女と私とタワシの話

前書きとメイちゃんの話


少々物騒なタイトルだったかもしれない。

人の性格や気質は幼少期の体験や環境によって大きく左右されるといった話は昔からよく聞く。だから子供向けの英語教材ビジネスは潤い続けるわけだ。
しかしただ手元にあるからと言って勝手に得意になる訳では無いというのはさして英語を話せないこの私がその存在を持って証明している。


一昔前、「モテ期」という映画があったのを覚えているだろうか。とある男性がある起点を境に異性にもててモテてモテまくるという何とも羨まけしからん、破廉恥な映画である。しかしここまでではなくとも、人生には何回か異性からよくアプローチをされる時期があるというのは体験上頷ける所がある。


私は大抵の行動については流されるよりも自分の興味好奇心の向く方へ突っ走るという傾向があるが、女性との関わりに関してとなるとこの限りでは無くなる。未だにどうしたら良いのかよく分かっていないのである。


もう今年で齢23を数え、ミッキーマウスが丁寧にリンゴのスペルを教えてくれることも無くなり、手元にある英語教材といえばTOEICやらTOEFLだの、優しさの欠けらも無いような物ばかりになってしまった。

さすがにリンゴのスペルは覚えたが、女性(というか人間との関わり方自体微妙だが話を拡げると畳めなくなるのでそれは別の機会に)との関わり方については頭を抱えてる、そんな状況に危機感を覚えたので、幼少期の記憶を文章にまとめていくことで今後の私の歩む道筋を立てていこうと言うのである。

いちばん古い記憶にあるのは、私がまだ2~3歳頃の風景である。東京は目黒区の碑文谷にあるアパートに住んでいた。両親が共働きだったので、幼稚園に入る前のこの時期から保育園に入所していた。保育園での生活は学習やら学校生活の準備と言うよりも託児所の色合いが強かった。(勉学を教えようにも聞くような年齢でもないだろう)なのでこの時期はずっと遊んでいた記憶しかない。万が一ちゃんとした教育を行っていたならばそれが全く記憶に無く、また何一つ身に付いていないことをこの場を借りて陳謝する。

この時にメイちゃんという、おそらく人生で最初の友達が出来た。その女の子との出会いから友情を築くにまで至った経緯は何一つ覚えていない。しかし手を繋いで2人1組でよく歩いていた記憶がある。メイちゃんの実家は床屋で、近かったこともあり髪を切ってもらっていた。この頃だとまだ言葉も覚束無いので髪型は親の注文特有のよく分からんヘンテコな形だった。とまぁ、残っている記憶はこれぐらいである。どんな会話したとか、なんならメイちゃんの顔すら覚えていない。

そして4歳になる頃、幼稚園に入る前あたりで我が家は碑文谷から新天地 小金井市へと移り住むことになった。メイちゃんとはお別れである。こんなに早いうちから女を置いて去るなんて私はつくづく罪な男である。


【2】幼稚園からの話

人生の記憶の大半は小金井市でのものである。


小金井市は東京都のほぼど真ん中にある中ぐらいの町である。真ん中だからといって都会ではなく、デカい公園と住宅街で構成されたつまらない町である。

私の住んでいた家は白い三階建てのマンションである。マンションの周りは鬱蒼とした竹藪が囲み、昼間でも若干薄暗い雰囲気が漂っていた。更に我が家は1階角部屋ということもあり、日の当たらない、洗濯物が乾きにくい、ジメジメMAXフルパワーと言った感じだった。私がこんな陰気な人間に育ったのもこの湿気の所為に違いない。

めでたく私も4歳となり、幼稚園に通うようになった。毎日スクールバスの送迎があるのだが、この時バスで乗り合わせる女の子2人程度に集られるようになった。毎回私の姿を発見すると私の名前を呼び手を振って近づいてくる。まだ可愛くウブであった私はアタフタして、適当にその場の空気に合わせてモニョモニョ喋るというのが限界だった。彼女達はちょっと騒いで私の困惑した様子に満足すると何事も無かったかのように席に戻る。オバサンが韓流俳優を見つけた時の反応によく似ている。何故そういう流れになったのか原因は不明、事の発端についての記憶も無い。ただ集られてたという記憶のみがある。

しかし幼稚園時代の印象的な記憶といえばこれぐらいで、他は男子とつるんで悪さをしていた記憶しかない。

バスの送迎中も、一時的に集られる時間以外はその時よく遊んでいた「クソデカ平君」や「皇居本君」と一緒に大便や男性器を連呼していた。

そんな中でもよく気にかけてくれ、頻繁に会話する女がいた。幼稚園の先生である。私の先生は若い女の人で、色々と世話を焼いてくれてたが、かなりイカれてる部分もあった。

印象的なエピソードがある。


成長期真っ盛りだった私はある日前歯が抜け、歯抜け顔で幼稚園に行った。すると先生は私の顔を見るなり「歯抜けじじいだね」と抜かし始めた。確かに当時の私は歯抜けヅラと呼んで何の差支え無いほどの歯抜けヅラであったが、ジジイと呼ばれるにはまだ60年ほど早かった。

なので私は優しくかつ丁寧に、私はジジイではないこと、もし仮に私がジジイなら先生はもれなく非の打ち所の無い「クソババア」になることを説明したが、先生はニコニコ顔で歯抜けジジイを連呼するのである。(ああ、この人は説明しても無駄なのか···)と、人生で初めて会話を諦めた瞬間である。

今この記憶を振り返ってみて、もしかしたら魅力的な幼稚園児であった私の気を引くために敢えて変なこと言っていたのかもしれない、と思い始めた。それならば悪い事をした。そのような大胆なアプローチをしてくれたにも関わらず、若すぎた私は先生の趣味を理解出来ず、ただ「歯の抜けた幼稚園児を片っ端から老人呼ばわりするちょっとおかしい人」と記憶し、挙句の果てクソババア呼ばわりをしてしまった。

この無礼のお詫びをここに記すと共に、絶対に本人に伝わらないでくれと切に願う。

【2部へ続く】

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