
どうしようもない自分に。

苦しみの狭間で、
自分の祈る行動のバリエーションを増やして、
時間の濃度を上げたり、
思考錯誤しながら、歩んでいこう。

自己犠牲と利他、
答えは出るはずもないのだから、
渾沌をそのままに、
抱きしめて生きていこう、と強く強く思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?