夜に溶けたくなることもある

夜分遅くにこんばんは。ご無沙汰してます、RYOです。

皆さんいかがお過ごしでしょうか。

東京や福岡はここ2,3日のうちに桜が満開だそうですね。
私が住む関西は4月に入ってからが桜の満開宣言がされるようです。

そういったニュースや、街を歩く人の様子、それは例えるなら以前からショーケースのトランペットをかぶりつきで眺めていた子供が、買ってあげるよ、と言われた直後のような、浮かれた様子ですが。

それらを目の当たりに、ひしひしと感じることで、
「あぁ、皆春の陽気に、春というものが持つ魔力に、魅了されているな」と感じずにはいられません。

そして私も、その内の1人なのかもしれません。


今日この記事を書いているのは、普段にも増して衝動に駆られて、私の心が駆り立てられて、言うなれば「心がエマージェンシーを発している」のでしょう。

今日の記事の題名はそう言った意味です。

すなわち、

私は今、言うなら、"心にヒビが入った衝撃"で、涙を流しながらこの記事を書いています。

それは本当に、これまた不思議な魔力を持つ”夜”に角砂糖のように溶け出してしまいたいたい、と考えるくらいに。

しかしこれまた難儀な点は、この夜が持つ魔力は春が持つそれとは異質で、力のベクトルが異なるという点です。


私は冒頭にも述べたように、春の熱に浮かされています。浮かされていました。
そしてそれは、私がそうだと自覚できるほどの。

私の心のヒビは...今この瞬間、この記事を書けと心が命令したこの瞬間なのか、それとも以前から亀裂があってそれを今自覚したのか...

それを慮ることは今の私にできることは到底できません。

このヒビを修復しようとしてほぼ全てのエネルギーを要するからです。

今回の記事に関しては、皆さんにお伝えするようなことも、そして私自身に釘を指すようなことも一切記述しません。記述できません。

しかし...

ただ、ただ辛い時だってあります。人間ですから。泣きたい、泣いてしまった、泣いてしまっている、そして溶けてしまいたい夜だってあります。

それをここに書いた上で、皆さんがこの人生という、果てしなく続く徒競走をどう走るのか、を是非お聞きしたいなとも強く感じています。

ゴールは見えません。箱根駅伝のように、路肩で歓声を飛ばしてくれる人だっていません。(こんな私にもそんな人は少しばかりいるかもしれません...がしかし、人生の長さ、217.1kmという長さからすればかなり少ない人数だと思います。)
そして、駅伝のように襷を繋ぐこともありません。

時に暗闇の中や、豪雨の中を走らなければなりません。

そして不安が襲います。ドロップアウトしてしまうのではないかと。

だって、正確には私は今は学生であって、真の意味で社会の厳しさや汚さ、そしてもしかすると存在するかもしれないその美しさも、全て知りませんから。



ただ今は、、辛いだけです。
そして、夜明けを待っているだけです。


それでは、また。

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