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制作の狭間に / 曇天と寒さが呼び起こすブルージュの記憶【作品no.132】

急に寒くなりました。まるで冬のようです。

昨日は気温が低く、雨が降ったかと思えば晴れ間が出たり「気まぐれな秋の天気」そのものであった。

天候が落ち着いた合間を縫って2回目の散歩に出かけたら曇りだし、風が吹き、案の定雨が落ち始め、念のため持って出た傘に助けられ帰途についた。

寒い雨。

その天候の影響で、道中、ブルージュの記憶がよみがえる。

ブルージュはベルギーにある中世の姿を残した街である。

街を運河が流れていることから北のヴェニスとも呼ばれている。

この街は合計3度訪れる機会があった。

一度目は友人の画家Cさんの導きで、
二度目は親族と、
三度目は一人で。

とりわけ今でも印象に深いのは一度目と三度目、冬の訪問だった。

重く暗い冬の空とノエルのデコレーション。
しんと冷えた空気に滲むお店の灯り、イルミネーションの輝き。

それはそれは、
とてもロマンティックで美しい世界だった。

パリを離れる前にもう一度、ブルージュの景観を味わいたくて、画像に収めたくて、年明けを迎えようとする2010年の年末に一人で再訪した。

何気に決めたつもりの旅だけど、
後に私にとってかけがえのない記憶となっている。

帰国後、ブルージュのイメージは何度もよみがえる。

ブルージュを歩いた日と似た天候の時とか、
寝る前にストレッチをしてリラックスしている時など、

それはつまり、甘い至福の記憶なのだ。

そして創作の源でもある。


次の画像は、ブルージュの記憶が描かせた絵の一部である。
製作途中で撮影。

ブルージュの暗く重い空を描いている。

PRIERE -祈り- Ⅲ 黄昏の街


あの時、ブルージュを旅して本当に良かった。

体験(記憶)というかけがえのない財産。

あの頃にそんな概念は持ち合わせていなかったけど、
旅という体験を無意識に積み重ねたことが、
結果として将来への投資であったということ。

このリターンの大きさよ。

無意識とは仲良くした方がいい。

確かに、体験に勝るものはないのかも?


再びブルージュを訪れたい気もするけど、
少し前にGoogleのストリートビューで見たブルージュの街は少し様変わりしていたように見えた。

夏の景色だったからか?
(でも夏にも行ったことあるし)

いや、海外資本の服飾メーカーのショップが増えたような?

ちょっと寂しい思いで閲覧を終了した。


ベルギーの画家、フェルナンド・クノプフ(クノップフ)の作品に「見捨てられた町」という絵がある。

クノプフは「愛撫と芸術」など他の絵が有名なので画を観ればご存じの方もおられるかも。

彼の画の代表的な絵は私の好きな作風ではないのですが、「見捨てられた町」だけはその成り立ちととともに心惹かれる絵画です。検索して画像をご覧になってみてください。

ベルギー、ブリュッセルを訪れた際に、ベルギー王立美術館に立ち寄り「見捨てられた街」の原画を観る機会がありました。

改めてガイドブックをひもとくと原画は木炭、黒クレヨン、パステルのみで描かれています。一度見たら心にしっぽりと焼きつくような絵です。

〜ベルギー王立美術館、ガイドブックより〜
15世紀からブルージュの橋には沈泥が埋まって海路が絶たれ、西洋で最も繁栄したズワインの街は、徐々に陸の孤島と化した。作家はメムリンク広場の実景から、中央建築物を省略、追憶と想像の世界に佇み、ゆっくりと水没していく街を描写。

水没することもなく、今では観光地として人気の街ですが現実の事象からイメージが膨らんで絵を描かせたと言うことが興味深いですよね。

作者は第一次幼年期をブルージュで過ごし、6歳でその地を離れて以降、そのイメージを壊さぬように自らブルージュを訪問することはなく、偶然立ち寄っても目的だけ果たし、すぐに離れるという徹底ぶりだったそうです。

うんうん、その気持ち、すごくわかる!

だからこそ、この絵が生まれているわけで…

ストリートビューで見たブルージュも私が知っているブルージュではなかった。

クノプフは体験を重ねると、記憶が上書きされることを何となくわかっていて自身のイメージを守るために近寄らなかったのかも..?

そういうこだわりに親近感を感じます。

私もまた行ってみたい気持ちと、行かずに、たくさんの浮かんでは消える美しいイメージを保持して作品に昇華したい気持ちと。

あの時のしんと冷えた空気・雨、お店の窓の滲む灯、美しい街並み、祈りに満ちたノエルのデコ、一人で、あるいはCさんと味わった時間、どれも一度しか体験できないことだった。

「幻想的」と言う言葉がぴったりなブルージュ
記憶の中に存在する街

そう、全ての事象が一度しか体験できないことなのだ。

時を重ね、私もあの時の私ではない。

この絵はあの時の私が感じたブルージュなのだ。


絵ってそういうこと。

たった一度の体験で得た感覚を呼び覚まし、固有の世界を表出させる試み。

今回、感覚が呼び覚ました記憶のことに関連付けて一つの絵を紹介しました。この絵については制作過程の画像もあるのでまた紹介したいです。

作品の価値を伝えるための発信をしたいんですよね。

作品の背景にあること、成り立ちを紹介する事は、作品の価値を伝えるのに役立つのではないかと思います。


作家は種で支援は水のようなもの。いただいたご支援は制作の糧となりやがて作品という果実となってこの世に生まれることでしょう。ご支援ありがとうございます。