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綺麗なものとはお話したくなる

一人暮らしを始めました。

だから、というわけではありませんが、最近書けていなかったなと。
言語化できる場所が欲しくて始めたnoteだから、電話とかして話を聞いてくれる人がいる間は割と不要なのかもしれません。

今日は課題をしたくないという現実逃避のツールとして使います。

私は、綺麗なものを見るとお話したくなります。
誰かに綺麗なものを見たという事実を伝えたい、というだけではなくて、その対象に向かって話しかけたくなるんです。
例えば夕陽が綺麗だったらその空に向かって「今日はお空も機嫌良いんだね」とか、一直線に空を横切る飛行機雲には「素直なくらい真っ直ぐでかっこいいね」とか、眩しくて街灯と見間違えるほどの満月には「そんなに頑張り過ぎなくて良いよ」とか。なんか空の話ばかりになってしまった。
例えば帰り道に金木犀が咲いていたら「秋の挨拶ありがとう」とか、誰かの素敵な作品を見たら「今日私に出会ってくれてありがとう」とか。

正倉院展

先日、思い立って奈良まで行き、正倉院展に行ってきました。東京のではなく、奈良国立博物館の方です。小学生の頃から日本史が好きだった私は、ほぼ毎年祖母と足を運んでいました。最近は祖母を歩かせるのが不安で一緒に行く機会はなくなってしまいましたが。
正倉院展って大学生には優しいんですよ、キャンパスメンバーズなら400円で入れてしまう。
非常にありがたいので永遠に大学生がいいなと思ってしまいます。

個別の作品についてコメントしていてはキリがないので、今回の作品展を通して思ったことを連ねます。

今年で71回目となる正倉院展では、奈良時代の聖武天皇、光明皇后ゆかりのものをはじめとする、正倉院に納められた約9000点の中から毎年数十点が選ばれて公開されています。ここでの作品を見ると私はいつも、作品から「豊かさ」を感じます。物質的な豊かさや当時の庶民の生活を考えると、「豊かさ」という言葉は適切ではないかもしれません。お風呂に頻繁に入れないために発達したお香や、当時の美人図などから、今とは随分美的感覚も衛生観も異なっていたようですが、それでもなお今の私たちに美しさを感じさせるのは作品の持つ「豊かさ」のおかげだと思います。細部にまで散りばめられた精緻な文様、今は色あせつつもほのかに感じ取られる「豊かな」色彩。これらからは職人がこの作品に込めた作品への気概や想いが伝わってきます。締切に追われ日々が分単位でスケジュールが組まれた時代ではないからこそ、作品に向き合う時間が生んだ成果なのではないでしょうか。展示品の中には「~鏡の箱」や「献上品の包装」などもあります。もちろん皇族に関係するものだからこれだけ外側にも工夫があったりするのでしょうが、Amazon系列の派遣会社で梱包作業をこなしていた身からすると、梱包にまでこれだけ時間や精力をかけることができるのは「豊か」だからかなと思います。
別に今の世の中が豊かさが失われたからどうとか、そんなことが言いたいのではなく、ただ素直に昔の人に尊敬の念を持ったり当時の人の感性に想いを馳せているだけです。羨ましいとかそんなんじゃないです。

きらきらしたもので言うなら、螺鈿模様が好きです。螺鈿とは

夜光貝・鮑貝あわびがいなどの貝殻を板状に成形し、文様に切って木地・漆地の面にはめ込み、または貼り付け、漆を塗り研ぎ出す技法。(広辞苑)

簡単に言うと、あわびなどの内側のきらきらした部分を剥がして細かな型に埋め込む技法です。今の大量生産方式で似たような柄はできるんですが、生で作品を見ると圧巻です。

とりとめもなく連ねてしまったけど、とりあえず疲れた時に心を動かすものに出会うのはわたしにとって栄養補給になることを改めて感じた弾丸旅行でした。メンタル死んでフォロワー200人ブロ解してしまうくらいなら、1日お休みもらってこういう気分転換をした方が心身共に健康的だな。




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