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本当のあなたはどこにいる?—『素顔同盟』の教材分析より


 こんにちは。かえもんです。

 ついにインターハイも終わりを迎えました。桜花が流石の圧勝で優勝を決めましたね。今年は準決勝が事実上の決勝戦だったのかもしれません。また、甲子園もなんとか再開してくれているので夏の楽しみはまだ尽きることがなさそうです。  

 さて、今日はバスケではなく国語の話です。『素顔同盟』という作品について書きます。

 読んだことのない人は以下のリンクから読んでみてください。おそらく10分もあれば読めるはずです。

https://www.kyoiku-shuppan.co.jp/textbook/chuu/kokugo/document/ducu5/docu501/743.html

あらすじ

 朝、主人公はいつものように口元だけが微笑んでいる仮面を付けて学校へ登校する。この世界では皆微笑んでいる仮面を付ける事が法令で義務付けられているのだ。
 学校でも先生も生徒も皆同じ微笑んでいる仮面を付けている。しかし、主人公は微笑んでいる仮面を付ける事に疑問と苛立ちを仮面の下で抱いていたのだった。
 そんな時主人公はとある少女と出会う。その少女は街のはずれで仮面を外してどこかへいってしまう。主人公もそれに影響を受けて、どこかへ行ってしまう。

 
 素顔信仰

 この物語のなかにはとある前提が作者によって設定されています。

 それは「仮面の下には本当の自分がいる」ということです。私たちはいつも周囲に合わせるために「仮面」をしている。そして、その仮面の裏側には「本当の自分」が存在している。このような隠れた考えが根底に横たわっています。

本当の自分とは?

 確かにこの考えにはどこか納得させられてしまいそうになります。例えば、会社の飲み会に新入社員が行ったとき。当然周りはお互い見知った人同士なので、楽しくやっているはずです。しかし、新入社員にとってみれば周りはほとんど知らない人。そんな状態では誰もが気を遣うだろうし、もしかしたら自分の本性をさらさないように「仮面」を作ってその場をやり過ごそうとするかもしれません。
そうやって「仮面」を作って過ごすとき、心のどこかで「本当の自分はこんな人間ではない。」と思ってしまうでしょう。
 ただ、私たちはその場に応じて様々な「仮面」を作りだしている。これはおそらく事実だと思います。学生時代のことを思い出して下さい。ゆるい先生と厳しい先生に対する接し方は全く同じではなかったはずです。私たちは日々の一瞬一瞬を上手に過ごすために「仮面」をいくつも用意しているのです。その結果、仮面を全て取っ払った「本当の自分」がいるはずだ、と考えてしまうのはごく自然
なことだと思えます。

 しかし、この考えに則って考えると少しもったいない部分が出てきます。例えば、あなたが部活をしているとします。とても厳しい部活です。監督は熱心で練習もきついです。しかし、あなたは怠けることなく一生懸命練習しています。その一方で、家に帰るとダラダラしています。のんびりテレビを見たり携帯をいじったり。部活をしているときとは全くの別人です。
 
 さて、このどちらが「本当の自分」でしょうか。

 おそらくどちらか一方と決めきることはできないはずです。もし仮に家にいるときの自分を「本当の自分」としてしまったら、部活で頑張っている自分は偽者で「本当の自分を偽った自分」となるからです。となると、部活での頑張りがとても空虚なものに思えてきてしまいます。

 つまり、結論としては次のようになるはずです。

 ・私たちはその場に応じて「仮面」をかぶって生きている。
 ・どれかひとつの「仮面」を「本当の自分」と決めきることは難しい。


 さらに、ここから少し考えを進めます。今までなにげなく使ってきた「本当の自分」という言葉ですが、これはいったい何を指すのでしょうか。

 私の考えではこの言葉には2つの意味が含まれているように思えます。1つは「ストレスフリーでいられる自分」。もうひとつは「理想の自分」。

 
 まず、「ストレスフリーでいられる自分」についてです。前述した飲み会の例えでは、上司達の前でつける「仮面」では非常に大きなストレスを受けます。だらしないやつだと思われたらどうしよう、逆に真面目すぎてつまらないやつだと思われたらどうしよう。このような不安がストレスとなり、「仮面」をつけているものに襲いかかります。その結果、「本当の自分」はこんな「仮面」はつけて
いないと思うのです。その際に思い浮かべる「本当の自分」は心の底から笑ってリラックスしている状態であるはずです。このように「ストレスのかからない状態=本当の自分(本来の自分と言うこともできる)」と私たちは頭のなかで定義しているのではないでしょうか。

 次に「理想の自分」です。同じく先に述べた「部活を頑張るあなた」の例をつかって説明します。この例において他の人から「本当のあなたは家でごろごろしているときのあなたなんですね。」と言われたとします。その場合、あなたは少し違和感を覚えるはずです。なぜなら、部活で頑張っているのは事実だし、そこで努力しているのも「本当の自分」だと思うからです。ちなみに、「家でごろごろしている」のは「ストレスフリーでいられる自分」です。

 この場合、部活で頑張っている自分を「本当の自分ではない」と思いたくないのは、部活で頑張っているということが自分の理想に近づくことにつながっているからです。自分の理想に近づくとは、言い換えれば自分を高めるということです。つまり、自分自身をよりよくするために努力していたり頑張っているときの自分も「本当の自分」だと私たちは思いたくなってしまっているのではないでしょうか。これが、「本当の自分=理想の自分」と結論づけた背景です。

終わりに


 教材の話に戻りますが、「素顔同盟」は「本当の自分」とは何なのかということを考える良いきっかけになると思います。その際に、作者の考えを鵜呑みにして考えてしまうとなかなか考えは深まりません。私が書いたように作者がどういう考えをもってこの物語を書いたのかを考えるところから始めるとやりやすいと思います。 
 もうこの教材はほとんど教科書でみかけることはありません。しかし、自分自身について考える機会を与えてくれる貴重な存在だと思っています。
 
 

 

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